幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

自分にとって本当に良いこととは?詩「積む」。

 こんにちは。花子です。

 良い言葉を使うようにしましょう、とか、前向きになりましょう、とか、できないという思考からできるという思考に変えましょう、とか言いますけど、それって本当に自分にとって良いことなのでしょうか?言っている人達は良かれと思って言っています。本当に良いことなのかもしれません。でも私には全ては当て嵌まらないような気がするのです。

 良い言葉を使って、本当の自分の言葉を覆い隠してしまうことが本当に自分のためになるのでしょうか?しんどい時に「いや、しんどくない、楽しい、楽しい」とか言ってたって、しんどいのはなくなりません。それはしんどいにフォーカスしているからだと言われるかもしれませんが、それなら素直に「しんどいなぁ、それじゃあ今私はどうしたら楽になれるようになるのだろう」と考えたり、「今の自分にとって一番良いことって何だろう」と考えたり、「もう寝てしまって、考えるのはよそう」とか思ってる方がいいような気がするのです。自分の気持ちは素直に感じ取る、そこから自分はどうしたいのかを考える、その方がいいんじゃないでしょうか?たまには「クソむかつくぜ」とか思っても、そういう自分はどうしてほしいのかと考えることで、解決策は見えてきます。

 この前お米を買った時、「袋は要りません」と言いました。それで「袋もらわなかったけど、よかったよね」と人に言ったら、「もう今からじゃもらえないんでしょ」とか「うーん」とか言ってるだけで、私のほしい言葉は言ってくれませんでした。私はただ「それでいいよ」とか「あなたは間違ってないよ」とか「袋なんて使わないんだし、いいんじゃない?」とか言ってほしかっただけなのです。でもその人は何を考えていたのか分かりませんが、私の言ってほしかった言葉は言ってくれませんでした。そこで私はその人に何か感情をぶつけるのではなく、自分はどういう気持ちだったのかと考えるようにしました。すると上記のようなことが思い浮かび、私はその人に腹を立てているのではなく、ただ自分が正しいのだと思いたかっただけなのだということが分かりました。その時私は「なんでこの人は人を思いやるようなことが言えないんだろう」と思っていました。私が正しい、そう思いたかったのです。実際私は袋をもらわなくてよかったと思っていたので、「この人はもらえるものはもらわないといけないとか思っていたのだろうか」とか「自分勝手な人だな」とかそんなことを思ってしまっていたのですが、別にそういうことでもなかったようです。ただ本当にどっちか分からなかっただけなんじゃないでしょうか。もうその人はそんなこと完全に忘れてしまっているでしょう。ただ私が間違ってないと思いたかっただけなのでした。

 自分を見つめる、それが今の自分にとって必要なことだと考えています。だから今はまだ何も出来事が起きていないのだと思っています。でももうすぐしたら、何かが変わる、そう感じています。夢はただ遠くにあって手の届かないものだなんて思っていましたが、今はきっとあれは幻ではない、もうすぐ現実になるのだと思っています。思いは実現する、後は何を願うか、なのです。

 

 それでは、詩です。

「積む」

今までずっと下積みしてきた

ずっとずっと私の中で何かを積み重ねてきた

なのに見える何かは上になかなか積まれない

 

私の人生積んでるだけで、詰んでいる

もう終わり、なんて言うにはまだまだ早いけど、始まりもしていないのは事実だ

今までに積んできたものなんて、もう消え去っているのかもしれない

見えないものはないのと同じ?

いや、同じではないはず

きっといつか日の目を見る日が来ると信じて、今を生きている

 

今できることを私は最大限にやっている

それが報われるか否かは不明だ

でも大事なのは報われることではない、それに向かって進んでいる今だ

報われた後より、それに向かって努力している時が一番楽しいと誰かから聞いた

私は楽しんでいるのだ

下積み生活を楽しんでいるのだ

何にもならなくても、楽しければそれでいいのだ

 

私より若い人が成功している一方で、私は日陰の身だ

本当は私だって成功したい

 

絶対に手に入らないもの、それがほしい

絶対に手に入るもの、それも大切にしたい

何も変えることなく、何かを変えたい

楽しいばっかりの人生、いつかきっと手に入るはず

それに向けて努力している今、それはすごく楽しい

私が積んでいるもの、それが見えるのは自分だけだ

 

私は何かを積んでいる

自分の中に確実に何かを積んでいる

それを誰かに見てほしい

私の中身を誰かに見てほしい

そしてもうきっと人からは馬鹿にされることはないはず

だってしっかりとした私という存在がここにはいるのだから

 

何を言われても、私は崩れることはない

あの時の自分はもう消えた

グラグラ揺れていた自分を私は支えることができるようになった

もう揺れやしない

そんな時から私は自分を積んできたのだ

 

もうこんなに自分が積まれている

決して楽しいばかりではなかったけど、これからは違う

私は人生楽しめる、もうすでに楽しめている

もう少し自分を積めば、みんなにも私が見えるだろうか

誰かに見せてみたい、こんな私を

 

