こんにちは。花子です。
最近は書くことを少し離れて、動画を観たり、本を読んだり、そんなことをしながら過ごしています。もう夢を見ることはやめました。ちょっと作家になりたいなんて思っていた時もありましたが、もう何も生み出せなくなっても、何の焦りもありません。今の生活がずっと続けばいいと思っています。むしろ今の生活が壊れてしまうことの方が怖いです。でもいつか壊れてはしまうのですが。あと10年ほどはこんな生活をしていたいです。この10年間あっという間でした。幽霊さんがいなくならないまま、10年が過ぎ去ってしまいました。これからの10年は幽霊さんのいない人生にしたいのですが、どうすればいいのかは全く分かりません。私は願い、望み、祈ることくらいしかできません。この思いが幽霊さんに伝わって、もう僕はいなくならないといけないのだと思ってくれたらいいのですが、なかなかその願いは叶いません。でもいつか絶対に叶うと信じて生きるしかありません。私は自分を自分で治さないといけないのです。今までもずっとそうしてきました。今度こそ自分の思い通りになる人生を生きたいです。
私には将来の夢なんてものはいつの時代もありませんでした。ついこの間まで私は詩人、もしくは作家になりたいと思っているのだと思っていました。でも今は今の生活以外の何か新しいことはしたくありません。作家になって誰かと会って話ができたらいいのかもしれませんが、今は家族と話ができているので、それで十分です。もう誰か知らない人と話がしたいと思うことがなくなりました。私はずっと現実を見て生きたいと思っていました。そして今私は現実を見て生きられていると思います。今の家族がみんないなくなったら、あとは最後に私一人が残って、一人の人生を生きて死んでいくのだと思っています。何だか私は今の私を見ていると、一人でも生きていけるような気がするのです。福祉は利用するかもしれません。もしかすると誰かいい人が現れるかもしれませんが、今のところそんな人は誰もいません。そしていなくてもいいと思っているのです。
まだ自分が死ぬことを受け入れられません。でも私はまだ32歳です。まだ死を考えるには早いような気がします。でも本当にいつ死ぬかは誰にも分からないのです。明日死ぬかもしれない、なんて思いもしませんが、いつかおばあさんになる頃には、死を受け入れられるようになっているでしょうか。もう生きていたくない、と思うくらい生きて、死んでいきたいです。
夢はなくなっても、あまり寂しくはありません。生きがい、のようなものは特になくても生きていけます。毎日楽に楽しく生きていければそれだけで幸せです。しんどくない毎日、それを願って生きています。そのためには幽霊さんがいなくなることが必須なのです。もう幽霊さんに振り回されたくはありません。明日から今よりもっといい毎日を送れたら、どんなにいいことでしょう。もうすぐ幽霊さんのいなくなる時はやってきます。来るはず、来てほしい、来たらいいなぁ。まぁ今でも十分幸せではあるので、これ以上は悪くならないことを願って生きるのみです。
まずは詩です。
「すべての人に価値がある」
私に価値はあるのか?
私にはきっと生きてる価値も死ぬ価値もない
それでもやっぱり生きている
私には何の価値もない、そんな気がする
なんて本当に価値のない人は思うよりまず自殺しているだろう
別に本気で私には生きてる価値がないなんて思っているわけではない
でもそんな気がするのだ
価値がないからって、生きていけないわけではない
ただ私がいなくなったところで、この世はたいして変わらないとは思うのだ
悲しむ人がいる
そういう人達がきっと私に生きてる価値を与えてくれるのだろう
でもいつか慣れてしまう、私がいないということに
そんな私に生きていた価値があったのか?
死んでこの世に爪痕を残せるほどの価値が私にはないんじゃないか?
