幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

夢を見ず、現実を生きる。詩「すべての人に価値がある」。保護室に入る。

 こんにちは。花子です。

 最近は書くことを少し離れて、動画を観たり、本を読んだり、そんなことをしながら過ごしています。もう夢を見ることはやめました。ちょっと作家になりたいなんて思っていた時もありましたが、もう何も生み出せなくなっても、何の焦りもありません。今の生活がずっと続けばいいと思っています。むしろ今の生活が壊れてしまうことの方が怖いです。でもいつか壊れてはしまうのですが。あと10年ほどはこんな生活をしていたいです。この10年間あっという間でした。幽霊さんがいなくならないまま、10年が過ぎ去ってしまいました。これからの10年は幽霊さんのいない人生にしたいのですが、どうすればいいのかは全く分かりません。私は願い、望み、祈ることくらいしかできません。この思いが幽霊さんに伝わって、もう僕はいなくならないといけないのだと思ってくれたらいいのですが、なかなかその願いは叶いません。でもいつか絶対に叶うと信じて生きるしかありません。私は自分を自分で治さないといけないのです。今までもずっとそうしてきました。今度こそ自分の思い通りになる人生を生きたいです。

 私には将来の夢なんてものはいつの時代もありませんでした。ついこの間まで私は詩人、もしくは作家になりたいと思っているのだと思っていました。でも今は今の生活以外の何か新しいことはしたくありません。作家になって誰かと会って話ができたらいいのかもしれませんが、今は家族と話ができているので、それで十分です。もう誰か知らない人と話がしたいと思うことがなくなりました。私はずっと現実を見て生きたいと思っていました。そして今私は現実を見て生きられていると思います。今の家族がみんないなくなったら、あとは最後に私一人が残って、一人の人生を生きて死んでいくのだと思っています。何だか私は今の私を見ていると、一人でも生きていけるような気がするのです。福祉は利用するかもしれません。もしかすると誰かいい人が現れるかもしれませんが、今のところそんな人は誰もいません。そしていなくてもいいと思っているのです。

 まだ自分が死ぬことを受け入れられません。でも私はまだ32歳です。まだ死を考えるには早いような気がします。でも本当にいつ死ぬかは誰にも分からないのです。明日死ぬかもしれない、なんて思いもしませんが、いつかおばあさんになる頃には、死を受け入れられるようになっているでしょうか。もう生きていたくない、と思うくらい生きて、死んでいきたいです。

 夢はなくなっても、あまり寂しくはありません。生きがい、のようなものは特になくても生きていけます。毎日楽に楽しく生きていければそれだけで幸せです。しんどくない毎日、それを願って生きています。そのためには幽霊さんがいなくなることが必須なのです。もう幽霊さんに振り回されたくはありません。明日から今よりもっといい毎日を送れたら、どんなにいいことでしょう。もうすぐ幽霊さんのいなくなる時はやってきます。来るはず、来てほしい、来たらいいなぁ。まぁ今でも十分幸せではあるので、これ以上は悪くならないことを願って生きるのみです。

 

 まずは詩です。

「すべての人に価値がある」

私に価値はあるのか?

私にはきっと生きてる価値も死ぬ価値もない

それでもやっぱり生きている

私には何の価値もない、そんな気がする

なんて本当に価値のない人は思うよりまず自殺しているだろう

別に本気で私には生きてる価値がないなんて思っているわけではない

でもそんな気がするのだ

 

価値がないからって、生きていけないわけではない

ただ私がいなくなったところで、この世はたいして変わらないとは思うのだ

悲しむ人がいる

そういう人達がきっと私に生きてる価値を与えてくれるのだろう

でもいつか慣れてしまう、私がいないということに

そんな私に生きていた価値があったのか?

死んでこの世に爪痕を残せるほどの価値が私にはないんじゃないか?

 

価値は生きてる間に生きてる自分が作り出すものだ

自分だけが自分の価値を知ることができるし、大事にすることができる

自分の生きてる価値を決められるのは自分だけだ

たとえ誰かが私に価値がないと言っても、私さえ価値があると思えていれば、それは価値があるということだ

逆に誰もが価値があると言っても、自分が価値がないと思ってしまえば、きっと私には価値がない

 

でも生きているすべての人には生きてる価値はあると思う

それはこの世に生きている私達が決められるものではない

この世の外の存在である何かが決めているのだ

ただ生きてるだけで、この世のすべての人から存在を否定されたとしても、生きてる価値のない人はいない

周りに私達の価値をなくそうとしてくる人ばかりでも、違う世界に一歩足を踏み出せば、認めてくれる人が必ずいる

自分は狭い世界に生きているのだと気づいてしまえば、きっと外に出ることができるはずだ

世界は自分が思うほど狭くはない

ただそれに気づけるか気づけないかだ

 

必要としてくれる人がいれば、自分に価値があると思いやすくなる

でも価値を決めるのは他人ではない、自分自身だ

すべての人がこの世に生きてていい

それはこの世に生まれたかけがえのない命だからだ

なのに自分の存在を否定して、自ら死を選んでしまう人がいるのはなぜだろう

自分さえ自分を認めることができれば、生きていけるじゃないか

他人に左右されない確固たる自分がいさえすれば、死に逃げることはない

でもきっと私は周りの人に存在を左右され続けて生きる苦しさが分からないのだ

死という逃げ道を用意していないと生きていけないのかもしれない

いつでも死ねる、だからもう少し頑張ってみよう、そう思って生きる人は多いかもしれない

それでもいつかきっと死ななくても楽になれる日が来ると思う

環境を変えて、たとえそれでひとりぼっちになったとしても、自分には自分がいるのだから、きっともっと楽に生きられるようになるはず

みんな楽に生きたいのだ

そして楽に生きていいのだ

 

価値なんてあったって、なくたって、幸せな人生を生きられればそれでいいじゃないか

この世のすべての人に価値があると気づける人はどれくらいいるのだろう?

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 夜のことでした。看護師さんが何か言いに来ました。内容は忘れてしまったのですが、看護師さんが私に話しかけた時に幽霊が私の口を開けさせました。とっさに看護師さんは

「しっ、今夜だし、叫ばないでね」

と言いました。幽霊もそこまで常識はずれでもなかったらしく、何も言わされませんでした。

 これも夜のことです。狭い部屋の中を幽霊に走り回らされていました。私はつらくて泣きながら、

「お父さんお母さん助けて」

と言っていました。

 保護室は何個かあったと思うのですが、そのうちの3つは独房のようなかんじで並んでありました。一番奥の部屋から真ん中の部屋に移りました。この時は母が来ていました。看護師さんもいました。隣の部屋の見舞いに男の人が来ているのが見えました。すると幽霊は私の服を脱がそうとしました。そしてその男の人に私の裸を見せようとしたのです。母と看護師さんは大急ぎで私が服を脱ぎ出すのを止めました。ちょっと脱ごうとしただけで幽霊も止まったので、よかったです。

