幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

元気になってきたから、これからは楽しいだけの人生を。詩「私はこの世のすべてだ」。

 こんにちは。花子です。

 最近毎日いい感じに過ごせています。しんどい日がなくなってきました。前まで朝も起きられず、寝たくないのに起きられなくて、だらだらと寝ていたら、起きるのがものすごくしんどいし、日中もなんとなくしんどかったのですが、今は適切な睡眠時間で、起きるのが苦痛でなくなりました。ずっとこんな生活をしたかったのに、全然できませんでした。でも自分が望んだこととはいえ、本当に実現すると、まさかこんな日が来るなんて、という感じです。自分の人生は自分で作っていくものです。だから何を望むかが大事なのです。それが本当に心から望むことなら、必ず叶います。でも表面上しか望んでなかったら、深層意識で望んでいることが実現します。私は何を望んでいるのか、それはどうしたら分かるのか、それをいつも考えています。

 幽霊さんは年金をもらうために必要なものでした。私は必ずお金を手に入れてみせる、なんてニートだった私は思っていたのですが、まさかこんな形で実現するとは思っていませんでした。ニートでもお金がもらえる、それはこういう形でしか実現しなかったんだと思います。私には病気になることが必要でした。そしてそこから色々なことを経験しました。デイケアに行って、自分は人と付き合うことができない人間ではないと知りました。一人ですが、友達もできました。もう私にはどこかに通うことができないと気づいてしまったので、デイケアにも行けなくなりましたが、約八年間週に一二回でも行っておいてよかったと思っています。デイケアはリハビリですが、私には仕事に繋げられず、行ってる意味があったのだろうかと思わないでもないですが、自分の成長のためになったと思っています。あれがあったからこそ、今何もできなくても、自分は本当は人と関われるし、デイケアでの作業もできていたし、本当は通うことさえできれば働くことだって不可能ではないと思えるようになったし、たとえこの先なんらかの仕事ができなかったとしても、訪問看護の人とかに来てもらって、話し相手になってもらえばいいと知ることができたし、デイケアで得られたものは大きいです。

 私は無能なんじゃないかと思った時もありましたが、元気になれればこんなに色んなことができるのだと、改めて知りました。今の私は昔の私とは違います。たとえ今書いてるものがただの長い日記なだけだったとしても、たとえ今の努力が全く実らず、生活保護に落ち着くのだとしても、私は自分の人生後悔しません。後悔しないような生き方をしているからです。昔は後悔ばかりしていました。それはあれが本当の私の人生ではなかったからです。自分の人生は自分で作っていく、そう思えるようになってから、私の人生は本当に意味で始まりました。これからは私は自分で生きたいように生きられます。まだ自分を知ることが完全にはできていないので、自分の深層意識が何を望んでいるのか、はっきりしませんが、それを知って、そして自分が望む人生を生きられるように、努力していきたいです。私は努力家であるといつの頃からか思えなくなったのですが、今は自分は体調や精神面が良くなればこんなに色んなことができるのかと、改めて思っています。私は病気を克服して、楽で楽しいだけの人生を生きていこうと思っています。今の私に分かる私の願いは楽に楽しいだけの人生を生きたいということだけです。きっとそれは実現するでしょう、なんてまだ信じきれていませんが。

 

 それでは詩です。

「私はこの世のすべてだ」

私という存在は自分の中でこんなにも大きい

この世のすべてだ

私だけがこの世のすべてなのだ

私がこの世界の中心のはずなのに、なんでこんなに隅っこにしかいられないのだろう?

誰の目にも留まらないようなところでしか生きられていない

私は一体何になりたいんだ?

今の自分じゃない自分になりたいのか?

多くの人の目に留まればそれでいいのか?

でもそうなっても私はたいして変わらない

 

自分の大きさなんてたかが知れてる

私はこの世では小さい

なんの影響力もない

みんなと同じ、ただの一人の人間だ

ひっそりと生きて、人知れず死んでいく

そしてたぶん誰の中にも残らないだろう

多くの人がそうであるように

 

私から見た世界では私がすべてなのに、世界から見た私はなんてちっぽけなんだ

でもそのちっぽけな人の集まりがこの世界だ

私の世界は狭い

けどみんなの世界もそれほど広くはないだろう

この世界の広さが分かる世の中になったから、私のちっぽけさが際立つ

でも狭い世界で生きるのが普通なんじゃないのか?