凡人ですらないけど、凡人を越えてみたい

非凡な人と言われたい

そのために私は積むのだ

 

こんな文章じゃ才能があるなんて言われないだろうけど、それでも自分の中にある何かを信じたい

それを信じられたら、今まで積んできたものも無駄じゃないだろうか

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは割とおとなしいです。右手の震え、左足の違和感、それくらいになりました。変顔がほぼなくなりました。でも時たま乗っ取られ感が出そうにはなります。そういう時はじっとしてたら治ります。後7ヶ月で幽霊さんもいなくなることでしょう。期待します。

「ミナミAアシュタール」で学んだこと。詩「標準装備」。

 こんにちは。花子です。

 最近父から教えてもらった「ミナミAアシュタール」というのにはまっています。波動エネルギーとかパラレルワールドとか宇宙人とか、色々出てくるのですが、その中でも私も共感できると思った考えがあって、それは自分の人生は自分が作り出している、というものです。そしてこれからの人生全て自分が作り出していくものだということです。

 私の人生今まで全て自分が作り出したものだと思っています。こういう環境に生まれついたのは自分がそれを選んできたからです。私は生まれる前は絶対無限の存在でした。そこからこの世に出てきて、色々な体験をして、また絶対無限の存在へ帰っていくそうです。そう言われて、なんとなく腑に落ちるものがありました。私の生きてる意味は絶対無限の存在が色んな体験をしたいと思っているからなのか、と思うとそんな気がしてきます。昔は私も生きてる意味を考えたりしました。その答えが「ミナミAアシュタール」から分かったのです。

 正直幽霊さんは自分が望んだものではないと思っていました。だってこんなに苦しいのを自分から望むわけがない、そう思っていたのです。でも私の無意識は幽霊さんを望んでいました。幽霊さんが入ってきたことで年金がもらえるようになりました。私はたとえ健常者だったとしても働けなかったので、私には年金が必要不可欠だったのです。それにデイケアという場所に行くことができて、それまで自分は人と関われない人間なんだと思っていたのが、自分も人と関われる人間なんだと再発見しました。

 そして私は強くなりたいと思っていた時がありました。その時はどうやったら強くなれるかが分からず、ただ望んでいるだけでした。でも幽霊さんが入ってきて、様々ないやがらせをしてきたことで、私は強くなったような気がします。私の願いは幽霊さんのいやがらせという形で実現したのです。願いが叶うというところまでは分かるのですが、それがどういう形をとって現れるのかは分かりません。私の場合それが幽霊さんに憑依されるということだったのです。

 憑依されるのは自分が誰かに助けてほしいと思っているという状態にあるからなんだそうです。最初に幽霊さんが入ってきた時、私は正しく誰かに助けてほしい状態でした。精神的に参っていて、もうどうしようもないところまで来ていました。だから幽霊さんに付け入られたのです。そしてそこから抜け出すのに時間がかかりました。でも確実に幽霊さんは一度私の中から出て行ったのです。そしてまた入ってきたのですが、今度こそ出て行ったら二度と入って来ないようにするつもりです。もう私には幽霊さんは必要ありません。もういやがらせも要らないのです。思考が先、現実は後、と「ミナミAアシュタール」でも言っていました。今の願いが叶うのはもう少し後なんだと思っています。私の願いはきっと叶う、それは昔から思ってきたことです。今はまだ幽霊さんのいない人生が来ることを完全には信じ込めていませんが、きっと必ず来るのだと信じて、今を乗り切っていきたいと思います。

 

 さて、詩です。

「標準装備」

標準装備の私

きっとこれが私の中で普通の私

もうあんな自分にはならないし、なろうとしないだろう

だって苦しいだけだもの

 

自分はここにいた

知らなかった、ここに私がいることを

でも知った

と言うより、見つけるか壊れるかの二択だったのだ

私はすでに壊れかけていた

でも私には時間があった

自分を取り戻すための時間がたっぷりあったのだ

 

ここにいる自分が見えなかった

自分で自分にくっつけたいらないものばかりに目が行って、肝心の自分はほとんど見えていなかった

でもそのいらないものを少しずつ剥がしていって、ようやく自分が見えてきた

 

そう言えばあの時だって、自分はいたよなぁ

それを無視したから、今こうやって本当の自分を妄想するのだ

確かにあの時、私はここにいた

消し去ろうとしていたそれが、本当は大切なものだったなんて、あの時の私には分かるはずもなかった

ただただ邪魔なものだと思っていた

みんなと同じになれない私はこの世から消え去ってほしかった

でも自分がなくなったら、ここにいるのは一体何なんだ?