 暇だったので何か本でも読みたいなと思いました。看護師さんに

「本が読みたいです」

と言うと、雑誌を3冊持ってきてくれました。看護師さんが

「ここから1冊選ぼうか」

と言ったので、食べ物の載っているのを選びました。今でも雑誌を見ると、この頃のことを思い出します。

 また部屋が変わりました。この部屋も保護室なのですが、普通の個室と並んでありました。主治医の先生は

「ここが一番広い部屋だから」

と言っていました。入ってしばらくは鍵が閉められていたので、自由に出入りはできませんでした。

 確か独房のような保護室にいた時は担当でない先生が一度見に来てくれただけで、主治医の先生の診察はなかったと思います。この個室とあまり変わりのない保護室に移って初めて主治医の先生を知りました。いい声してるなというのが先生の第一印象でした。私がベッドに座って、先生は地べたに三角座りをしていました。高圧的にならないようにという配慮だったのでしょう。毎週月曜日に診察があると聞かされました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、年末に家族四人でカラオケに行った時に、全身をガクガク震わされました。低血糖になりかけて(歌っているときに視界がぼやけ始めた)、急いでジュースを飲みました。本当にひどい震えでした。それでもカラオケはすごく楽しく、幽霊さんのことなんて記憶に残らないほど、楽しめました。まだ手足の震えと寒い時のガクガクはあります。いつになったらなくなって、自分自身を取り戻せるのだろう?

努力は時に自分を苦しめる。詩「あなたを見つける」。R病院へ転院を。

 こんにちは。花子です。

 努力とは素晴らしいことだと思います。でもその努力に時に苦しめられることがあります。頑張って自分のためになることをしているはずなのに、それが苦しくなってくるのです。そんなに頑張ってまで苦しむことに何の意味があるのでしょうか。必死になって生きて、それに一体何の意味があるのでしょうか。私は意味のないことはできません。学校に行ってた時も「私はどうしてこんなことをしているのだろう」と思うこともよくありました。それが楽しいことなら別にいいのですが、私にはそれが苦痛なのでした。どうしてこんな苦痛を強いられるのだろう、なんて漠然とですが思っていました。母は走るのが苦手で、みんなから落ち込んでないか心配された時に、「大人になったら走らなくていいから、いいよ」と言っていたそうです。達観していたのですね。私は「大人になったら学校に行かなくていいし、いいよ」なんて思えませんでした。学校が終わっても、また会社というものがあります。こんな苦しみは一生続くのだ、そう思っていました。こんなに楽に生きられる人生になるとは思っていませんでした。お金があって働かなくてもいいなら、別に一生ニートでもいいんじゃないでしょうか。なんて自分勝手な我儘ですが。

 高校を卒業してからしばらくは私もいつか必ず働かなければと思っていましたが、もう学校の毒気にあたって、心身ともにボロボロでした。それでもお金がないと生きていけないことは分かっていましたから、何とか自分をアルバイトできる人間にならせようと必死に頑張ってきた結果は私の思っていたものとはまるで違いました。私は自分を取り戻しさえすれば働けるようになるはずだったのに、もう毎日どこかに通って何してるか分からないことをし続けるのはできなくなりました。本当は分かっていたのかもしれません。私には働くことはできないと。私がニートでも誰も何も言いません。そういうところで生きていくという選択を私はしました。私は色んな選択をしてきました。時に不可抗力であるような気がする選択も私は自分で選んできたのです。自分の世界は自分で作れる、でも全ては私の思い通りにはならない、それでも私はささやかな夢のために努力し続けるしかないのです。時にはつらい、そんな努力でも私はし続けなければならないのです。

 自分にいいことを全て完璧にやる、そういうことができたらいいのですが、当たり前ですが、できません。時にしんどくなったりして、何もできなくなるのです。そういう時に自分にとっていいことというのは、自分を叱咤激励して、自分に鞭打ち、努力をさせることではありません。何が自分に一番いいのか、それがわかるのはたぶん自分だけなのだと思います。というか自分で決めていいことなのだと思うのです。自分に何がいいのか、そんなこと自分でも分からないのに、どこかの知らない誰かになんて分かるはずがないのです。だから誰かが何かを言ってきても、この人には私の何が分かるのだろう、と思うだけだと思います。私の人生全ては自分で決められます。私はこういう人生を望んでいた、今なら何となくそんな気がしています。今から老後を過ごしているようですが、それが私の選んだ道なのです。今のままずっと何事もなく生きていけたら、なんて叶いそうもない夢を私は見ています。でもきっとそれに近い人生を生きられる、それはたぶん私の本当に望むことなのだと思うのですが、人生まだまだ分かりません。私は心から一体何を望んでいるのでしょうか?

 

 まずは詩です。

「あなたを見つける」

いつか来る死に別れ

それは生きてる以上避けることはできない

私も色んな人とお別れをしなくてはならないだろう

みんな私より先に死んでいく

でもいつかこの街のどこかで会えるような気がする

死に別れているのだから会えるはずはないのに、きっと私はあなたを探してしまうだろう

そしていつか会える日が来ると信じ、私も死んでいくのだ

そうすればきっと死後の世界であなたとも出会えるような気がしている

 

「先に行かないで」

「私も連れていって」

でもそんなこと本当は望んでいない

私はひとりになっても、自然と死が訪れるまで生き続けるだろう

あなたをどこかで見つける

それはただの幻影かもしれない

でもきっといつかどこかで会えると思わないと、寂しくて生きていけない

きっと会える

私はひとりじゃない

あなたとまた会える

そう信じないと、生きるのがつらくて、死んでしまいそうだ

 

來るべき日のことを思うと涙が出そうになる

いつまでたっても覚悟なんてできやしない

あの人は本当に覚悟できているのか?

私はその日が来るまで、その日のことなんて考えもせずに生きるだろう

でも本当に来るのだ

大事な人がいなくなる時がいつか必ず来る

その時私はきっと大泣きする

でもそれも慣れてくるだろう

そして私はあなたを探し回るのだ

あなたを見つけて、また笑い合える日が来ることを夢見て、街中を歩き回る

「また今日も出会えなかった」

そんな日を繰り返して、私は生きていき、死んでいく

 

夢は捨てない

諦めてしまえば私の人生そこで終わってしまう

絶対に現実的にあり得ないのは分かっている

私もいつかは誰とも会えなくなってしまう

その時は私のことを私と同じように想ってくれる人が現れるだろうか

私はひとりになるけど、決してひとりじゃない

誰かと笑い合って生きていける

たとえそれがあなたじゃなかったとしても

あなたの代わりはどこにもいない

だから私はあなたとの思い出の場所に行き、そこであなたを見つけるのだ

たとえそれが幻だったとしても

 

あなたとの思い出をたくさん作ろうと思う

そしていつかあなたがいなくなったら、思い出の場所を巡るだろう

あなたはいつでも私の側にいる

私はこの先ずっとあなたと一緒に生きていく

あなたがこの世からいなくなっても、魂は私の側にあって、私を見守ってくれているだろう

私は守られて生きている

そんな幸せなことって他にあるだろうか?