 

当たり前の毎日は単調だ

同じことの繰り返しだ

それが生きるということだ

凡人は毎日同じようなことしかしない

そして私はその凡人なのだ

 

ただ生きてるだけ

生きるということをしているだけ

それだけで精一杯

毎日の気づきなんてない

何も考えずに生きている

でも私はそんな人生を望んでいた

 

何もせずに生きることができればどんなにいいだろう

なんて本当に何もせずにいることはできないことなのだが

でも生きるのに必要なことって、そう多くはない

何かができなくても、どこからか助けがやってくる

私は一人ではないのだ

この先も、私は誰かと生きていく

求めればきっと手に入る、私と一緒に生きてくれる人が

 

ちっぽけな私はこの世界の隅っこで、同じくちっぽけな誰かと、自分が世界の中心だと信じて、本当のことを知らずに生きていく

本当のこと、それはきっと自分がたいしたことのない人間だということ

でも自分は自分の中で一番大きい

 

それでいいのだ

自分を中心にこの世は回っている

そう信じて生きていいのだ

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはいつもと変わらずです。それでも幽霊さんがいなくなる日が少しずつ近づいてると思うと、とても嬉しいです。来年の3月にはきっといなくなって、ダイエットも成功して、気持ちを新たに、新しい人生を生きていけたらと思います。

ケント式ダイエットをし始めた。詩「呟く」。

 こんにちは。花子です。

 最近は体調がかなり良くなってきました。なぜかと言うと、食事内容を見直し、コーヒーを飲む時間を見直したからです。まず食事内容ですが、今流行りの食べ痩せというものをやり始めました。実は食べるダイエットはちょっと前からやってはいたのですが、完全にはできてなくて、今ようやくでき始めてきました。

 前からユーチューバーの計太さんや富永さんの動画を見ることがあって、代謝を上げるために食べる量を増やしましょう的なことを言っているのを聞いて、今の私に当て嵌まるのだろうかとか思ってはいたのですが、いまいち自分の体がどうなっているのか分からず、どうしたらいいのか分からなかったので、少しおにぎりを足したりするだけでした。でも最近ケント式ダイエットというのを知って、お米を今よりもっと食べないといけないことに気づき、完全にケントさんの言う通りにはできてませんが、お米を今までより多めに摂るようにしています。

 朝はオートミールをギリシャヨーグルトに入れて、そこにブルーベリーとバナナを入れ、全て混ぜて食べています。きっと糖質の量が足りてないと思うのですが、ケントさんも「朝はバナナとヨーグルトだけでもいいから食べて」と言っていたので、今のところそれを食べています。と言うか、この朝ご飯は2025年の2月から始めていて、その時はドムスさんが紹介していたレシピで作っていました。その時ははちみつを入れていたのですが、ただ甘くなるだけなので、はちみつはやめました。その方が食べやすいです。たぶんこれからもこんな朝ご飯を食べていくと思います。

 そして昼は大根、人参、セロリ、玉葱、押麦、ひき肉の入った赤だしを玄米と一緒に食べているのですが、これだけでは糖質が足りないので、イオンの塩むすびを足して食べています。時々鶏肝も食べます。毎日同じものを食べて、週に一回外食をしています。

 晩は前と変わらず、主食主菜副菜をバランス良く食べることを心がけています。私は週に二回しか晩ご飯を作らないので、あとは大体父が作っているのですが、毎日のことなので、完璧にはできません。それでも用意はしてくれるので、ありがたく食べています。一応野菜を多く入れるとか、そういう工夫はしてくれます。腹が膨れればそれでいい、という考えではありません。親子丼でもピーマンや人参が入ってたりします。

 間食はおにぎりやさつまいもと聞いたので、午前中はイオンの塩むすび(小さめの二個入りを買って、一つは間食、一つは昼ご飯にしています)で、午後は冷凍焼き芋を買っておいて、お腹が空いたら食べています。お腹が空かなければ午後の間食は無しです。

 コーヒーは起きてすぐに飲むとコルチゾールの分泌がうまくいかなくなるらしいので、起きて二時間以上経ってから飲むようにしました。そうしたら最近は朝五時ごろ起きるようになって、睡眠時間が八時間くらいになりました。前まで十二時間くらい寝ていたのに。

 結構食べていますが、体重は増えることなく、かと言って減ることもないのですが、今のところいい感じです。それにただ体重を減らしたいだけではなく、私は元気に過ごせることが目標だったので、今それが叶ってきているのがとても嬉しいです。きっと夜の糖質が足りなくて、夜間低血糖になって、眠りが浅くなっていたのだと思います。それが睡眠が深くなってきて、朝に起きられるようになりました。今日で本気でダイエットし始めてから一週間と五日になります。まだまだ先は長いですが、今の私は無理をしていないので、これからもずっとこんな生活ができれば、それに越したことはありません。

 

 それでは詩です。

「呟く」

今の生活に不満があるわけではない

むしろ喜んでいる

こんな生活、ずっとしたかったのだ

未来は決して暗くはない

けど明るいだけではない

 

もう終わりにしたい

今が良いうちに何もかも終わりにしたい

でもこの先思いもよらない良いことが起こるかもしれない

それなら今終わるのはもったいない

生きられるだけ生きないともったいないのだ

 

死にたいなぁと呟いてみる

そんな自分誰にも知られたくない

けど、ちょっと思ったりしてみた、その事実は消えない

 

やっぱり死にたくない

死にたくないのだと涙が出た

自分が死ぬことを考えたら、ちょっとだけ涙が出た

 

終わりは見えない

私の人生の終わりは見えないのだ

何も見えないから、手探りで進むしかない

いいことばかりでもないけど、悪いことばかりでもない

 

自分にしかできないことがあるから、生きる意味が生まれる?