 

私は私でしかいられない

それに気づき、心の底から納得するのにだいぶ時間がかかった

私は自分を大切にしていいのだ

こんな自分でも、堂々と生きていいのだ

私を消し去ることなんて、望まなくてもいいのだ

 

私はここにいる

ここでこうして生きている

そう、私は生きているのだ

どんな生き方をしたって、誰にも文句は言わせない

だって人の人生にケチをつけられる人なんて、本当はこの世にいないはずなんだもの

みんな自分の人生を讃えて生きていけばいいのだ

自分の人生を良くすることを考えて、毎日を過ごせばいいのだ

 

重い鎧はいらない

使えない武器もいらない

いつも通り、身軽な私で生きていきたい

自分で良いと思える人生を、標準装備で生きていきたい

私は何かと戦って生きたいわけじゃない

敵なんか作らないし、最低限の装備だけでいいのだ

 

みんなの着ているものが羨ましく見えたあの頃

もう私はあの頃の私ではない

自分はここにいるし、身につけているものもこれでいい

これなら私は自由に動ける

私はこの人生この私で生き抜くのだ

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、「ミナミAアシュタール」を参考にして、波長を合わせないようにする、というのを実行していたら、本当にいやがらせが減ってきました。本当はどうしたら波長を合わせないで済むのか分かってないのですが、とにかく考えないようにして、後8ヶ月、何とか乗り切ろうと思います。

しんどかったり、食欲を我慢できない日々。詩「目を瞑れば」。

 こんにちは。花子です。

 みなさんはしんどくなることはありませんか?私はあります。高三の終わり頃からしんどいという状態を知って、そこからしんどさを知らない状態を思い出せなくなりました。子供の時は特別です。しんどいなんて他人事でしかありませんでした。それがまさか自分の身にもやって来るなんて、思いもよりませんでした。

 祖母が「うつの人って本当にしんどくなるんだってね」と不思議そうに言っていました。祖母は元気な人で、ほとんどしんどくなったことがないようです。そして今95歳で元気に生きています。この前母と兄と一緒に会いにいきましたが、背中もそんなに曲がっておらず、耳は少し遠くなっていましたが、普通に生きていました。まだまだ生きてくれそうです。

 最近はなぜかしんどくなって、起きていられない時がよくあります。朝9時ごろ起きて、昼寝を2、3時間して、夜は9時ごろ、もしくはもう少し早く寝たりしてしまいます。夕食後に起きていられなくて、夕方6時ごろから寝て、途中少し起きて、また朝まで寝る、ということもあります。食事はかなり良い食事になっているし、運動はあまりできていませんが、やれる時はストレッチなどをするようにはしています。変な糖質制限や肉を食べないとか少なすぎる食事量とかしていないのに、なぜかしんどくなるのです。それは雨の時が多いような気がしています。低気圧というやつでしょうか?今の私にはこれ以上改善できるところがありません。どうしたら毎日元気に過ごせるのでしょうか?

 比較的元気に過ごせている時でも悩みはあります。お菓子を食べすぎてしまうのです。さっきも書いたように食事は工夫して良い食事を摂るようにしています。昼もおにぎりを足したりして、糖質制限にならないようにしています。週一ぐらいでレバーも食べるようにして、栄養を摂るようにしています。それでもどうしてもお菓子が食べたくなるのです。今日は図書館の帰りにミスタードーナツに行って、ドーナツ2個とアイスコーヒーを食べました。昼にしっかりとご飯を食べたはずなのに、です。でも我慢はできません。前にも我慢しようとしましたが、全然うまくいかなくて、シュークリームとアイスを食べた時がありました。その時はアイスを食べていると、なぜかほっとして、気分が落ち着いてきました。私の体に一体何が起きていたのでしょう?とにかく食べたくなった時はもう食べるしかない、そう思っています。

 今の私は下腹が出ていて、ドーナツを食べる前にも、父に「この腹じゃドーナツはダメでしょう」とか言っていたのに、どうしても食べたくて、食べに行ってしまいました。ご飯だけで満足できるようになりたいのですが、お菓子を食べたいのも本心です。どうにかしてお菓子を食べながら太らない体になれるようになりたいです。父はよく「我慢は体によくないよ」と言うのですが、ある程度は節制しないと太っていってしまいます。でも我慢はもう本当にできないと知った今、何とかこれ以上は太らないように生活を工夫するしかありません。運動ができるほど元気になりたいのに、なかなかできるようになりません。とにかく今の生活を続けて、太らないようにしていきたいです。

 

 さて、詩です。

「目を瞑れば」

目を瞑れば暗闇が見える

その先には一体何があるのだろう?

目を閉じた私はそこに何を見るのだろう?

何も見えやしないのに、私はその暗闇を「見て」いる

そして探している

私は何を探しているのだろう?

私の望むものはそこにあるのか?

 

いつか思った、「あの真っ暗闇が恋しい」と

なぜ私は暗闇を求めるのだろうか?

何もない無の世界?

私はそれが恋しいのだろうか?