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 O病院への入院でR病院への転院が白紙になったので、父は何度もR病院に電話して、空き状況などを確認したりしてくれていたみたいです。

 そんなこんなでR病院への転院が決まりました。普通に起きて座れるのに、なぜか寝台付きタクシーで行くことになりました。このタクシー代は父が支払いました。五千円近くしたそうです。

 R病院には私が重篤であると知らされていたみたいで、私を実際に見たR病院の先生は「普通じゃん」と言ったそうです。

 外来の診察室に入り、おそらく副院長先生であろう人と面談をしました。私は幽霊が私の足を使って歩き回らせようとするので、診察室の中をうろうろしながら話を聞きました。

 先生が

「電気治療もあります」

と言いました。すると私の頭の中には

「電気ショックは嫌だ」

という文が浮かんできました。それを幽霊に言わされました。先生はそれを聞いて

「電気ショックとはまた違うんだよ」

と笑って言いました。

 担当の看護師さんが迎えに来てくれました。R病院は急性期でも女性病棟と男性病棟に分かれています。看護師さんは私を女性病棟に連れて行って、「保護室」という部屋に入りました。

 ベッド以外は何もない殺風景な部屋でしたが、私は何とも思いませんでした。独房だという人もいるし、何かもっと良いようになってほしいと思う人もいるようです。せめて花があればと書いてあるのを見ましたが、花があったところで何も変わりません。病院というのはそういうところだと思っていました。

 着いてすぐ心電図検査をして、看護師さんはたぶん

「暴れなかったら縛らないし」

と言ったと思います。やっと自由の身になりました。でも幽霊がまだいてたので、手放しには喜べませんでした。これからどんないやがらせをされるのかという不安が大きくありました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはしんどくならされることが少しあり、ソフトクリームを食べると全身がガクガクと震え、料理中には左足が震え、読書中には右足が震えますが、それ以外はほぼありません。寒くてもあまりガクガクしなくなりました。このまま減っていくことを願っています。

社会から断絶された日々を送る。詩「歴史」。父母が転院を決意。

 こんにちは。花子です。

 私の家にはテレビがなく、新聞もとっていません。だから今私はこの世界から一人孤立した状態になっています。ただ食べていくために毎日を過ごしているだけ。そんな感じです。本当に私は生きていけたらそれでいい、他に何もしたくない、そう思っています。たぶん死ぬまでこんな生活を過ごしていくのだと思います。自分の想像もつかない人生なんてありえないのです。でもほんの少しだけ自分が有名になったら、なんて考えないこともないですが、それはこの世のほとんどの人がする妄想と同じなのです。そして多くの場合それは実現しません。私も同じなのです。

 私は昔からよく妄想をしていました。漫画の中に自分を登場させて、漫画の主人公のようになるのです。でも現実は味気ないものです。私は人の影に隠れて、目立たないように生きてきました。時には悪口を言われることもありました。私には言い返すことができず、今さえ耐えれば絶対大丈夫、なんて思ってその場をやり過ごしていました。でもそういうのが積もり積もって、私は心を病みました。過去を思い出しては、今の自分なら絶対こうするのに、なんであの時はああするしかできなかったのだろう、なんて思いながら後悔ばかりしていました。後悔は誰でもします。反省もみんなしています。それでも私は特別、そう思って高校卒業から2年間ほどは一人自分の世界に引きこもり、ほとんど誰とも話をしませんでした。ただ自分の思いをノートに書き綴っていただけなのです。でもそれが功を奏して、私はまた人と関われる人間に戻りました。そして私は特別とは思わなくなりました。

 私はみんなのように大学には行けず、アルバイトすらできず、何もできませんでした。みんなのようにできないのならせめて人とは違う才能があればいいのになんて思いましたが、何の能力もなく、何もできない人なんて、この世にいっぱいいるのです。私もそういう人たちと同じなのです。私の生きられる場所はこの家にしかなく、私にできることはただの家事手伝いくらいしかありません。結婚する気なんてさらさらないし、今住んでいるこの地域から出る気はありません。今の家族が一人一人欠けていって、私が最後に残り、私ですら消えてしまう、そんな未来しか見えません。でもそれはそれでいい気がしています。私は別に何も考えなくても生きていけるのです。何も成し得ていない私は何をしてても何もしてないのと同じです。人はこんな私を見て、高卒ニートのゴミ、なんて思うのでしょうか、そんなこと思う人は私の周りには一人もいないのですが。

 今の私には自分のためにできることしかありません。家族のためならできますが、この社会のために何かをするということは今の私にはできません。いつか私の考えたことが人のためになればなんて思わないでもありませんが、私にはそんな才能がない気がしています。ただ自分の考えたことが自分しか知らずにいるのはもったいない気がして、このブログでみんなに見てもらえたらと思うのですが、それもそんなにうまく行きません。私はこの世の片隅でひっそりと生きていくしかないのでしょうか。

 

 まずは詩です。

「歴史」

私達は今歴史の中を生きている

生きてるだけで、それが歴史として後世に伝えられる

歴史とは過去のものだけではない

過去から続く今も歴史の一部だ

私達は生まれた時からこの世を作る雑多な人達のうちのひとりだ

その雑多な人達というのが、今この瞬間私達の歴史を作っている

 

でも本当に私達が歴史を作っているのか?

そんなことを考える人はほとんどいないだろう

みんなただ自分の人生を必死に生きてるだけだ

遠く離れたところから自分を見る人は少ない

この社会でのどういう位置付けか、考えることはあまりないだろう

全体像が見えてないことが多い

 

私達がこの社会を動かしていると感じる人はどれくらいいるだろう

人生について盲目な人はたくさんいる

ただ目の前のことに一生懸命で、広く物事を見られる人はそういないだろう

でもそういう雑多な人達がひとつの固まりとなって、この社会を作っている

その固まりであるみんなが動いて歴史が刻まれる

 

人ひとりに小さな歴史がある

そういうのが集まって大きな歴史になる

たいていの人はそれほど歴史を動かさない

それでも歴史は動いている

 

みんなただ生きているだけだ

歴史を作っているなんて思いもしない

みんな何かに向かって必死になっているけれど、それがどういうことか分かっている人は少ない

私だってただ生きているだけだが、私の人生というひとつの歴史を刻んでるなんて、普段は思いもしない

でも本当に私達はこの社会の一部になっていて、世界とともに変化しているのだ

その変化を感じている人もあまりいないだろう

物事は変化をするのが当たり前で、常に変化しているのだから

 

みんな現れては消え、現れては消えしている

私もいつかこの人生という名の歴史を完成させることになるのだ

私も大きな歴史の一部になりたいと思うが、もうなっている

世界を大きく動かすことはできなくても、私が行動するだけで、世界は少し変わっていく

みんながただ自分のために行動するだけで、社会を動かしていることになっている

 

いまこの瞬間がどんな歴史になっているか、今はまだ分からない

でもいつか振り返ってみた時に、この今は歴史として認識されているだろう

それがどういう形かはまだ分からない

私の人生という歴史は、いつか振り返った時に、きっといい形をしているはずだ

そうなるように今を一生懸命生きているのだから

 