本当に私にしかできないことはあるのか?

別にそんなことなくてもいい、けどあったら何かが変わるだろうか?

 

「未来を変えたい」とかつて私は言った

でもその時望んでいた未来は今の私を見れば、確実に実現し得ない

ただの妄想でしかなかったのだ

 

なんとなくこんな人生を生きるのだと分かっている気がする

今終わってもあまり変わらない気がする

もう終わりにしたいような気がする

でもおばあさんになってみたい気もする

体験できることはすべて体験してみたい気がする

 

私が長生きすることを望んでくれる人はこの世にいないかもしれない

でも自分が自分のために長生きすることを望みたい

生きるなら、自分のために生きたい

そして自分のために死んでいきたい

もう十分生きたと思えるくらい生きて、その後に死にたい

今はまだ早すぎる

私の人生いつか終わる

何もかも終わっていくのだ

 

生きられないほどつらいことはこの先ないと思う

だからちょっとだけ呟いてみるだけにする

「死にたいなぁ」なんて、本当は思ってないよ

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはもういなくなる準備をしてくれている気がします。まだ幽霊さんの出なかった日はありませんが、だいぶましになってきました。後は読書中の手の震えがなくなれば、もういなくなったも同然です。後約7ヶ月、頑張って耐えていこうと思います。

これまでの不幸はこの先幸せを感じるために起こったものなのだ。詩「真実」。

 こんにちは。花子です。

 ミナミAアシュタールからまたこんな閃きを得ました。それは「今までにあった不幸な出来事は、未来に幸せを感じられるようになるために起こってきたものなのだ」というものです。ミナミAアシュタールでは「思考が先、現実はあと」とよく言います。それに自分の人生は自分で作っていくものなのだというようなことも言われています。今までの人生、起こってきたことは全て自分の思考が生み出したもの、ということは今の自分の現状は過去の自分の思いが作り上げたものなのです。そして過去の自分は何を望んでいたのでしょう?それはたぶん「幸せになりたい」といことだったのだと思います。きっと人より幸せになりたい思いが強すぎて、そのためにこんな不幸を呼び寄せてしまったのでしょう。本当の不幸を知らないと、幸せを感じとることもできないのですから。

 でもこれからは違います。これからの未来今までとは違って、「楽で楽しく幸せな人生」を生きたいと願っています。この思考は割と最近のものなので、叶うのには少し時間がかかるでしょう。でも願い続けていたら、きっと叶うはずなのです。きっと今も叶おうとし続けている最中なのだと思います。ここでやっぱり私には不幸な人生しかないんだわとか思って、また不幸な人生の方へ舵を取ってはいけないのだと思います。今までは「これからも乗り越えてはまた壁ができ、またそれを乗り越えていく、という人生になるのだろうな」とか思っていましたが、もうそんなこと全く思いません。一度思ってしまえばもうそれは取り消せない、というものではないそうです。違う思いが出てきたら、また願い直せばいいようです。私もこれまで自分の人生には試練がつきものと思っていたのを改めて、これからは今まで苦しんできた分幸せに生きたいと思って生きていこうと思います。

 私はただ普通に生きたいだけなのです。みんなと同じ、という意味ではありません。人から見たら少しおかしくても、自分にとってそれが普通なら、そっちを選んで生きていきたいのです。今の私には自分にとっての普通の生き方で生きられる人生の有り難みをとてもよく感じられます。もう異常な自分を正しいと思い込ませることにうんざりしたのです。あんな苦痛を味わうことはもうありません。一度乗り越えた壁はもう二度と自分の前では壁にはならないのです。同じように見えても全く違う壁なのです。そしてもう私の前には乗り越えるべき壁は、二度と、とまでは言い切れませんが、現れないでしょう。もう私はこれからの幸せを感じとるのに必要なだけの不幸は経験してきました。これからは楽に生きていく、それが可能になると信じています。

 必ず起こる不幸というものは避けられません。それは家族の死です。でもそれも乗り越えた先にきっといいことが待っているだろうから、と思って乗り切るしかありません。人の死はどうしたって避けられないものなのですから。死があるから、今を大事に生きられるのだと誰かが言っていました。今の所自分の身に必ず起こることは死しか分かりません。でもだからこそこれからの人生自分の思い通りになるのです。肝心なのは間違ったことを願わないことだと思います。無意識に不幸を呼び寄せてしまう人もいるようなのです。でも私はこれから自分にとっていいことだけを選択していく、と思って、一つ一つの選択を大事にしていこうと思います。人生はきっと良いものであるはずなので、それを信じて生きていきます。

 

 それでは詩です。

「真実」

安心したい、と多くの人は願うだろう

何でもいいから安心させてくれ、と願う人もいるだろう

この際それが真実とは違っていてもいいから、とにかく私を安心させてほしい、と願う人もいるだろう

 

不安なことは自分の中から消し去りたい

ほっとする時間が人には必要だ

いっそのこと一生ずっとほっとしていたい

無理な話だが

緊張することがあるからこそ、ほっとできる時間があるのだから

 

不安なこと、それは一体なんだろうか?

