幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

人生これでいいのか。詩「思い出」。I病院からT神経科へ。

 こんにちは。花子です。

 私の人生これでいいのか、最近よくそう考えます。これでいい、これぞ自分の望んだ人生だ、そう思うはずなのに、なんかモヤモヤします。何がどう不満なのか、自分でもよく分かりません。これを書いている今ですら、自分は何がしたいのかも分からず、何をすべきかもよく分かりません。

 スランプ、人生の行き詰まり、そんな言葉が出てきます。これから40年、私はきっとこうやって生きていくのだろうけど、本当に私はそれで満足なのか、そんなことばかり考えています。大して何もしない人生、毎日家で無為に過ごしている、私はそういうことになっているようです。それがいいと思っていました。今でもそれでいいと思っているはずです。なのにこれぞ私の望んだ人生なのだと心から思えないのはなぜでしょう。今の自分に一体何ができるのでしょうか。

 人生を迷い始めた頃、私は人のためになるようなことがしたいのだと思っているような気がしていました。人のためになる仕事とは何か調べたりもしました。そして高校生の頃までは勉強が好きだったので、公務員になれないかなと思ったこともありました。勉強さえして、公務員試験に受かれば公務員になれると思ったのです。でもこの社会は甘くはありません。学校に通うことすらやっとだった私に週五で働くことなんて無謀すぎました。私には働くことはできない、そんな気がして、ずっと生きてきました。今もそれはあまり変わりがありません。この先も私には無理なのでしょうか。今の自分には全く分かりません。

 今まで考えたこと、感じてきたこと、書き留めてきたこと、それらの全てを活かせることがしたいです。たとえそれがほとんど誰も見ないこのブログだけだったとしても、私には私にできることをやるだけです。これから先生きていく中で、何かきっかけがあるかもしれません。公募を探して、応募して、賞が取れたら、何か変わるかもしれません。ちょっと苦しいのは今だけ、本当に今だけなのだと思いたいです。

 いずれにせよ、今はこんな生活しかできません。この生活の中で楽しいことを見つけて、毎日を充実させて生きていきたいです。

 

 まずは詩です。

「思い出」

好きな人がいっぱいいた

あの人と仲良くなれたらいいのにと思っていたが、何もしなかった

いや、何もできなかったのだ

いつもただ遠くから見ているだけだった

 

いつからそんなことで思い悩むようになったのだろう

小・中学生の頃は一部の人と話せるだけで十分だった

高校生の頃から私は色んな人と関わりたいと思うようになった

でもその頃から私の体は私の思い通りには動かなかった

緊張していて、体がカチコチだった

顔もガチガチに固まっていた

言葉もスラスラとは出なかった

今から思えば悔しい限りだ

 

好きだった人みんなと楽しくおしゃべりしたかった

一緒にどこかに行きたかった

そうして私との思い出を増やしてほしかった

私も人との思い出を増やしたかった

 

みんなのことが私の中に残っている

いつでもふっと浮かんでくる

昨日のことと同じくらい鮮明によみがえってくる

みんなは前を向いて自分の道をどんどん行く

私以外の人との思い出をたくさん作っていく

私は夢の中でひとり寂しくひとりだけであの人との思い出を作っていく

現実世界で作れないと意味がないのに

 

もうあの大切な時期は戻ってこない

もう一度あの時をやり直すことはできない

私も前に進むしかないのだ

 

私の中にはみんなとの思い出がきらめく星達のようになっていて、私の中にある宇宙できらきらとまたたいている

あまり光らないものもあるが、大きく光るものもある

良い思い出もあるが、悪い思い出もある

どんな思い出も時がたてば、みんなきらめきに変わる

と信じたい

やっぱり思い出すとつらいものもあるのだ

それをきらめきと言えるのか

 

私はしょっちゅうその銀河の中をさまよい歩いて、楽しくなったり苦しんだりする

思い出は楽しいばかりではないからだ

これからも私の中に思い出はどんどん蓄積されていく

この世のどこかでも私のことが思い出として残っていくかもしれない

どんなにつらい思い出も、楽しい思い出と同じように、ただ思い出として残ってほしいものだ

きっと私がおばあさんになる頃には後悔することはなくなっているだろう

そう信じてる

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 母と外来に行ったこともありました。この時も診察の前に私の入院していた病棟へまず行きました。看護師さんと少し話をして、それから診察を受けました。母と2人で薬局へ行き、薬をもらって帰ったことを覚えています。

 I病院の外来はたぶん5回ぐらいだったと思います。5回ほど行ったら、T神経科に行くことになりました。

 いつかは忘れましたが、これぐらいだったと思います。母と2人でI病院で失くした財布の代わりの財布を買いに行きました。母とどんなことを話したかもうほとんど忘れてしまいましたが、私は本当は病気ではないのだと話していたことは覚えています。この時はまだ幽霊の存在は知りませんでしたが、絶対に病気ではないという確証だけはありました。自分ではない何者かが私の体の中にいたのです。

 それから私はずっと前からのどにできものができている気がして、それはガンかもしれないと思っていました。だからそのことを母に打ち明けて、一緒に近くの総合病院に行きました。そこの耳鼻咽喉科でのどをみてもらいました。でも何もなく、きれいなのどでした。でも私は絶対にのどに何かできているような気がしたので、もっと奥にあるのだと思いました。母は悪性腫瘍じゃなくてよかったと安心していましたが、私は本当にできものがあるのだと思い込んでいました。それでも本心は何もなくてよかったというものだったのですが。

 2週間に1回、水曜日にT神経科に通うことになりました。ある日主治医の先生からショートケアというものを勧められました。私はこの頃年金がもらえるようになるとは露も思わず、働けるようにならなければと思っていました。でも朝に起きることができなくて、よく泣いていたものでした。だからショートケアを足掛りにして、なんとか働く方向へもっていかなくてはと思いました。先生に行くかどうか訊かれて、私は

「行きます」

と答えました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、だいぶ減ってきたように思います。まだ乗っ取られ感が全く出ないわけではありません。この前も母との散歩の時にちょっと出そうになったので、途中で引き返してきました。でも出そうになって、変な顔にさせられたりはありましたが、それ以上は出てこず、叫びなどはありませんでした。これから少しずつでも幽霊さんを減らしていきたいです。自分の意思ではどうにもできないことなのですが。