こんにちは。花子です。
良い言葉を使うようにしましょう、とか、前向きになりましょう、とか、できないという思考からできるという思考に変えましょう、とか言いますけど、それって本当に自分にとって良いことなのでしょうか?言っている人達は良かれと思って言っています。本当に良いことなのかもしれません。でも私には全ては当て嵌まらないような気がするのです。
良い言葉を使って、本当の自分の言葉を覆い隠してしまうことが本当に自分のためになるのでしょうか?しんどい時に「いや、しんどくない、楽しい、楽しい」とか言ってたって、しんどいのはなくなりません。それはしんどいにフォーカスしているからだと言われるかもしれませんが、それなら素直に「しんどいなぁ、それじゃあ今私はどうしたら楽になれるようになるのだろう」と考えたり、「今の自分にとって一番良いことって何だろう」と考えたり、「もう寝てしまって、考えるのはよそう」とか思ってる方がいいような気がするのです。自分の気持ちは素直に感じ取る、そこから自分はどうしたいのかを考える、その方がいいんじゃないでしょうか?たまには「クソむかつくぜ」とか思っても、そういう自分はどうしてほしいのかと考えることで、解決策は見えてきます。
この前お米を買った時、「袋は要りません」と言いました。それで「袋もらわなかったけど、よかったよね」と人に言ったら、「もう今からじゃもらえないんでしょ」とか「うーん」とか言ってるだけで、私のほしい言葉は言ってくれませんでした。私はただ「それでいいよ」とか「あなたは間違ってないよ」とか「袋なんて使わないんだし、いいんじゃない?」とか言ってほしかっただけなのです。でもその人は何を考えていたのか分かりませんが、私の言ってほしかった言葉は言ってくれませんでした。そこで私はその人に何か感情をぶつけるのではなく、自分はどういう気持ちだったのかと考えるようにしました。すると上記のようなことが思い浮かび、私はその人に腹を立てているのではなく、ただ自分が正しいのだと思いたかっただけなのだということが分かりました。その時私は「なんでこの人は人を思いやるようなことが言えないんだろう」と思っていました。私が正しい、そう思いたかったのです。実際私は袋をもらわなくてよかったと思っていたので、「この人はもらえるものはもらわないといけないとか思っていたのだろうか」とか「自分勝手な人だな」とかそんなことを思ってしまっていたのですが、別にそういうことでもなかったようです。ただ本当にどっちか分からなかっただけなんじゃないでしょうか。もうその人はそんなこと完全に忘れてしまっているでしょう。ただ私が間違ってないと思いたかっただけなのでした。
自分を見つめる、それが今の自分にとって必要なことだと考えています。だから今はまだ何も出来事が起きていないのだと思っています。でももうすぐしたら、何かが変わる、そう感じています。夢はただ遠くにあって手の届かないものだなんて思っていましたが、今はきっとあれは幻ではない、もうすぐ現実になるのだと思っています。思いは実現する、後は何を願うか、なのです。
それでは、詩です。
「積む」
今までずっと下積みしてきた
ずっとずっと私の中で何かを積み重ねてきた
なのに見える何かは上になかなか積まれない
私の人生積んでるだけで、詰んでいる
もう終わり、なんて言うにはまだまだ早いけど、始まりもしていないのは事実だ
今までに積んできたものなんて、もう消え去っているのかもしれない
見えないものはないのと同じ?
いや、同じではないはず
きっといつか日の目を見る日が来ると信じて、今を生きている
今できることを私は最大限にやっている
それが報われるか否かは不明だ
でも大事なのは報われることではない、それに向かって進んでいる今だ
報われた後より、それに向かって努力している時が一番楽しいと誰かから聞いた
私は楽しんでいるのだ
下積み生活を楽しんでいるのだ
何にもならなくても、楽しければそれでいいのだ
私より若い人が成功している一方で、私は日陰の身だ
本当は私だって成功したい
絶対に手に入らないもの、それがほしい
絶対に手に入るもの、それも大切にしたい
何も変えることなく、何かを変えたい
楽しいばっかりの人生、いつかきっと手に入るはず
それに向けて努力している今、それはすごく楽しい
私が積んでいるもの、それが見えるのは自分だけだ
私は何かを積んでいる
自分の中に確実に何かを積んでいる
それを誰かに見てほしい
私の中身を誰かに見てほしい
そしてもうきっと人からは馬鹿にされることはないはず
だってしっかりとした私という存在がここにはいるのだから
何を言われても、私は崩れることはない
あの時の自分はもう消えた
グラグラ揺れていた自分を私は支えることができるようになった
もう揺れやしない
そんな時から私は自分を積んできたのだ
もうこんなに自分が積まれている
決して楽しいばかりではなかったけど、これからは違う
私は人生楽しめる、もうすでに楽しめている
もう少し自分を積めば、みんなにも私が見えるだろうか
誰かに見せてみたい、こんな私を
凡人ですらないけど、凡人を越えてみたい
非凡な人と言われたい
そのために私は積むのだ
こんな文章じゃ才能があるなんて言われないだろうけど、それでも自分の中にある何かを信じたい
それを信じられたら、今まで積んできたものも無駄じゃないだろうか
詩はここまでです。
最近の幽霊さんは割とおとなしいです。右手の震え、左足の違和感、それくらいになりました。変顔がほぼなくなりました。でも時たま乗っ取られ感が出そうにはなります。そういう時はじっとしてたら治ります。後7ヶ月で幽霊さんもいなくなることでしょう。期待します。