どうしたら安心できるようになるだろう?

不安で不安でたまらなくなる時がある

薬を飲んでも治らない

もういっそ何も考えられないロボットにでもなれないかな?

そうしたら何も感じなくて済む

でもそれだったら安心することもなくなるわけだが

それでもいいから、何も感じなくなりたい?

いや、やっぱり人として生まれたのだから、何かを感じて生きていたい

 

分からないということは人を不安にさせる

人はその不安から逃れたいと常々思っている

だから人は分かっているという安心感のために、何かを犠牲にするのか?

真実を見る目というものを潰してしまうのか?

 

真実は良いものばかりではない

時に人を苦しめる

それなら自分が苦しまないように、真実から目を逸らしてしまえばいい

真実を自分の良いように、好き勝手に書き替えてしまえばいいのだ

でもそんなことしたら、自分じゃない誰かが苦しむことになる

人のことなんて知らない?

自分さえ良ければそれでいい?

そんな人がいるから、この世はおかしくなるのだ

 

みんなで真実を見ようよ

どんなにつらい真実だったとしても、真実を見てあげないと、真実は悲しくて泣いてるよ

この世にたった一つしかない真実、それが置いてけぼりにされている

誰も振り返らない

なかったことにされてしまう

でも確かにある、そこにある

私は真実を見ることで、心が苦しくなるとしても、やっぱり真実を見ていたい

その苦しみも、いずれはただの思い出になるのだから

 

私の目は真実だけを映す

この世のすべてをありのままに見ることができる

私の目に映るものを否定しない

どんなものでも真摯に受け止める

とは思っているが、果たして本当にそうだろうか?

私の目は濁ってはいないか?

目の前に変な膜が張られてはいないか?

分からないという不安感から、何かを作り出してはいないか?

そうやって知らないうちに人を傷付けてはいないか?

 

私も人のことは言えないのだ

真実を見ているつもりになっているだけなのかもしれないのだ

それでもいい、私は分からないという不安を抱えてでも生きる

だって私の願いは真実を見つめて生きることなのだから

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはだいぶなくなってきました。このまま本当にいなくなりそうです。あと7ヶ月はちょっとつらいのを我慢して、それからは楽に楽しく幸せな人生を送っていきます。

自分にとって本当に良いこととは?詩「積む」。

 こんにちは。花子です。

 良い言葉を使うようにしましょう、とか、前向きになりましょう、とか、できないという思考からできるという思考に変えましょう、とか言いますけど、それって本当に自分にとって良いことなのでしょうか?言っている人達は良かれと思って言っています。本当に良いことなのかもしれません。でも私には全ては当て嵌まらないような気がするのです。

 良い言葉を使って、本当の自分の言葉を覆い隠してしまうことが本当に自分のためになるのでしょうか?しんどい時に「いや、しんどくない、楽しい、楽しい」とか言ってたって、しんどいのはなくなりません。それはしんどいにフォーカスしているからだと言われるかもしれませんが、それなら素直に「しんどいなぁ、それじゃあ今私はどうしたら楽になれるようになるのだろう」と考えたり、「今の自分にとって一番良いことって何だろう」と考えたり、「もう寝てしまって、考えるのはよそう」とか思ってる方がいいような気がするのです。自分の気持ちは素直に感じ取る、そこから自分はどうしたいのかを考える、その方がいいんじゃないでしょうか?たまには「クソむかつくぜ」とか思っても、そういう自分はどうしてほしいのかと考えることで、解決策は見えてきます。

 この前お米を買った時、「袋は要りません」と言いました。それで「袋もらわなかったけど、よかったよね」と人に言ったら、「もう今からじゃもらえないんでしょ」とか「うーん」とか言ってるだけで、私のほしい言葉は言ってくれませんでした。私はただ「それでいいよ」とか「あなたは間違ってないよ」とか「袋なんて使わないんだし、いいんじゃない?」とか言ってほしかっただけなのです。でもその人は何を考えていたのか分かりませんが、私の言ってほしかった言葉は言ってくれませんでした。そこで私はその人に何か感情をぶつけるのではなく、自分はどういう気持ちだったのかと考えるようにしました。すると上記のようなことが思い浮かび、私はその人に腹を立てているのではなく、ただ自分が正しいのだと思いたかっただけなのだということが分かりました。その時私は「なんでこの人は人を思いやるようなことが言えないんだろう」と思っていました。私が正しい、そう思いたかったのです。実際私は袋をもらわなくてよかったと思っていたので、「この人はもらえるものはもらわないといけないとか思っていたのだろうか」とか「自分勝手な人だな」とかそんなことを思ってしまっていたのですが、別にそういうことでもなかったようです。ただ本当にどっちか分からなかっただけなんじゃないでしょうか。もうその人はそんなこと完全に忘れてしまっているでしょう。ただ私が間違ってないと思いたかっただけなのでした。

 自分を見つめる、それが今の自分にとって必要なことだと考えています。だから今はまだ何も出来事が起きていないのだと思っています。でももうすぐしたら、何かが変わる、そう感じています。夢はただ遠くにあって手の届かないものだなんて思っていましたが、今はきっとあれは幻ではない、もうすぐ現実になるのだと思っています。思いは実現する、後は何を願うか、なのです。

 

 それでは、詩です。

「積む」

今までずっと下積みしてきた

ずっとずっと私の中で何かを積み重ねてきた

なのに見える何かは上になかなか積まれない

 

私の人生積んでるだけで、詰んでいる

もう終わり、なんて言うにはまだまだ早いけど、始まりもしていないのは事実だ

今までに積んできたものなんて、もう消え去っているのかもしれない

見えないものはないのと同じ?