歴史は常に刻まれている

みんなその中を生きて死んでいくのだ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 叫びがひどくなってくると、父と母が来た時も叫んでいました。それを見た看護師さんは

「ご両親が来られたら叫ぶので帰ってください」

と言いました。父と母はしぶしぶ帰りました。でも建物の外に出ても私の声が聞こえていたようで、

「あれ花子の声だよなぁ」

と父は母に言っていたそうです。

 そんなことがあったのと、点滴ばかり打たれた腕が見るに耐えないというので、両親はR病院への転院を考えるようになりました。O病院に入院する前にすでに考えていたようで、日付も決まっていたのですが、O病院に入院することで一旦白紙になりました。

 父と母はどうしたら転院させられるのか相談するために、入院する前に通っていたT神経科の先生のところに行きました。

 父が全部言うと言ったので、母はそれにまかせるつもりでいました。しかし父は

「病室がざわついていましてね」

と言うだけで、他に何も言いません。先生は

「それだったら病室を変えてもらえばいいじゃないですか」

と言いました。それだけで会話が終了したので、母は思ってることを全部先生に言いました。

 先生は

「主治医の先生には思ったことは全部言ってください」

と言ったので、父と母はそうすることにしたようです。

「ぜひお二人で」

と先生は付け足しました。

 母がI病院の主治医の先生に

「治療方針はどうされるおつもりですか?」

と訊くと、先生は

「同じことの繰り返しです」

と言いました。前回の入院時にこの治療方法でうまくいったと思ったのでしょうか。実際はたまたま幽霊が出ていった時と薬が効いてきたと思われる時とが重なっただけだったのですが。

 それから母は先生に

「点滴の穴だらけになった腕を見て、何とも思わないんですか?」

と訊きました。すると先生は

「やむをえないですね」

と言いました。父と母は先生のこれらの返答を聞き、これはもう転院させるしかないと決意を固めました。

 そのことを先生に言うと、先生は

「私としては花子さんをもう少し見たいんですけど」

と言いました。まるで私を実験台にしているかのようでした。父と母も同じようなことを思ったようです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはだいぶおとなしくなった気がします。震えも減ってきました。ちょっと疲れてももうしんどくならされることはありません。このままいなくなってくれれば、あとは自分の人生に集中できる気がします。早くいなくなってくれればなぁ。

かに道楽に行き、過去のノートから詩を書いてみることを始めた。詩「幽霊⑦」。幽霊に後ろに転がされ、床擦れが痛い。

 こんにちは。花子です。

 3年前から毎年この季節になると、海辺の街までカニを食べるツアーに行っていました。でも今年からはもう行くのをやめにしました。お金がかかるし、もう今までと同じようにうまくいく保証がないからです。3回ともとてもうまくいっていました。時間に間に合うように食べられて、最後の最後まで食べ尽くせたからです。一番最初に火をつけてもらえて、最後の茹でガニの食べ方を教えてもらって、全部食べることができました。でもこれからもそううまく行くとは限りません。もう十分にカニは食べることができたと思います。

 それでも私と母はカニが好きなので、近所のかに道楽までカニを食べに行ってきました。川沿いの道を歩いて行ったのですが、途中イタチのような生物を数匹見かけました。あのあたりに巣があるようなのです。私達が立ち止まって見ていたら、他にも見ている人がいました。この前父もあの生物を見かけたようなのですが、名前が分からず、ネットで調べていましたが、全く分かりませんでした。私と母は「カワイタチ」だと思っているのですが、そんな生物存在するのでしょうか?とにかくでっぷりと太ったでかいネズミのような生物があの川沿いにいるようです。

 かに道楽ではかにシュウマイとかにコロッケが入っているコースにしました。ちょうどコロッケが食べたいと思っていたので、いいコースを選べました。このコースは前にも頼んだことがあって、その時かにシュウマイのおいしさに感動したので、また食べられてよかったです。今かに道楽では一匹丸々食べられるフェアみたいなのをやっていて、15000円で焼きガニやかにすきなど、さまざまな食べ方でカニを楽しめるようです。私もちょっと惹かれましたが、値段的に無理です。またいつかカニを食べたいだけ食べられる日が来ることを願っています。

 過去に私は絶対に詩人になって、この家を出ていかないともう生きていけないと思うほど追い詰められていた時期がありました。心の思いはノートに書いていました。でもそれを詩にするというのが全くできませんでした。今まで書いてきたものがあるのだから、それを作品にすればいいのだと思っていたのです。とりあえず題名を決めて、それについて書くか、などと思っていましたが、それも無理でした。私には思う才能がある、そう思って何か書こうとはしていました。でもただ思いついたことを書き連ねるくらいしかできず、形にはできませんでした。

 ある時詩の賞の公募を見つけました。これで賞をとって、お金を稼いで、一人暮らしをするのだと思いました。必死に3遍書き上げました。推敲に推敲を重ねて、なんとか書くことができました。これで自分の未来は拓ける、そう思いました。でも一次選考しか通らず、私は絶望しました。父や母には「絶対賞がとれる」などと言っていたのに、もう私には希望はありませんでした。そしてまだ私はここで苦しみ続けないといけないのかと思っていました。でもその苦しみは長くは続かなかったのですが。

 あの時しようとしていたことを今何の切迫感もなくやっています。過去のノートを見て、それを詩にするのです。昨日も一つ詩が書けました。それはあの時に思ったことを引用して、少し書き加えて、完成させるというものです。これからもそうやって詩を書いていこうと思います。このブログも詩を書くこともいつまでできるか分かりませんが、やれるだけやってみようと思います。

 

 まずは詩です。

「幽霊⑦」

幽霊さん、今までどうもありがとうございました

私は幽霊さんがいたおかげでこれまでやってこれたし、これからもやっていけるでしょう

幽霊さんからはかけがえのないものをもらいました

前より少し忍耐強くなったし、何より障害者年金をもらえるようになったことは、私の人生において、すばらしく大きなことです

幽霊さんがいなかったら、きっと私はギリ健で、収入がなかったでしょう

普通に働くことが無理だからです

あなたのおかげで私は障害者雇用で働くことができるのです

働けなくても、デイケアという形で社会参加ができています

それは幽霊さんなしでは叶わなかったことです

 

幽霊さんには本当に感謝しています

あなたがいなかったら、生きていけなかったでしょう

こんなに強くもなれなかったし、こんな経験他の誰にもできません

私は誇りに思っています、幽霊さんに取り憑かれたということを

他の誰も経験できないようなことを経験させてもらいました

私の人生色々あったけど、もう過去のことになってきています

私は一生忘れないでしょう、幽霊さんがいたということを

幽霊さんとは楽しいことも苦しいことも、たくさんありました

もうすぐそのすべてが過去のことになるのです

本当になんだか感慨深いものがあります

 

幽霊さんも今ならもう私の中から出て行ってもいいと思えるんじゃないですか?