 

何もないところに行ってみたい

そして何もせずに過ごすのだ

つらいことも苦しいこともない

でもその代わりに楽しいことや嬉しいこともない

本当に何もない世界

 

寝る前になったら、少しだけその世界に行ける

寝てる間、その世界を歩き回る

そして目が覚めて忘れる

私はきっと毎日無の世界には行ってるんだろうけど、覚えてない

暗闇に行ったからって、何かが得られるわけでもない

それでも憧れるのだ、あの闇の世界に

でも今から求めなくても、人は皆いずれは本当の無の世界に行く

 

無なんて、本当はそんなに良いものでもないのかもしれない

ただ何もないだけなのだから

やっぱり多少つらくとも、この何かある世界で生きられることを大事にしたい

だって楽しいことや嬉しいこともたくさんあるのだから

 

一度は行きかけた、あの無の世界から戻ってこれてよかった

もう生きられないっていうほどつらかったけど、それもなくなりそう

私はこの先、何かある世界を何もない世界に向かって生きていくのだ

生きられるうちは暗闇を求めなくてもいいだろう

最後は嫌でも暗闇に取り込まれてしまう

 

何もないことが羨ましいと思えないほど、毎日が充実していてほしい

つらいことも少なくなって、楽しいことが増えてほしい

生きてる、何かがある、ありすぎる、そんな毎日を大切にしたい

 

この先私は何かを少しずつなくしていくだろう

最終的にはこの体もなくなって、無の世界に行く

それまでどう生きよう?

毎日「今が一番良い」と思える生き方をしたい

いつかなくなってしまうとしても、何かを積み重ねていきたい

楽しい思い出も、つらい思い出も、いずれはただの思い出に変わる

そしてなくなっていくのだけれども、それまで大切に取って置きたい

誰に見せるわけでもないけど、自分の中でそれは大きいものだ

 

いつか暗闇にすべて放り投げる

そして何もかも見えなくなる

そんな未来を私は見ている

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、まだまだいやがらせがあります。読書中に右手を震わされるし、書いていたら左足の指に力を入れさせられるし、変顔も毎日あります。でも幽霊さんもあと約8ヶ月になりました。それまで耐えたらきっといなくなってくれると信じて、今を乗り切ります。

苦しかった学校時代。詩「何もない」。

 こんにちは。花子です。

 学校というストレスがなくなって、とても気楽になりました。高校を卒業してからすぐは、学校時代の洗脳のようなものから抜け出せず、ニートの私はいけないものだと思い込んでいました。努力が足りないだけ、頑張ればみんなと同じ生活になれるはず、そう思って何とかみんなと同じ土俵に立とうとしていました。でも私には無理なのです。初めから私にはこの社会に適合することができなかったのです。自分を知るようになってから自分には何ができるのか、分かるようになってきました。むしろ何をやりたくないかが分かってきたと言えるでしょうか。私には学校のような場所に通うことはできません。ある時までそれができないということが分かっていませんでした。だって小学校にも中学校にも高校にもみんなと同じように通っていたのですから。でももう無理です。高校の最後でもう無理だと私の心は悲鳴をあげていました。もう私には学校には通えない、そう感じていたのです。

 高校の最後の方で担任の先生に面談をよくしてもらっていたことを思い出します。階段の近くの小さな部屋で私と先生は斜めに向かい合って、話をしていました。いや、話というより私はただ泣いていただけだったのですが。あの時の私はよく泣いていました。涙が溢れて止まらなかったのです。なぜあんなに泣いていたのか。今の私なら分かります。もう学校に行きたくない、勉強もしたくない、そう思っていたのです。でもあの時はそうはっきりと思っていた訳ではなく、ただしんどくてつらいことしか分かりませんでした。涙が唯一の自己表現でした。それで何かを分かってほしかったのですが、それは無理な話でした。学校の先生には学校が苦痛である心理が分からないのです。だから私は何も言えませんでした。どうせ分かってもらえない、そんな気がしていました。でも何とか苦しみから逃れたくて、先生に会って涙を流していたのです。

 「なんで自分だけこんな思いをしないといけないんだって思ってる?」と訊かれました。でも私はそんなこと思ったこともなく、ただ「いやぁ、、、」と言っただけでした。でも今なら言えます。本当にあの時の苦しみは普通の受験前の苦しみなんかよりもっと苦しいものでした。でも先生には私も受験前にちょっと調子を崩すよくある子と思われていたようです。違うのになぁ、なんて今更思ってみてもどうにもなりません。もう先生に伝えることはできなくなったのですから。

 あの子とはメール交換をしていたのに、どうして私はできなかったのでしょう?私も今なら普通に話ができるのに、もう何もかも遅いのです。あの時はもう会い続けることはできませんでした。もう生徒と先生という関係じゃなくなったからです。そんな人と会ってたって、意味がないのです。学校でのできなくなってたことを代わりにやってもらうことがあの時の私には必要でしたが、卒業してしまえばもうそれが必要なくなるのです。だからどうせ会っても泣いてるだけなのですから、会いに行けないなぁと思ってしまったのです。

 このおかしな自分は自分でないと治せない、そう感じていたと思います。おかしくなってることは何となく分かっていました。でも何がどうなっているのかは全く分かりませんでした。それでも今のままでは生きていけそうにない、そう思いました。そして考えて、考えて、考えて、今に至る訳です。今はもう自分がどんな人間かだいぶ分かるようになりました。あとは本当に幽霊さんがいなくなるだけでいいのです。それさえ叶えば、あとは何とかなります。あと約9ヶ月、耐えていこうと思います。

 

 さて、詩です。

「何もない」

何もない

苦しみも楽しみもあるが、今の私、何もない

それがかなり心地良かったりする

楽に生きられるようになってきた

私は自分を苦しめるようなことはしない

かつてしていたそれを、今の私はしていない

それもかなり心地良かったりする

 

私はなりたい自分になれるだろうか?

