幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

私は働けない。詩「楽に生きよう」。入院中最後の診察。

 こんにちは。花子です。

 最近ブログの閲覧者が毎日いるみたい(1人や2人ですが)なので、またブログを書いてみたくなりました。

 前回「私は無能」と書きましたが、今でもそれは変わりません。昔から働く自分を想像することができない子供でした。図工の時間に「将来の自分」の絵を描かなくてはならなくて、何も思いつかなかったのですが、その時流行っていた手芸のことを思って、手芸屋さんになりたいという絵を描いてみました。でもそれも無理やり考えだしたもので、本気でなる気はありませんでした。その時はなんだか茶色っぽい絵ができただけでした。

 今の私に働くことはできません。明日の私にも働くことはできません。10年後の私にも働くことはできません。病気が良くなっても、私という人間には働くことができないのです。それを分かってもらえるための説明は私にはできません。働きたくないだけ、なんてただのわがままですが、本当に私にはできないのです。

 毎日用事があるのが嫌です。日々の出来事は少しだけでいいのです。予定は遊びに行く予定しか立てられません。毎日母と遊び歩いているだけです。でもそれでも生きていけるようになっています。お金の心配はしなくていいし、家族もまだまだ元気です。晩ご飯は作らなくても食べられます。好きなことをして生きていけるだけの余裕が今はあります。いつか壊れるその時まで、今の幸せな生活を守っていこうと思います。

 主治医の診断書では私は家では無為に過ごしていることになっています。でも私としては別に無為に過ごしているわけではありません。思いを書いてみたり、動画を見たり、ヨガをやったりしています。それに1日の大半を家で過ごしているという訳ではなく、母と昼ご飯を食べに行ったり、買い物に行ったり、散歩に行ったりなど、外にいることも多いのです。まぁ別に無為に過ごしてもいい状況ではあるので、今私がやっていることが、ただ無為なことだと思われても全く構わないのですが。とにかく今が楽しい、ただそれだけです。

 

 それでは詩です。

「楽に生きよう」

力を抜いて楽に生きよう

自分に厳しくしたって、つらいだけだ

鍛えることはできない

みんな意識してないだけで、ほとんどの場合、楽に生きられる道を選んでいる

それなのにどうして楽に生きていたら非難されるんだ?

いつでも自分を試していないといけないのか?

精神力なんて鍛えられない

鍛えたいという人はそれだけで弱い証拠だ

強い人は鍛えたいなんて思わない

 

もともと強い人しか生きられないのか?

今の社会では弱い人は死ぬしかないのか?

企業はみんなブラックで、精神を病み、時には自殺までしてしまう

弱い人はこの社会では生きられないのか?

ただ生きていけたらいいのだ

それさえ許されないのか?

 

物があふれかえって、みんなぜいたくだ

でも心には種をまいたって、花も咲かない

カラッカラに乾いて、芽すら出ない

情報があふれかえって、自分で考えるということをしなくなる

頭の中は知らない誰かの言葉ばかり

自分の思いはどこにある?

自分の思いは誰も代弁してくれない、なんて思うのは私だけだろうか

 

生きていくためにしなくてはいけないことが多すぎる

心を持っていては働けない、気がする

でもみんなに心はあるのだ

みんな心に花を咲かせて生きていきたいはず

働くロボットになって生きていたいなんて誰が思う?

私は心を豊かにして生きたい

心に水をやり、たくさん花を咲かせて生きていきたい

こんなことを思うのは私だけじゃないはずだ

 

毎日同じことの繰り返しでも、生きていけたらそれでいい

自分の思い描く人生が生きられてればそれでいいんじゃないか?

たとえそれが変わりばえのない毎日だとしても

心を持っていたって、もしかすると意味なんてないかもしれない

 

正直食べていけたらそれでいいんだ

生きてるって、そんなに複雑なことじゃないと思う

みんな頭の中が情報でいっぱいで、生きるってどういうこと考える余裕がないんだ

私は生きる基本は食べて出して寝ることだと思う

 

人間関係で思い悩んだり、自分は人より上だとか下だとか考えたり、遅れてるとか進んでるとか比較したり、そんなことどうでもよくないか?

心のモヤモヤから解放されて、楽に生きたいとは思わないか?

時には心にモヤモヤを抱えて生きないといけないかもしれない

でもそれを晴らすことができるのは自分だけだ

他人からどう見られようと、自分は自分の道を行けばいいのだ

それだったら楽に生きたいとは思わないか?

 

自分を壊してしまう前にちょっと立ち止まって考えてみよう

今の自分にはいったい何が必要なのかを

何が一番大切なのかを

そしてそれ以外のものは捨ててしまう覚悟を持とう

生きる上で大切なことはただ生きるということだけだと思う

自然に終わりが来るまで生きていけたらそれでいいじゃないか

私はそう思う

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 父と先生を待っている間詰所の前で立って待っていたら、看護師さんが

「花子さん、座って待ってたら?何事かと思われちゃうよ」

と言いましたが、私は立って待っていました。すると先生が出てきて、私を探そうとしていたので、私から声をかけました。先生の話は何の話かもう忘れましたが、次いつ外来に来ればいいかなどだったと思います。

 外泊から帰ってきて、先生の診察まで少し時間があったので、私はOT室へコースターを完成させに行きました。OTの人はでき上がった作品に何か加工して、パリッとさせることができるけど、やるかどうか訊いてきました。私はいちはやく戻りたかったので、断りました。OTの人はすぐにできるのにと言っていましたが、やってもらう気にはなれませんでした。

 OTから帰ってきたら私の部屋には前にいてた人とは違って、あのテレビに向かってしゃべっていた人がいて、父と話をしていました。私は退院の準備をしていました。退院の準備ができ、診察も終わって家に帰ることになりました。やっと帰れると思うとすごく嬉しかったです。帰りのバス停でバスを待っていた場面がありありと思い出されます。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、あまり変わりありません。この前からあまり日が経ってないので、変化も特にないのです。このままいなくなってくれたらいいのですが、そう簡単にはいきません。もう一生付き合っていく覚悟で生きて、、、いけるわけないよ!早くいなくならないかなぁ?