私の中から出て、私を楽にさせてあげようと思えませんか?

あなたは私の人生を見届けることはできません

あなたはもうこの世を離れないといけないのです

いつまでも現世にこだわっていてはいけないのです

ましてや人にいやがらせをするなんて、いつまでも許されるはずがないのです

もういいと思いませんか?

散々いやがらせをして、もう十分満足したんじゃないですか?

あなたのいない未来、それはあなたの知ることができない未来なのです

働く私をあなたは知ることができません

 

幽霊さんがいなくなったらどうなるのでしょうか

ちょっと怖いですが、取り憑かれた今の方がもっと怖いはずです

もうだいぶ慣れてしまっているのでしょうか、幽霊さんがいる自分に

でもやっぱりどんなに時がたっても、幽霊さんは違和感でしかありません

ずっとずっとなくなってほしいと望んでいたし、今でもそうです

もうすぐいなくなるんじゃないかという感じがするのですが、どうでしょう

私の中からいなくなっても、それは幽霊さんにとって嫌なことじゃないはずです

あるべき姿に戻って、いるべき場所に帰るのです

私の中より心地いいはずです

人にいやがらせをするよりもっといいことがあるはずなのです

だから幽霊さんどうかこの世からいなくなってください

 

そしてありがとうとまた言います

あなたのおかげで私の未来が切り拓かれたのですから

あなたなしでは私の人生なかったでしょう

もうあなたはこの世に必要ありません

誰もあなたを必要としません

みんな疎ましく思っているだけです

あなたはただの思い出です

さようなら、もう一生会うことはないでしょう

そんな未来を私は夢見ています

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

何事もなく熱も下がったので、I病院に帰ることになりました。私は、ちょっと記憶が曖昧なのですが、確か寝台付きタクシーで帰ったのだと思います。父はそれには乗れないので、私の入院中の荷物を持って、バスと電車で帰り、またI病院で落ち合おうということになりました。

 この頃、ご飯を食べるためにベッドに座ったら、幽霊さんに後ろにコロンと転がされていました。看護師さんは私がやらされていると言っているのに、それに耳を貸さず、

「腹筋がないだけじゃないの?」

と言っていました。私がこんなに苦しんでいるのに、その一言で終わらせるなんてひどいと思って、悲しくなりました。

 でも母は分かってくれていたみたいです。明らかに私ではないものがやっていることだと分かってくれていたのでしょう。看護師さんの対応に母は憤慨していました。母はベッドの上に乗り、私の後ろにまわって私を支えてくれたりしました。この後ろに転がされるのはしばらく続き、とてもつらかったのを覚えています。

 床擦れがひどく、仰向けでは寝られませんでした。でも両手が拘束されているので横向きにはなれず、仕方なく腰のあたりに布団をはさんで、尾骶骨がベッドにつかないようにしていました。なかなか良い角度にならないので、何回も抜いたり差したりしてもらっていたら、看護師さんは

「ちょっとベテランに代わってもらうわ」

と言って、別の看護師さんを呼びに行きました。その人に代わって、適当なところで私は

「これでいいです」

と言って、眠ることにしました。

 父と母は見舞いに来てくれていました。まだ猥褻語を叫ばされていた時は父は帰り際に

「それじゃあ〇〇(父の名前)おち〇こは帰ります」

と言ってくれました。私に合わせてそう言ってくれたのがうれしかったです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまだいるのか、という感じです。もうすぐいなくなるはずなのに、なんでいるのでしょうか?今日はなぜか字を書くときに右手が震わされて、うまく書けなかったので、書くのをやめました。ヨガは一つだけやって、しんどくなってやめました。でも昨日のハンバーグを作る時にはほとんど出てこなかったので、この先私が料理当番になってもできるような気がします。本当にあと一歩だと思っています。

BーFlowのまりこさんのヨガで元気になってきた。詩「恐怖」。O病院での出来事。

 こんにちは。花子です。

 最近は家事をしたい欲が出てきていて、家の掃除をしたり、たまに料理をしてみたり、後片付けを毎日やるようにしたり、そんな生活を送っています。なぜそんなに元気が出てきたか、それはヨガのおかげだと思います。YouTubeでBーFlowのまりこさんのヨガを見ながらやっています。前もやっていたのですが、いつの間にかやらなくなって、ずっとお休みをしていました。その間自己流でストレッチをやったり、筋トレの動画を見ながら筋トレをしてみたりしていましたが、なかなか続かず、またまりこさんのヨガに戻ってきました。前はこんなに効果を実感できなかったのに、今ではいいことだらけです。前と何が違っていたのでしょう?とにかく今私は結構元気です。

 ダイエットのためには筋トレをしなければならない、そう分かってはいるつもりですが、私は筋トレをどうしてもやりたくないのです。しんどいし、特に元気になれる訳でもなかったし、筋トレしてもたいして楽しくないし、私にボディーメイクは向いてないのです。そもそもそんなにいいスタイルになりたい訳でもないし、ただちょっともう少しお腹がへこんだらなぁとか、太ももがもう少し細くならないかなぁとか、そんな感じなだけで、そんなに痩せなくても特に支障はないので、とりあえず今より太らないように、それだけが目標です。今のところ60kgぐらいで落ち着いています。ダイエットはもうやめました。好きなものを好きな時に食べています。でもそうなったら逆にそんなに食欲も湧いてきません。少食が健康にはいいらしいので、お腹が空かないのに食べる、とかはなしにしていきたいです。

 まず朝ごはんにプロテイン、ブルーベリー、バナナを食べます。MCTオイル入りのコーヒーも飲みます。それから母と喫茶店のモーニングを食べに行きます。時々回転寿司です(はま寿司が安くておいしい)。昼はモーニングで済ませているので、食べません。と言うか、昼からはヨガをしたいので、モーニングから2時間の間は絶対に食べないようにしています。そしてヨガをします。ヨガをしてからお腹が空いたら何か食べます。割と好きなものを食べています。ポテチが食べたければ食べるし、くるみ、プルーン、アーモンドを食べることもあります。お菓子は買ってあるけど、食べるタイミングが分からなくなりました。それでもポテチが食べたくなるので、それはコンビニに買いに行ったりしてしまいます。健康にいい食事はなかなかできません。する気になりません。それでも生きていけるので、今はそれでいいかなという感じです。

 今の私は本当に家事手伝いです。ニートではあるけど、家事は少しやっています。これから晩ご飯作りができる日を増やしていって、最終的に毎日料理をするのが目標です。できなくてもお惣菜屋さんもいっぱいあるし、外食できないほど貧しい訳ではありません。だからとりあえず、今は今できることをやって、あまり将来の心配をしないようにして、毎日を過ごしていこうと思います。心配事の7割(9割だったかな?)は起こらないようになっているらしいので、取り越し苦労はやめにします。なんて何も考えないわけにも行きませんが。やっぱり来るべき日のために事態を想定しておかなればならないこともあるでしょう。まあ何か起こってもそれは一瞬で、あとは穏やかな日々が続いていくだけなような気もします。今は今だけを考えて生きていこうと思っています。

 

 まずは詩です。

「恐怖」

怖い、怖い、怖い

すべてが怖い

何もかもが怖い

変わっていくことが怖い

新しいことが怖い

 

人生を新しくしたくない

新しくしたくないのに、何ひとつ過去と同じことはない

昨日と同じことをしても、今日の私は違っているから、同じとは言えない

 

一日一日持っている過去が増えていく

昨日の私と今日の私は同じように見えるけど、10年前と今の私は全然違う

経験がどんどん増えていく

どんどん新しい自分になっていく

未来は今からじゃ想像できないくらい新しい自分になっている

 

それは怖いことじゃないか

なんて怖いことなんだ

でも本当は怖くないんだろう?