こんな自分、私は好きだ

人と笑って話せる自分のことが私は気に入っている

なりたい自分がどんなのかははっきりとは分からない

でも人生楽しく生きようとして、そう努力している自分がいる

これから先の人生、どういう自分がそこにいるのか、自分でも分からない

それを見ていくのが生きていくということだろう

 

自分の中から生まれるものがある

それは自分の予期していなかったものだったりする

そういうのを見つけるのは楽しい

本当に自分の中から出ているのか分からない時もある

自分で自分に感心する

「うまいこと書いてるなぁ」なんて思うのだ

でも自分の中が空っぽになることもあって、そういう時はちょっと苦しい

 

何もない、この感じは自分から何も出てこないのとは違う

何もない、それはなんだかすっきりしている

何もない、だからこそ新しい何かが生まれる気がする

何もない、何もなくても焦らずに時を過ごせる

何もない、そんな状態になりたいと思っていたんだと思う

 

私は自分の声を聞いて生きたいと思う

そしてその時々に浮かんでくる自分像を見ながら生きるのだ

自分のことは自分でも分からない

でも自分以上に自分が分かる人もいない

人に見せていない自分がここにはいるのだ

 

「何もない」と喜んでいる姿を人は知らない

この何もなさは人には伝わらないからだ

この感情をわざわざ口にはしないのだ

でも誰にも知られたくないわけではない

私の真実の姿を人に知ってほしいとは思う

そしておもしろがってくれたら、なんて思うのだ

 

何もない時、私は何もしなくていい

ただボーッとしていたって、なんの罪悪感も感じない

誰も私に期待していない

しているのは私だけだ

でもこの何もないと感じる時、その期待すらもなくなる

 

何もなくなる

そんな時間を大事にしたい

無になれたら、生きるのが楽になる

私はこの何もない感が無だとは思わないけど、近いものだとは思う

 

もう何もない

あるけどない

今あるものすべてをなくせたら、生きるのが楽しくなる気がする

いずれは「ある」に戻ってこないといけないけど、私はこの「ない」感を大事にして生きたい

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはいやがらせがちょくちょくあります。頭をぶんぶん振り回されたり、壁を叩かされたり、変な顔にさせられたり、少ししんどくならされたり、などと小さいものがたくさんあります。でもそれもあと9ヶ月だと思うと、今は耐えられます。今がつらいだけ、そう思って乗り越えていきます。

引きこもりの人はどうしたらいいの?詩「馬鹿」。

 こんにちは。花子です。

 最近は体調が良くなったり、悪くなったり、なかなか調子は良くなりません。でもその中でもエッセイを書いてみたり、詩を書いてみたりしています。心の思いを書いてみる作業も時々捗っています。そうやって何かを考えることで、将来の何かに役に立たないかなぁと思っています。

 昨日は引きこもりの人について考えていました。私は家にこもりがちだった時もありましたが、今は毎日買い物に行かなければならないので、外には出てます。調子が本当に悪く、とてもしんどくて、生活リズムがボロボロだった時、私はなかなか外に出られませんでした。2週間ほどこもってて、外に出た時、やっぱり外に出ないと駄目だ、家にこもってたら気が狂いそうになってた、と思いました。今はあの時より遥かに調子も良くなって、毎日朝に起き、夜に寝る、そんな生活を普通にしています。生活リズムと食生活の改善のおかげで、便通が良くなりました。元々私は便秘がちで悩んでいたのですが、最近は食物繊維を適量摂り、毎日3食食べるようにして、朝は決まった時間には起きられませんが、夜はほぼ決まった時間に寝て、と生活習慣を見直したら、毎日朝ご飯を食べた後にお通じがあるようになりました。便秘で悩んでる人は絶対生活習慣を見直すべきです。規則正しい生活はかなり体調が良くなります。それでもしんどくはなりますが。

 引きこもりの人はどうして外に出られないのでしょう?何が原因で引きこもりになってしまうのでしょう?私は今ニートなので、この世の全ての人が働けなければならない、とは思えません。ニートは本当に働けないのです。働かなくていいと思えたから、調子が良くなってきたのに、これでまた働かなければならないとなると、またおかしくなってしまいます。この気持ちは働ける人には分かりません。私だって普通になりたいのに、どうしてもなれないのが現実です。働かなければならないと思っているから、働くどころか外にも出られなくなってしまうんじゃないでしょうか。もう周りの人みんながあなたは働かなくていいよ、生きててくれるだけでいいよ、って思ってくれたら、せめて最低限人間らしい生活というものができるようになるような気がするのですが、どうでしょう?