いや、同じではないはず

きっといつか日の目を見る日が来ると信じて、今を生きている

 

今できることを私は最大限にやっている

それが報われるか否かは不明だ

でも大事なのは報われることではない、それに向かって進んでいる今だ

報われた後より、それに向かって努力している時が一番楽しいと誰かから聞いた

私は楽しんでいるのだ

下積み生活を楽しんでいるのだ

何にもならなくても、楽しければそれでいいのだ

 

私より若い人が成功している一方で、私は日陰の身だ

本当は私だって成功したい

 

絶対に手に入らないもの、それがほしい

絶対に手に入るもの、それも大切にしたい

何も変えることなく、何かを変えたい

楽しいばっかりの人生、いつかきっと手に入るはず

それに向けて努力している今、それはすごく楽しい

私が積んでいるもの、それが見えるのは自分だけだ

 

私は何かを積んでいる

自分の中に確実に何かを積んでいる

それを誰かに見てほしい

私の中身を誰かに見てほしい

そしてもうきっと人からは馬鹿にされることはないはず

だってしっかりとした私という存在がここにはいるのだから

 

何を言われても、私は崩れることはない

あの時の自分はもう消えた

グラグラ揺れていた自分を私は支えることができるようになった

もう揺れやしない

そんな時から私は自分を積んできたのだ

 

もうこんなに自分が積まれている

決して楽しいばかりではなかったけど、これからは違う

私は人生楽しめる、もうすでに楽しめている

もう少し自分を積めば、みんなにも私が見えるだろうか

誰かに見せてみたい、こんな私を

 

凡人ですらないけど、凡人を越えてみたい

非凡な人と言われたい

そのために私は積むのだ

 

こんな文章じゃ才能があるなんて言われないだろうけど、それでも自分の中にある何かを信じたい

それを信じられたら、今まで積んできたものも無駄じゃないだろうか

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは割とおとなしいです。右手の震え、左足の違和感、それくらいになりました。変顔がほぼなくなりました。でも時たま乗っ取られ感が出そうにはなります。そういう時はじっとしてたら治ります。後7ヶ月で幽霊さんもいなくなることでしょう。期待します。

「ミナミAアシュタール」で学んだこと。詩「標準装備」。

 こんにちは。花子です。

 最近父から教えてもらった「ミナミAアシュタール」というのにはまっています。波動エネルギーとかパラレルワールドとか宇宙人とか、色々出てくるのですが、その中でも私も共感できると思った考えがあって、それは自分の人生は自分が作り出している、というものです。そしてこれからの人生全て自分が作り出していくものだということです。

 私の人生今まで全て自分が作り出したものだと思っています。こういう環境に生まれついたのは自分がそれを選んできたからです。私は生まれる前は絶対無限の存在でした。そこからこの世に出てきて、色々な体験をして、また絶対無限の存在へ帰っていくそうです。そう言われて、なんとなく腑に落ちるものがありました。私の生きてる意味は絶対無限の存在が色んな体験をしたいと思っているからなのか、と思うとそんな気がしてきます。昔は私も生きてる意味を考えたりしました。その答えが「ミナミAアシュタール」から分かったのです。

 正直幽霊さんは自分が望んだものではないと思っていました。だってこんなに苦しいのを自分から望むわけがない、そう思っていたのです。でも私の無意識は幽霊さんを望んでいました。幽霊さんが入ってきたことで年金がもらえるようになりました。私はたとえ健常者だったとしても働けなかったので、私には年金が必要不可欠だったのです。それにデイケアという場所に行くことができて、それまで自分は人と関われない人間なんだと思っていたのが、自分も人と関われる人間なんだと再発見しました。

 そして私は強くなりたいと思っていた時がありました。その時はどうやったら強くなれるかが分からず、ただ望んでいるだけでした。でも幽霊さんが入ってきて、様々ないやがらせをしてきたことで、私は強くなったような気がします。私の願いは幽霊さんのいやがらせという形で実現したのです。願いが叶うというところまでは分かるのですが、それがどういう形をとって現れるのかは分かりません。私の場合それが幽霊さんに憑依されるということだったのです。