価値は生きてる間に生きてる自分が作り出すものだ
自分だけが自分の価値を知ることができるし、大事にすることができる
自分の生きてる価値を決められるのは自分だけだ
たとえ誰かが私に価値がないと言っても、私さえ価値があると思えていれば、それは価値があるということだ
逆に誰もが価値があると言っても、自分が価値がないと思ってしまえば、きっと私には価値がない
でも生きているすべての人には生きてる価値はあると思う
それはこの世に生きている私達が決められるものではない
この世の外の存在である何かが決めているのだ
ただ生きてるだけで、この世のすべての人から存在を否定されたとしても、生きてる価値のない人はいない
周りに私達の価値をなくそうとしてくる人ばかりでも、違う世界に一歩足を踏み出せば、認めてくれる人が必ずいる
自分は狭い世界に生きているのだと気づいてしまえば、きっと外に出ることができるはずだ
世界は自分が思うほど狭くはない
ただそれに気づけるか気づけないかだ
必要としてくれる人がいれば、自分に価値があると思いやすくなる
でも価値を決めるのは他人ではない、自分自身だ
すべての人がこの世に生きてていい
それはこの世に生まれたかけがえのない命だからだ
なのに自分の存在を否定して、自ら死を選んでしまう人がいるのはなぜだろう
自分さえ自分を認めることができれば、生きていけるじゃないか
他人に左右されない確固たる自分がいさえすれば、死に逃げることはない
でもきっと私は周りの人に存在を左右され続けて生きる苦しさが分からないのだ
死という逃げ道を用意していないと生きていけないのかもしれない
いつでも死ねる、だからもう少し頑張ってみよう、そう思って生きる人は多いかもしれない
それでもいつかきっと死ななくても楽になれる日が来ると思う
環境を変えて、たとえそれでひとりぼっちになったとしても、自分には自分がいるのだから、きっともっと楽に生きられるようになるはず
みんな楽に生きたいのだ
そして楽に生きていいのだ
価値なんてあったって、なくたって、幸せな人生を生きられればそれでいいじゃないか
この世のすべての人に価値があると気づける人はどれくらいいるのだろう?
詩はここまでです。
さて、いつものです。
夜のことでした。看護師さんが何か言いに来ました。内容は忘れてしまったのですが、看護師さんが私に話しかけた時に幽霊が私の口を開けさせました。とっさに看護師さんは
「しっ、今夜だし、叫ばないでね」
と言いました。幽霊もそこまで常識はずれでもなかったらしく、何も言わされませんでした。
これも夜のことです。狭い部屋の中を幽霊に走り回らされていました。私はつらくて泣きながら、
「お父さんお母さん助けて」
と言っていました。
保護室は何個かあったと思うのですが、そのうちの3つは独房のようなかんじで並んでありました。一番奥の部屋から真ん中の部屋に移りました。この時は母が来ていました。看護師さんもいました。隣の部屋の見舞いに男の人が来ているのが見えました。すると幽霊は私の服を脱がそうとしました。そしてその男の人に私の裸を見せようとしたのです。母と看護師さんは大急ぎで私が服を脱ぎ出すのを止めました。ちょっと脱ごうとしただけで幽霊も止まったので、よかったです。
暇だったので何か本でも読みたいなと思いました。看護師さんに
「本が読みたいです」
と言うと、雑誌を3冊持ってきてくれました。看護師さんが
「ここから1冊選ぼうか」
と言ったので、食べ物の載っているのを選びました。今でも雑誌を見ると、この頃のことを思い出します。
また部屋が変わりました。この部屋も保護室なのですが、普通の個室と並んでありました。主治医の先生は
「ここが一番広い部屋だから」
と言っていました。入ってしばらくは鍵が閉められていたので、自由に出入りはできませんでした。
確か独房のような保護室にいた時は担当でない先生が一度見に来てくれただけで、主治医の先生の診察はなかったと思います。この個室とあまり変わりのない保護室に移って初めて主治医の先生を知りました。いい声してるなというのが先生の第一印象でした。私がベッドに座って、先生は地べたに三角座りをしていました。高圧的にならないようにという配慮だったのでしょう。毎週月曜日に診察があると聞かされました。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんは、年末に家族四人でカラオケに行った時に、全身をガクガク震わされました。低血糖になりかけて(歌っているときに視界がぼやけ始めた)、急いでジュースを飲みました。本当にひどい震えでした。それでもカラオケはすごく楽しく、幽霊さんのことなんて記憶に残らないほど、楽しめました。まだ手足の震えと寒い時のガクガクはあります。いつになったらなくなって、自分自身を取り戻せるのだろう?