 精神病になってしまっているのなら、病院に行けなければならないし、そこで精神病だと診断されたら、今度は障害年金をもらう手続きをしないと収入はないし、それでもお金が足りなければ生活保護の申請をしなければなりません。そのためにはせめて外に出ることだけでもできないといけないのに、部屋の外に出られなければ何も話が進みません。生きていくために何をしなければならないか、それは自分と向き合うことだと思います。どうして外に出られないのか、自分は何を恐れているのか、そしてそれはどうしたら解決するのか、そういったことを考え始めなければ先へは進めません。そういうことは早いうちに考えたほうがいいと思います。考えたらすぐに答えが出るものでもないからです。私は2年ほど一人で自分と向き合っていました。その時は本当に苦しかったです。でもそのおかげで自分が取り戻せました。それから病気になって、今に至る訳ですが、今は生活に最低限必要なことはできるようになりました。歯医者にも行けるし、お店の予約も母ではなく、私がするようになりました。たぶんこの先一人になっても生きていけるような気はしています。寂しいですけど。

 とにかく生きていくには最低限自分の身の回りのことはできるようにならないといけないので、私も将来のことを考えて、今の私がすべきことをやっていこうと思います。

 

 さて、詩です。

「馬鹿」

人は人を馬鹿にする

私も時々馬鹿にする

そしてきっとどこかで私も馬鹿にされているだろう

 

人を馬鹿にしないと生きていけないという人がいる

そうやって自分の中の何かの均衡を保っているのだろうか?

馬鹿にされるから別の人を馬鹿にする、そんなことの繰り返しだろうか?

馬鹿の連鎖をここで止めなければ

だってみんな馬鹿なんだもの

みんなみんな馬鹿なんだ

 

でもあの人は馬鹿に見えない

あの人だって、あの人だって、決して馬鹿ではない

きっとあの人達は人を馬鹿にすることはないのだろう

私もそんな人になりたいと思いながら、陰では人のことをからかって、笑い合っている

そんな自分のが私は嫌いじゃない

だって人と一緒に人のことをおもしろく言うのは楽しいんだもの

 

なんだか自分が最低な人間に見えてきた

けど自分を変える気はない

そんな私は馬鹿だ

やっぱり私は馬鹿なんだ

そして私は何でもない、何者でもないのだ

 

実力もないのに何かを成し遂げたい思いは膨らんで、とまらない

きっといつかは破裂してしまう、何もできないまま

残ったものは頭の中が空っぽな私という入れ物だけだ

それを抱えて命尽きるまで生きなければならない

それがこの馬鹿な私の人生だろう

 

私は自分が馬鹿だと受け入れきれていない

どこかで人よりも賢いだなんて思い込んでいる

だから人が私を上から目線で見てくると少し腹が立つ

でも本当は上下なんてないのだろう

上下をつけたって何だって言うんだ?

どうして上とか下とか決めつけたがるのだろう?

上にいる方が気持ちが良いのだろうか?

見下す方が楽しいのだろうか?

 

私は誰よりも低いところにいる

だからこそ人を見下してしまうのだ

そんな現実を受け入れたくないからだ

本当は、本当の私はこんなんじゃない、そう思って生きてきた

私の中には秘めたる能力があって、いつかそれが表に出てくるのだと思っていた

でもいつまでたっても才能なんかないまま、時が過ぎていく

 

やればできるんじゃなかったのか?

できる人間でありたいという思いだけがあって、具体的に何ができるかなんて考えられなかった

私は結局は何もしないで生きていきたいのだ

本当に何もしないで生きられたらどんなにいいか、なんて思ったりもする

もう何もしたくない

でも何かを成し遂げたい、なんて馬鹿の思うことを私も思っている

だって私は馬鹿だからだ

 

なんで人にできることもできないで、自分は人の上に立てるだなんて思い込むのだろう?

私の思い違いはどうして私の中で本物になろうとするのだろう?

私は誰の上にも立てない

分かっているはずなのに、やっぱりあの人よりはマシかな、なんて思ってしまうのだ

 

私は最低かもしれない

でもやっぱりそんな自分が嫌いじゃない

一生こんな自分と一緒に生きていくのだろうな

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは手足の震えが結構あります。乗っ取られ感もゼロではありません。たまに気持ち悪くならされます。それでも前よりはマシかなと思って、来年の幽霊さんに期待しています。絶対幽霊さんを消し去ってみせるぞ!

今が少しつらいだけ、きっと良くなる。詩「過去はない」。

 こんにちは。花子です。

 今はまだ何もできてないけど、いつかきっと何かできるようになるはず、そう思って毎日を過ごしています。きっと今が少しつらいだけ、そう思って目を閉じています。そして毎日幽霊さんにさようならを言って、眠りについています。たぶん本当に今がちょっとつらすぎるだけなのだと思います。幽霊さんはいなくならないし、仕事はできてないし、毎日12時間くらいは寝てしまっているし。それでもやるべきことは完全にではないけど、やっています。洗濯したり、昼ご飯を作ったり、たまに晩ご飯を作ったり、買い物に行ったり、それくらいですが、これでも前の自分から考えると、よくできている方だと思います。これからもう少しできることを増やしていけたらと思っています。きっと良くなるはず、そう思って今を乗り切ります。