 憑依されるのは自分が誰かに助けてほしいと思っているという状態にあるからなんだそうです。最初に幽霊さんが入ってきた時、私は正しく誰かに助けてほしい状態でした。精神的に参っていて、もうどうしようもないところまで来ていました。だから幽霊さんに付け入られたのです。そしてそこから抜け出すのに時間がかかりました。でも確実に幽霊さんは一度私の中から出て行ったのです。そしてまた入ってきたのですが、今度こそ出て行ったら二度と入って来ないようにするつもりです。もう私には幽霊さんは必要ありません。もういやがらせも要らないのです。思考が先、現実は後、と「ミナミAアシュタール」でも言っていました。今の願いが叶うのはもう少し後なんだと思っています。私の願いはきっと叶う、それは昔から思ってきたことです。今はまだ幽霊さんのいない人生が来ることを完全には信じ込めていませんが、きっと必ず来るのだと信じて、今を乗り切っていきたいと思います。

 

 さて、詩です。

「標準装備」

標準装備の私

きっとこれが私の中で普通の私

もうあんな自分にはならないし、なろうとしないだろう

だって苦しいだけだもの

 

自分はここにいた

知らなかった、ここに私がいることを

でも知った

と言うより、見つけるか壊れるかの二択だったのだ

私はすでに壊れかけていた

でも私には時間があった

自分を取り戻すための時間がたっぷりあったのだ

 

ここにいる自分が見えなかった

自分で自分にくっつけたいらないものばかりに目が行って、肝心の自分はほとんど見えていなかった

でもそのいらないものを少しずつ剥がしていって、ようやく自分が見えてきた

 

そう言えばあの時だって、自分はいたよなぁ

それを無視したから、今こうやって本当の自分を妄想するのだ

確かにあの時、私はここにいた

消し去ろうとしていたそれが、本当は大切なものだったなんて、あの時の私には分かるはずもなかった

ただただ邪魔なものだと思っていた

みんなと同じになれない私はこの世から消え去ってほしかった

でも自分がなくなったら、ここにいるのは一体何なんだ?

 

私は私でしかいられない

それに気づき、心の底から納得するのにだいぶ時間がかかった

私は自分を大切にしていいのだ

こんな自分でも、堂々と生きていいのだ

私を消し去ることなんて、望まなくてもいいのだ

 

私はここにいる

ここでこうして生きている

そう、私は生きているのだ

どんな生き方をしたって、誰にも文句は言わせない

だって人の人生にケチをつけられる人なんて、本当はこの世にいないはずなんだもの

みんな自分の人生を讃えて生きていけばいいのだ

自分の人生を良くすることを考えて、毎日を過ごせばいいのだ

 

重い鎧はいらない

使えない武器もいらない

いつも通り、身軽な私で生きていきたい

自分で良いと思える人生を、標準装備で生きていきたい

私は何かと戦って生きたいわけじゃない

敵なんか作らないし、最低限の装備だけでいいのだ

 

みんなの着ているものが羨ましく見えたあの頃

もう私はあの頃の私ではない

自分はここにいるし、身につけているものもこれでいい

これなら私は自由に動ける

私はこの人生この私で生き抜くのだ

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、「ミナミAアシュタール」を参考にして、波長を合わせないようにする、というのを実行していたら、本当にいやがらせが減ってきました。本当はどうしたら波長を合わせないで済むのか分かってないのですが、とにかく考えないようにして、後8ヶ月、何とか乗り切ろうと思います。

しんどかったり、食欲を我慢できない日々。詩「目を瞑れば」。

 こんにちは。花子です。

 みなさんはしんどくなることはありませんか?私はあります。高三の終わり頃からしんどいという状態を知って、そこからしんどさを知らない状態を思い出せなくなりました。子供の時は特別です。しんどいなんて他人事でしかありませんでした。それがまさか自分の身にもやって来るなんて、思いもよりませんでした。

 祖母が「うつの人って本当にしんどくなるんだってね」と不思議そうに言っていました。祖母は元気な人で、ほとんどしんどくなったことがないようです。そして今95歳で元気に生きています。この前母と兄と一緒に会いにいきましたが、背中もそんなに曲がっておらず、耳は少し遠くなっていましたが、普通に生きていました。まだまだ生きてくれそうです。

 最近はなぜかしんどくなって、起きていられない時がよくあります。朝9時ごろ起きて、昼寝を2、3時間して、夜は9時ごろ、もしくはもう少し早く寝たりしてしまいます。夕食後に起きていられなくて、夕方6時ごろから寝て、途中少し起きて、また朝まで寝る、ということもあります。食事はかなり良い食事になっているし、運動はあまりできていませんが、やれる時はストレッチなどをするようにはしています。変な糖質制限や肉を食べないとか少なすぎる食事量とかしていないのに、なぜかしんどくなるのです。それは雨の時が多いような気がしています。低気圧というやつでしょうか?今の私にはこれ以上改善できるところがありません。どうしたら毎日元気に過ごせるのでしょうか?