あの人が言っていた、「怖くないよ、幸せはいつか終わるけど」と

幸せはいつか終わるかもしれない

それは怖いことなんじゃないのか?

私は今幸せですら怖い

だって終わりが来るからだ

でも幸せだけじゃなく、この世の何もかもはいつか終わるのだから、いつでも幸せを追い求めて生きたい

 

何なんだ、この恐怖は

誰もが感じることなのか?

未来がうまくいくか分からない

うまくいくっていうのがどういうことなのかがまず分からないのだけど

 

失敗を恐れている

人生の失敗、それはいくらでもあるかもしれない

でもそれも人生の彩り、とは思うけど、やっぱり失敗が怖い

だって人生一度きりしかないんだもの

今まで失敗したことはないのかもしれない

失敗も成功もそうでないことも、全部同じものなんじゃないか?

それはただ人ひとりの人生がそこにあるというだけだろうか

 

私の人生一度きり

この今も一度きり

何もかも一度きり

一度しかない人生をどう生きるかだ

 

自立したら何もかも自分でできるようになっていないといけない

新しい経験がたくさん増える

それにうまく対処できるか分からない

でも人はいずれ自分の足で自分の人生を生きなければならないのだ

 

新しいことというのはやっぱり怖いかもしれない

でもそれにもだんだん慣れてくるだろう

怖いことがなくなってる頃に私はこの世を去るだろう

人に人生ってきっとそんなものなんじゃないか?

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 検査が終わって病室に入りました。なんだか薄暗い部屋でした。この病院では手足の拘束はなく、胴体だけでした。だから横向きになろうと思えばなれたので、床擦れのひどかった私は横向きに寝たりしていました。でも点滴をされていた腕を動かしていたので、点滴がずれて、腕の一部が腫れていました。看護師さんに

「動かないで」

などと言われるかと思ったのですが、誰も何も言いませんでした。

 とうとう恐れていたことが起こります。幽霊にここでも猥褻語を叫ばされたのです。私の頭の中に

「〇〇ちゃん(I病院の女性看護師)のおま〇こ一緒に食べようよー」

という文が浮かんできました。今から思えばどうしてこんなことばかり浮かんできていたか不思議です。そうしたらちょうどやって来たところだった女性の看護師さんに

「食べないよー」

と言われました。私としては無視してほしいところでしたが、そんなことよりもこれ以上言わされませんようにと祈るばかりでした。祈った甲斐があったのか、ただの幽霊の気まぐれだったのか分かりませんが、O病院ではこれぐらいしか言わされませんでした。

 シャワーに連れて行ってもらいました。シャワーを出して浴びようとしたら、倒れました。すると女性の看護師さんは

「わー、大丈夫?〇〇君ちょっと来てー」

とか言っていました。すぐに移動式のベッドに寝かされ、布を体に被せてもらい、病室まで戻って来ました。しばらく横になって、服を着たくなったので、

「服を着ます」

と言うと、

「もう大丈夫?よかったー」

と看護師さんは言っていました。

 朝起きて朝食を食べた後、看護師さんが私の髪を編んでくれました。そうして他の看護師さんに

「見て見てー」

と言って、自分の出来栄えを見せていました。他の看護師さん達は

「かわいいー」

と言ってくれていましたが、私が自分を鏡で見ると、全然かわいくありませんでした。編んでくれた看護師さんに

「うまいんですね」

と言うと、

「子供がいるからねー」

と言っていました。

 退院間近になって、O病院での担当の先生が来てくれて、説明をしてくれました。特別なことはしなくても熱は下がったようです。

「好き嫌いある?」

と訊かれて、私は

「グリンピースがちょっと苦手です」

と言いました。すると先生は

「残念だなぁ、ここの豆ご飯人気あるのに」

と言っていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはヨガの時に体を震わせてきます。でもそれ以外はだいぶ少なくなりました。今もキーボードを打っているのに、左足は震えていません。このまま幽霊さんがいなくなって、薬も減っていって、体調がもっと良くなることを願っています。

仕事をしてみたいが、働かなくても生きていける。詩「才能」。熱が出て、O病院へ。

 こんにちは。花子です。

 かつて私は、自分の人生を映画のようにできたら、どんなに素晴らしいものができるだろうと思っていました。でも今になって分かります、私には人より優れた感受性はないのだと。私が見ている景色は私しか見ていないと思っていました。でもそんなことはなく、同じものを見ている人はいっぱいいるのです。みんなこの地球を観察しています。そして何かしら思うのです。私だけが物事を考えられるのだと思っていました。誰よりも高い場所にいた私はたった一人でみんなを見下していたのです。でもみんなと比べてしまうと、私は誰よりも下にいます。普段はあまりそんなこと考えませんが、このブログが誰にも見られてないこととか、Xもほとんど表示されていないことなどを知ると、やっぱり私には才能なんてないのかなぁと思ったりもします。でも自分一人だとちょっとは自信があるのです。私は素晴らしいものが書けている、そう思うこともない訳ではありません。あとは本当に他人から認められるのを待つだけなのです。私は幽霊さんがいなくなることと作家になれることをずっと待ち続けているのです。

 私は自分の人生を人に見せたいと思っていました。面白いはずなんて思ってたのに、私の今の生活は本当につまらないものです。起きて、朝ご飯を食べて、母とカフェでモーニングを食べたり、回転寿司を食べに行ったり、パスタを食べたりして、買い物をして、家に帰って、何か書いたり、本を読んだり、ヨガをして、晩ご飯、風呂、寝る、そういった感じです。そして毎日ほぼ一緒の生活をしています。それで満足なのです。不満はありません。嫌なことはなくなりました。やりたくないことをやらなければならない人生からはおさらばしたのです。

 働きたくない?なら辞めちゃえよ、なんて思うのに、私のように恵まれた環境に居られる人ばかりではないから、私にはどうにもできないのです。自分がどうしたらいいかさえ分からないのに、他人がどうしたらいいかなんて、どうして分かるでしょうか。でも嫌なことからは逃げられる、私はそう信じています。やりたくないことをやり続けて、生きられなくなるのなら、生きてる意味なんてあるのでしょうか?私は嫌なことのない人生にしたいと思っていたから、それがほぼ実現しましたが、みんなそんなことができる訳ではないのでしょうか?どうしたらみんなが生きやすくなるかを考えていますが、私には何もできないのが現実です。私が何を言っても、人を救うことはできません。自分のことは自分しか救えないと信じているからです。でも自分を救う手助けはできないかなとは思います。私が苦しみながらも考えてやってきたことを知ってもらって、それを自分自身を救う手助けにしてほしいのです。

 私は自分を救うために書いて書いて書きまくりました。そうしているうちに自分のことが分かり始め、自分は自分のままでいい、そう思えるようになったのです。自分はこういう人間ですとみんなが言えるようになれれば、この世界は少し救われます。自分を大切になんてよく言うけれど、具体的にどういうことか、よく分からないですよね。この社会で生きていくためには自分を殺さないと生きていけないような気がします。私は社会参加を諦めました。もう自分のことを否定しないと生きていけないなんて、つらすぎる、そう思って社会から距離を置くことにしたのです。だから私にはこの社会で生きるために何をしたらいいかはよく分かりません。こんなんじゃあ人のためになることはできないかなぁ?