 でも本当に何もしていないというわけではありません。詩を書いてみたり、エッセイを書いてみたり、思ったことを書いてみたりと何かしら将来のためになるようなことはしているのです。ただそれがまだ日の目を見ずに、私の中だけで収められてるというだけなのです。ブログに書けばいいのでしょうけど、なかなかこの前置きが浮かばないので、詩も書くことができません。でも自分のペースでのんびりとやっていけばいい、そう思って、このブログとも向き合っていきたいです。

 今日は町中をほうきとちりとりで掃除して回る夢を見ました。良い夢であるような気がするのですが、少し引っ掛かります。地面に落ちていた果実を掃除しようとしたら、おばあさんに「それは鳥が食べに来るかもしれないから、おいておきなさい」と言われたのです。私はせっかくきれいにしようとしていたのに、そう言われて腹が立ち、何か言い返していました。そこがちょっと気になるところですが、それ以外はきっといい夢に違いありません。何か自分の中でいい変化が現れるといいのですが。

 最近あまり新しい考えが思い浮かばなくなってきました。詩は少しずつ書いてはいるのですが、普段のノートは白紙に近いです。ちょっと体調を崩し、寝てばかりいた時から、だいぶ回復はしたのですが、それでも少ししんどい時があります。いつでもどうしたらしんどくなくなるのだろうと考えています。これでも工夫して生活はしているのですが、何がいけないのか自分でもよく分かりません。食事も気をつけているはずなのに、なぜかしんどくなります。睡眠だって足りすぎているのに、なぜかしんどくなります。運動はあまりできなくて、最近また太りました。でも今日からまた少しずつ体を動かしていけたらと思っています。とにかく今は今の自分にできることを精一杯やっていくしかありません。今年もエッセイの賞に応募します。それで人生変わらないかなぁと淡い期待を抱いています。

 

 それでは詩です。

「過去はない」

過去はない

もうなくなった

過去なんて存在しないのだ

あるのは今だけだ

 

一瞬一瞬人生がなくなっていく

今この瞬間、もう過去はない

なのになんで今過去で苦しむのだ?

過去がなければ、今の自分はないけど、なくてもいる

過去がなくても今ここに私は存在している

だからと言って過去をなくしてしまいたいわけではない

ただ過去がどんなんでも、今の私に与えられる影響はあまりない気がするのだ

 

今の自分はある一定の範囲内で好きに生きられる

過去の自分は至る所に散らばっているが、みんなその上で生きている

過去は目に見えない

なのにみんな過去を持って生きている

みんなの持つ過去が目に見えていたら、この世界は大混雑だ

 

過去を残してこの世を去る人もいるが、大半はいなくなる時に一緒に消えていく

私の過去はたぶん残らずに消えていく

みんなそうだ

 

過去に苦しむ、それはみんなのしていることだ

でもそんな事実はなかったと言われたら?

それがただの妄想だったのだとしたら?

それでも苦しむのか?

 

過去はない

私はないもので苦しむのか?

ほらみんなもう忘れている

私のことなんて誰も覚えていない

私が覚えているあの人も、きっと私のことを思い出すことはないのだろう

そこに私の過去はないのと同じだ

 

人は過去を忘れてしまう

でも忘れられない過去というものもある

人の中に全ての過去は残らない

だから過去はないと私は言うのだ

覚えていたって、今の私には関係ない

でも忘れたくはない

全部覚えていたい

けど苦しみたくはない

だから過去はただ見つめるだけなのだ

 

過去から続く今を生きているのに、今だけが独立しているような気がする

でも今もすぐ過去になる

そんな過去を誰かと共有する

それは楽しいことだったりする

過去は何のためにあるとかじゃないと思う

ただあるだけだ

だから過去も大事にして、またいつか誰かと共有して楽しみたいと思う

 

過去はない?

いや、本当はあるはず

だから思い出は大切にしたいのだ

 詩はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは乗っ取られ感がなくなりました。でも毎日手は震えています。思いついたら「幽霊さん、さようなら」と頭の中で言って、なんとかいなくなってもらえるようにしています。願いが叶うといいなぁ。

しんどくなくなってきて、食欲コントロールができてる気がする。詩「ざわめき」。

 こんにちは。花子です。

 少し前まで幽霊さん関係なくしんどい日が続いていたのに、最近はしんどいと思うことが減ってきました。前まではなんとか文章を書いて生計が立てられるようにしないとと思って、必死に書き物をしていましたが、もう諦めて、生活保護で生きる未来でいいやと思うようになったら、楽になってきました。私はただ楽に生きたいだけなのです。苦しむことなく生きていたいだけなのです。きっと節約もできるようになって、保護費の範囲内でやっていけるようになるはずです。その頃には幽霊さんもいなくなって、毎日料理ができるようになって、慎ましやかに生活できるようになっているはずです。だから私は今の自分のために未来の希望をほとんど全て諦めることにしました。ただもしかしたら文筆家になれるかもしれないという望みは捨てることはできません。夢は完全には捨てられませんが、あまり期待はせずに、無理でも生きられる道はあると思って、毎日不安になることなく生きていくことにしました。