 比較的元気に過ごせている時でも悩みはあります。お菓子を食べすぎてしまうのです。さっきも書いたように食事は工夫して良い食事を摂るようにしています。昼もおにぎりを足したりして、糖質制限にならないようにしています。週一ぐらいでレバーも食べるようにして、栄養を摂るようにしています。それでもどうしてもお菓子が食べたくなるのです。今日は図書館の帰りにミスタードーナツに行って、ドーナツ2個とアイスコーヒーを食べました。昼にしっかりとご飯を食べたはずなのに、です。でも我慢はできません。前にも我慢しようとしましたが、全然うまくいかなくて、シュークリームとアイスを食べた時がありました。その時はアイスを食べていると、なぜかほっとして、気分が落ち着いてきました。私の体に一体何が起きていたのでしょう?とにかく食べたくなった時はもう食べるしかない、そう思っています。

 今の私は下腹が出ていて、ドーナツを食べる前にも、父に「この腹じゃドーナツはダメでしょう」とか言っていたのに、どうしても食べたくて、食べに行ってしまいました。ご飯だけで満足できるようになりたいのですが、お菓子を食べたいのも本心です。どうにかしてお菓子を食べながら太らない体になれるようになりたいです。父はよく「我慢は体によくないよ」と言うのですが、ある程度は節制しないと太っていってしまいます。でも我慢はもう本当にできないと知った今、何とかこれ以上は太らないように生活を工夫するしかありません。運動ができるほど元気になりたいのに、なかなかできるようになりません。とにかく今の生活を続けて、太らないようにしていきたいです。

 

 さて、詩です。

「目を瞑れば」

目を瞑れば暗闇が見える

その先には一体何があるのだろう?

目を閉じた私はそこに何を見るのだろう?

何も見えやしないのに、私はその暗闇を「見て」いる

そして探している

私は何を探しているのだろう?

私の望むものはそこにあるのか?

 

いつか思った、「あの真っ暗闇が恋しい」と

なぜ私は暗闇を求めるのだろうか?

何もない無の世界?

私はそれが恋しいのだろうか?

 

何もないところに行ってみたい

そして何もせずに過ごすのだ

つらいことも苦しいこともない

でもその代わりに楽しいことや嬉しいこともない

本当に何もない世界

 

寝る前になったら、少しだけその世界に行ける

寝てる間、その世界を歩き回る

そして目が覚めて忘れる

私はきっと毎日無の世界には行ってるんだろうけど、覚えてない

暗闇に行ったからって、何かが得られるわけでもない

それでも憧れるのだ、あの闇の世界に

でも今から求めなくても、人は皆いずれは本当の無の世界に行く

 

無なんて、本当はそんなに良いものでもないのかもしれない

ただ何もないだけなのだから

やっぱり多少つらくとも、この何かある世界で生きられることを大事にしたい

だって楽しいことや嬉しいこともたくさんあるのだから

 

一度は行きかけた、あの無の世界から戻ってこれてよかった

もう生きられないっていうほどつらかったけど、それもなくなりそう

私はこの先、何かある世界を何もない世界に向かって生きていくのだ

生きられるうちは暗闇を求めなくてもいいだろう

最後は嫌でも暗闇に取り込まれてしまう

 

何もないことが羨ましいと思えないほど、毎日が充実していてほしい

つらいことも少なくなって、楽しいことが増えてほしい

生きてる、何かがある、ありすぎる、そんな毎日を大切にしたい

 

この先私は何かを少しずつなくしていくだろう

最終的にはこの体もなくなって、無の世界に行く

それまでどう生きよう?

毎日「今が一番良い」と思える生き方をしたい

いつかなくなってしまうとしても、何かを積み重ねていきたい

楽しい思い出も、つらい思い出も、いずれはただの思い出に変わる

そしてなくなっていくのだけれども、それまで大切に取って置きたい

誰に見せるわけでもないけど、自分の中でそれは大きいものだ

 

いつか暗闇にすべて放り投げる

そして何もかも見えなくなる

そんな未来を私は見ている

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、まだまだいやがらせがあります。読書中に右手を震わされるし、書いていたら左足の指に力を入れさせられるし、変顔も毎日あります。でも幽霊さんもあと約8ヶ月になりました。それまで耐えたらきっといなくなってくれると信じて、今を乗り切ります。

苦しかった学校時代。詩「何もない」。

 こんにちは。花子です。

 学校というストレスがなくなって、とても気楽になりました。高校を卒業してからすぐは、学校時代の洗脳のようなものから抜け出せず、ニートの私はいけないものだと思い込んでいました。努力が足りないだけ、頑張ればみんなと同じ生活になれるはず、そう思って何とかみんなと同じ土俵に立とうとしていました。でも私には無理なのです。初めから私にはこの社会に適合することができなかったのです。自分を知るようになってから自分には何ができるのか、分かるようになってきました。むしろ何をやりたくないかが分かってきたと言えるでしょうか。私には学校のような場所に通うことはできません。ある時までそれができないということが分かっていませんでした。だって小学校にも中学校にも高校にもみんなと同じように通っていたのですから。でももう無理です。高校の最後でもう無理だと私の心は悲鳴をあげていました。もう私には学校には通えない、そう感じていたのです。