 

 まずは詩です。

「才能」

才能がほしい

有り余るほどの才能がほしい

両手の上に収まりきらないほどの才能がほしい

両手に有り余る才能を持っている人が羨ましい

何でもできている人が妬ましい

 

才能が有り余っている人、それはこの世界でごくわずかだ

でも誰だってそのわずかのうちに入りたい

そうやって何もできずに人生を終えていく人はたくさんいる

 

天才に生まれたかった

努力すれば誰だって天才になれるなんて、誰が言ったんだ?

私には何もできないじゃないか

努力するって何をしたらいいか分からない

どうして私には何もできないんだ?

何かをしたい、そう思って毎日を生きている

 

私には何の才能もないのか?

もう生活保護で節約しながら生きる未来しかないのか?

誰かの心に響く文章を書きたい

だからこうやってない才能をひねり出しているのだ

今の私にできる努力と言えば、こうやって文章を書くしかないのだ

 

誰か私を認めてくれないか?

私にだって夢はある

ささやかだけど夢がある

叶いそうもない夢がある

そんな夢を見て毎日過ごしている

夢なんて考えたこともなかった

それが今頃になって、叶うはずのない夢を見ている

私が文章を書いて人の役に立っているという、あり得そうもない夢を

 

誰かに必要とされたい

みんなそうだ、みんな誰かを必要としているし、誰かに必要とされたい

人はいつでも人を欲している

孤独では生きていけない

私は人の心の支えになりたい

それが今、この社会で役に立つことが何ひとつできていない

こんなんで生きてる価値があるのか?

 

人の役に立ちたい

人から求められたい

私に生きてる価値をつけてくれる人はいないのか?

私は価値がないとは思わない

でもその価値は誰からも認められていない

世界中の人から私という存在を認められたい

そうやって、すごいとか偉いとか言われて褒められたい

でも本当はたいしてすごくないし、偉いわけでもない

それでも誰かから褒められたい

 

私の人生こんなんで終わるのは嫌だ

夢を叶えたい

叶いそうもない夢を現実のものにしたい

でも本当は夢は遠くで見てるだけがいいのかもしれない

何が私にとって良いことなのか分からないよ

私の中の私は一体何を望んでいるのだろう?

答えなんてないのかなぁ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 熱が出ました。40度の高熱が2、3日続きました。熱を下げるための下剤を入れられたり、たんをとって調べられたり、病院内にあるCTで検査されたりしました。下剤でも熱は下がらず、検査でも原因は分からなかったので、別の病院に行くことになりました。父の友人が院長をやっているO病院はどんな人でも絶対に受け入れるということだったので、そこに行くことになりました。

 タクシーでも十分行けたのに、なぜか救急車で行くことになりました。一緒について来てくれた看護師さんに、救急車の中で、

「こんなことで使っていいんですか?」

と訊くと、看護師さんは

「これが正しい使い方」

と言いました。耳を疑いました。そういえばI病院での主治医の先生も

「骨が溶けるかもしれない」

と言っていました。だから急ぎたかったのでしょう。でも熱ぐらいで骨は溶けないと思います。死体を焼いても骨だけは残るのですから。この先生にも

「大丈夫か?」

と言いたくなりました。

 初めての救急車でした。あっという間に着いたと思うのですが、特に感動したりはしませんでした。それよりも幽霊に何か叫ばされたりしたらどうしようという不安の方が強かったのです。

 検査するために大勢の人が入る大きな部屋に運ばれました。骨髄液をとられました。横向きに寝て、おへそを見るように丸くなり、何もされてる感じがなく、すっととられたようです。痛みなどは全くありませんでした。

 それから尿をとりに女性の看護師さんとトイレに行きました。中間尿がいいらしく、ちょっと尿を出してすぐに止め、それから紙コップで受けて尿をとりました。はじめてでしたがうまくいきました。看護師さんも

「うまくできたね」

と言ってくれました。

 検査を待ってる時も幽霊が私の体を震わせてきていました。待っている間もただ待っているだけじゃなかったのでつらく、幽霊がこの先どんないやがらせをしてくるか分からず、不安でした。

 待っていたら遠くの方で父とこの病院の院長が話しているのが目に入りました。院長はまさか自分の友人がこんなことになっているなんてとびっくりしたそうです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはいつも通りです。ただこれから寒くなってくるので、全身のガクガク震えるのがあるのかと思うと、ちょっと憂鬱です。体調は前より良くなりました。幽霊さんのいやがらせが気持ち悪いと思えるほど良くなってきました。少しはマシになってきているのかなぁ?

私には生きてる価値があるし、誰にだってあるものだ。詩「早く早く」。眠りすぎてしんどい。

 こんにちは。花子です。

 ある文学賞に応募するエッセイを書いてみました。割といつも「私には何も書けない。私には何の才能もない」なんて思って悩んではいるのですが、書こうと思えば書けるものです。このブログもしょっちゅう書けないと思っていますが、書いてみると書けるものです。毎日外を歩いて、何かしら考えようとしているのですが、頭の中では音楽が流れているだけで、大して何も考えていません。時々思い浮かぶこともありますが、文章にすれば一二行で終わってしまうようなことばかりです。今日は「私は恋に恋してる」という文が浮かんできました。でもただそれだけです。誰か好きになれる人がいないかなぁと思いつつ、私はいつも誰かに恋してる訳ではなく、恋に恋しているのだと思います。学校でも好きな人はいましたが、あの子もかっこいいし、あの子も素敵、あの子は優しいし、あの子は魅力的、なんて思って、一人には決められず、結局誰とも恋することなく卒業しました。まぁ誰かいたとしてもきっと私にはどうにもできなかったとは思いますが。