 そうしたら逆に詩が書けるようになったり、本がすらすら読めるようになったり、幽霊さんが少なくなってきたりと、いいことが続くようになりました。料理は週2回ですが、だんだんできるようになってきたし、後片付けも前よりできない日が減りました。今はまだ親に甘えていられますが、いつかは一人でも生きていけるようにならなくてはなりません。だから一刻も早く幽霊さんにいなくなってもらって、自分一人に集中して、調子がいい日を増やしていって、なんとか生きていけるようにしたいです。たぶんあと11ヶ月くらいで幽霊さんは私の中からいなくなるはずなのです。35歳の誕生日を幽霊さんなしで迎えて、そこからずっと幽霊さんのいない日々を生きていきたいのです。きっと夢は叶えられると思います。それが無理ならまたその時に考えればいいことです。とりあえず今はあと約11ヶ月幽霊さんを我慢して生きたいと思っています。

 最近食欲がコントロールできるようになってきたと思います。少し健康面で不安なことがあって、そこからお菓子は食べないと決めたら、意外と食べたくなくなり、今は間食をほとんどしなくなりました。でも昨日はちょっと特別にシャトレーゼでプレミアムアップルパイを買って、母と公園で食べました。ちょっと高かったのですが、サックサクでとてもおいしく、また食べたいねと言っていました。公園にぼろぼろとパイのカスをこぼしてしまいましたが、鳩が食べるかななんて思って、そのままにしてきました。まぁゴミをそのままにしてきた訳でもないので、許されるでしょう。

 この前なんだか無性にクリームパンが食べたくなり、ファミリーマートに行って、もちもちのクリームパンを見つけたのですが、食べたいのに食べたくないとなり、店内をうろついた結果、買わないという選択をしました。あと私の好きなパリパリサンドアイスも見つけたのですが、それも見送ることにしました。そこら辺からだんだん間食欲が減ってきて、今はもうしっかり歯を磨いて、昼食から夕食まで基本的に何も食べていません。空腹に慣れてくると意外と食べたくなくなるものだと思います。それに空腹が基本だと思っていると、食事をした時に、腹八分目で抑えられるような気がします。今あるお菓子は賞味期限まで置いておいて、期限が来ても食べられないのなら、家族にあげようと思っています。でももしかしたらいつか無性に食べたくなって、食べるかもしれないので、今はまだそのままにしておきます。まだ痩せられてはいませんが、もう少ししたら痩せてくると思って、今の生活を続けたいと思っています。

 

 それでは詩です。

「ざわめき」

過去の失敗も自分の中でザワザワしているだけ

私の外では何も関係なく、何も起こっていない

何の影響もないのだ

 

自分の外は穏やかだ

何も焦ることはない

焦ったところで、私の外が静かなのに変わりはない

 

私の中では過去の情景がピョコピョコと顔を出す

でもただそれだけだ

自分の外ではそれは何でもないことだ

ないのと同じだ

 

みんなそれぞれに過去を持って生きている

過去の失敗から学んで、今の自分がいる

でもそれは外からは見えない

自分の中だけでざわめいているだけだ

 

小さなざわめき

大きなざわめき

ざわざわ

このざわめきは消えることがない

生きている限り消えない

 

ざわめきは時につらい

だったら私の中を見るのをやめたらいい

そうしたら私の人生静かになる

でもそんなことはできるはずもない

私は見たいと思っている

そして新しい自分が見えると楽しい

 

外は案外静かだ

誰も私に干渉してこない

私の過去がどんなんだって、今の私とは関係がない

私はここで独立している

私はここにひとりでいる

誰も入ってこない

いや、入らせないようにしているのだ

 

私の世界には私がひとりだけいる

それ以外の人は風景と同じ

でも大切な人がいないわけではない

なくなると寂しい

たとえそれが私の世界の景色の一部だったとしても

きっと泣くだろう

いや、もう泣いている

夢の中で私は寂しいと泣いているのだ

それも私の中だけで起こっていること

 

今の私の世界は割と穏やか

でも時にざわつく

それも穏やかに、静かに見つめることができたら、だいぶ楽に生きられるはず

みんなもきっと心の中ではざわざわしているだろう

でも外からは見えない

 

このざわめきは誰の目にも見えない

だから私が消えると全て消えてしまう

でもそれでいいのだ

私の中身は体と共に焼き払われてしまう

みんなそうやってこの世から消えていく

本当に?

今はまだ信じられないけど、私の命もいつかは尽きる

それまではこのざわめきから色んなことを学ぶのだろう

そうやって少しずつ賢くなっていくのかな?

 

 最近の幽霊さんはもう右手の震え、左足の違和感、くらいに治りました。変顔ももうほとんどないし、しんどくならされ感もなくなりました。このままいけばもう本当に来年の3月で幽霊さんはこの世からいなくなります。そんな未来を夢見て今を精一杯生きていきます。