 高校の最後の方で担任の先生に面談をよくしてもらっていたことを思い出します。階段の近くの小さな部屋で私と先生は斜めに向かい合って、話をしていました。いや、話というより私はただ泣いていただけだったのですが。あの時の私はよく泣いていました。涙が溢れて止まらなかったのです。なぜあんなに泣いていたのか。今の私なら分かります。もう学校に行きたくない、勉強もしたくない、そう思っていたのです。でもあの時はそうはっきりと思っていた訳ではなく、ただしんどくてつらいことしか分かりませんでした。涙が唯一の自己表現でした。それで何かを分かってほしかったのですが、それは無理な話でした。学校の先生には学校が苦痛である心理が分からないのです。だから私は何も言えませんでした。どうせ分かってもらえない、そんな気がしていました。でも何とか苦しみから逃れたくて、先生に会って涙を流していたのです。

 「なんで自分だけこんな思いをしないといけないんだって思ってる?」と訊かれました。でも私はそんなこと思ったこともなく、ただ「いやぁ、、、」と言っただけでした。でも今なら言えます。本当にあの時の苦しみは普通の受験前の苦しみなんかよりもっと苦しいものでした。でも先生には私も受験前にちょっと調子を崩すよくある子と思われていたようです。違うのになぁ、なんて今更思ってみてもどうにもなりません。もう先生に伝えることはできなくなったのですから。

 あの子とはメール交換をしていたのに、どうして私はできなかったのでしょう?私も今なら普通に話ができるのに、もう何もかも遅いのです。あの時はもう会い続けることはできませんでした。もう生徒と先生という関係じゃなくなったからです。そんな人と会ってたって、意味がないのです。学校でのできなくなってたことを代わりにやってもらうことがあの時の私には必要でしたが、卒業してしまえばもうそれが必要なくなるのです。だからどうせ会っても泣いてるだけなのですから、会いに行けないなぁと思ってしまったのです。

 このおかしな自分は自分でないと治せない、そう感じていたと思います。おかしくなってることは何となく分かっていました。でも何がどうなっているのかは全く分かりませんでした。それでも今のままでは生きていけそうにない、そう思いました。そして考えて、考えて、考えて、今に至る訳です。今はもう自分がどんな人間かだいぶ分かるようになりました。あとは本当に幽霊さんがいなくなるだけでいいのです。それさえ叶えば、あとは何とかなります。あと約9ヶ月、耐えていこうと思います。

 

 さて、詩です。

「何もない」

何もない

苦しみも楽しみもあるが、今の私、何もない

それがかなり心地良かったりする

楽に生きられるようになってきた

私は自分を苦しめるようなことはしない

かつてしていたそれを、今の私はしていない

それもかなり心地良かったりする

 

私はなりたい自分になれるだろうか?

こんな自分、私は好きだ

人と笑って話せる自分のことが私は気に入っている

なりたい自分がどんなのかははっきりとは分からない

でも人生楽しく生きようとして、そう努力している自分がいる

これから先の人生、どういう自分がそこにいるのか、自分でも分からない

それを見ていくのが生きていくということだろう

 

自分の中から生まれるものがある

それは自分の予期していなかったものだったりする

そういうのを見つけるのは楽しい

本当に自分の中から出ているのか分からない時もある

自分で自分に感心する

「うまいこと書いてるなぁ」なんて思うのだ

でも自分の中が空っぽになることもあって、そういう時はちょっと苦しい

 

何もない、この感じは自分から何も出てこないのとは違う

何もない、それはなんだかすっきりしている

何もない、だからこそ新しい何かが生まれる気がする

何もない、何もなくても焦らずに時を過ごせる

何もない、そんな状態になりたいと思っていたんだと思う

 

私は自分の声を聞いて生きたいと思う

そしてその時々に浮かんでくる自分像を見ながら生きるのだ

自分のことは自分でも分からない

でも自分以上に自分が分かる人もいない

人に見せていない自分がここにはいるのだ

 

「何もない」と喜んでいる姿を人は知らない

この何もなさは人には伝わらないからだ

この感情をわざわざ口にはしないのだ

でも誰にも知られたくないわけではない

私の真実の姿を人に知ってほしいとは思う

そしておもしろがってくれたら、なんて思うのだ

 

何もない時、私は何もしなくていい

ただボーッとしていたって、なんの罪悪感も感じない

誰も私に期待していない

しているのは私だけだ

でもこの何もないと感じる時、その期待すらもなくなる

 

何もなくなる

そんな時間を大事にしたい

無になれたら、生きるのが楽になる

私はこの何もない感が無だとは思わないけど、近いものだとは思う

 

もう何もない

あるけどない

今あるものすべてをなくせたら、生きるのが楽しくなる気がする

いずれは「ある」に戻ってこないといけないけど、私はこの「ない」感を大事にして生きたい

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはいやがらせがちょくちょくあります。頭をぶんぶん振り回されたり、壁を叩かされたり、変な顔にさせられたり、少ししんどくならされたり、などと小さいものがたくさんあります。でもそれもあと9ヶ月だと思うと、今は耐えられます。今がつらいだけ、そう思って乗り越えていきます。