 私は人並みに働いて生きていけないことに罪悪感を抱いています。アルバイトでもしてお金を稼がなくてはと思うのに、何もしてなくてもしんどくなるのです。ただ人に生かしてもらっているだけなのに、しんどくなるのです。これはもうどうしようもありません。私はこの世で生きてても死んでても同じ、とまでは言いませんが、社会参加ができていないことに変わりはありません。私の生きてる価値を人が決められるのなら、今の私には生きてる価値はありません。だって全く働いていないのですから。誰かのためになるようなことができてないと、人には生きてる価値はないのです。なんて思っている人は多いでしょうけど、みんながみんなそう思っている訳ではありません。少なくとも私の家族は私に価値がないとは思ってないでしょう。私は家族の役に立つことはやっています。私はこんなんでも生きてていいのです。

 人の生きてる価値はこの世の人が決められる訳ではありません。きっとこの世を統べる何者かが決めていることなのです。この世に生きてる価値のない人はきっとすでにこの世にいないでしょう。この世にいる人には全て生きてる価値が存在しているのです。でも誰かが自分の価値を否定してくる、そんな時がきっと誰にでもあるでしょう。しかしこの世に生きる人の存在価値を決められるのは私達ではないのです。だから誰かに「お前は生きてる価値がない」なんて言われたとしても、「そんなことを言うあなたの方こそ価値がないんじゃないですか」と心の中で思っていればいいのです。人は私達のことをほとんど何も知りません。自分のことを一番知っているのは自分なのです。だから誰かに何を言われても、「あなたは私の何を知っていてそんなことを言うのですか?この世の何を知っていてそんなことを言うのですか?一体どんな立場にいる人間なのですか?神様ですか?」などと思っていればいいのです。この世に自分より偉い人なんて存在しないのですから。なんて人を敬えてないように聞こえるかもしれませんが、尊敬できる人はいます。でも私を否定して存在価値を決められるような人はいないのだと言いたいのです。そんなことできるのは神様くらいです。みんなの命は平等にあるのです。私達は同じ地球で生きる、同じ人間なのです。だから蹴落とし合いなんて無意味なのです。みんなが平等に繋がり合える、そんな世界を目指している人はいっぱいいます。私もその一人です。みんなで生きやすい世界を作っていけたらと思うのですが。

 

 まずは詩です。

「早く早く」

早く早く

早くしないと間に合わないぞ

早く完成させないと、未来に困ったことになるぞ

 

本当に早くしないといけないの?

ゆっくり、のんびりしててもいいんじゃないの?

誰が早くすることを望んでいるの?

それは私か?

いや、私はゆっくりしたいと望んでいるはず

それじゃあなぜ私の頭の中では早くと聞こえるのか

どんなに努力してもどうにもなってない今が私を急かすのだ

どうにかなって、書くことが求められるという未来が早く早くと言うのだ

 

未来のために今書けることを、今すぐ全部書かないといけない気がする

でも未来なんてどうなるか分からないじゃないか

未来の自分が今の自分よりできないなんて決めつけるのはよそう

きっと今よりもっとできるようになっているはず

 

でもちょっと心配になる

いつか何も書けなくなるんじゃないか?

私の中から言葉が出尽くして、もう文章なんて書けないようになるんじゃないか?

そんな日が来るような気がして怖い

 

でも何も書けなくたって、私は生きていける

夢が叶わなくたって、私は生きていける

今、私は生きていけてる

この先も確実に生きていけるだろう

 

早く早くと言っても、早く死にたいわけじゃない

時間を無駄にすることなく生きたい

いつかひとりになったとしても、この今を振り返って、楽しかったなと思えればいい

でも早くひとりになりたいわけじゃない

本当はいつまでもこの大事な人達と一緒にいたい

今私にできるのは、可能な限り大事な人との時間を大切にすることだ

できるだけ一緒にいて、楽しい時間を共有したい

 

早く時間が経ってほしい時もある

でも早く時間が経って、何もできずに死んでいくなんて嫌だ

時間は意識して大事にしないと、私達はすぐに粗末にしてしまう

人生なんて一生暇つぶしなだけだけど、どうつぶすかが大事なのだ

生きている以上何もしない状態にはなれない

何のために何をする

そうじゃなくて、何をしたいから何をする、だろう?

死ぬために生きてるんじゃない

ただ生きていたら終わりが来てしまうというだけだ

 

今やりたいことをやろう

それも早くじゃない、ゆっくりのんびりだ

いつか本当に急かされる時が来るかもしれないが、その時はうまく対処できるようになっているはずだ

早く早く、そんな言葉忘れてしまえ

私の時計はゆっくり回る、そうだろう?

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 ある時私の頭の中に

「誰か来てー」

という言葉が浮かんできました。すると幽霊はその言葉を私に叫ばせました。すると男性の看護師さんがやってきて、

「誰か来たよ」

と言ってくれました。私が

「かっこいいですね」

と頭の中で言うと、また幽霊がそれを言わせました。看護師さんは

「でしょ?よく言われるよ」

と言いました。特に害のない言葉でしたが、幽霊に言わされるとすごく不快でした。

 起きていたら幽霊に叫ばされたり体を動かされたりするので、可能な限り眠っていました。でもいくら寝られる環境にあったとはいえ、眠るのにも限界があるので、昼間は起きている時間もありました。その時にはやっぱり叫ばされていたと思います。

 あまりにも目を瞑っている時間が長いと、近くのものが見えづらくなるとこの時はじめて知りました。夕食後ちょっと自由になる時間がありました。だから私は病院に置いてある漫画を読むことにしました。しかし漫画のセリフの文字が小さくて見えないのです。ずっと寝ていたらこうなるのかと驚きました。

 しかも寝てばかりいたので、起きるとものすごくしんどいのです。ちょっとでもマシになるようにと、夕食後の手足が自由になる時間にストレッチを少しだけしていました。それでもしんどいのはなくなりませんでした。

 看護師さんが病棟内の散歩についてきてくれた時もありました。詰所で看護師さん達がミーティングをしていたので、

「参加しなくていいんですか?」

と訊くと

「僕はもう帰るし、いいんだ」

と言っていました。

 幽霊が私に叫ばせたりなどして、私が変な行動をとっていたので、ほとんどお風呂に入っていませんでしたが、たまには入っていました。出てから髪を乾かしてもらっていたら、向かいの椅子に見たことある人が座っていました。この前の入院の時にOTで一緒になったことのある人でした。でもほとんどしゃべったこともないし、向こうも覚えてないと思い、声はかけませんでした。幽霊のいやがらせでそれどころではなかったというのもあります。

 この時私の髪を乾かしてくれていた人は、見かけが細く色黒でタバコを吸っていそうな声をしていて、なぜか私の中に「下種な人」という言葉が出てきました。でもいくら猥褻語を叫ばされたとはいえ、こんな人を傷つけるようなことは絶対に言わされたくありませんでした。だから頭の中で必死にその言葉を打ち消そうとしました。打ち消すことはできませんでしたが、幽霊にこの言葉を言わされなかったので、ほっとしました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは相変わらずですが、そんなことより私自身の体調があまり良くないので、どうでもよくなりつつあります。前みたいに「早く出ていってくれたらなぁ」なんて思い続けることはなくなってきたように思います。まぁいつか出て行ってくれるでしょう。なんて本当は今すぐ出て行ってほしいのですが。