幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

現実を見ながら生きるのは難しい。詩「当たり前に感謝」。デイケアの人達とカラオケ(うまく歌えなかった)。

 こんにちは。花子です。

 前回からあまり日が経っていませんが、ブログを書きたくなったので、書いてみます。

 前は神聖かまってちゃんのの子さんや小林私さんに会えるような人生にしたいなんて思ったりしていましたが、今は私ではそんなことはできるはずがないと思えるようになってきました。現実が見えてきたのです。今私は現実を見ながら生きられています、たぶん。

 私の人生は狭い世界の中だけで完結します。近所を散歩して、買い物に行って、たまに遠くに行ったりして、毎日規則正しい生活をしていくのがきっと私の人生です。この地球上で生きてる他の誰かと同じ、ただのひとりの人間、たったそれだけです。むしろ私はそれ以下と言えるでしょう。

 昔からちょっと人から低く見られる傾向にありました。今はそんなことはあまりないけど、学校に行ってた頃は、馬鹿にされてる感じがありました。勉強だけはそこそこできたので、それだけで私もそんなに低レベルの人間ではないと思い込もうとしていましたが、その勉強ですら大学に行けるほどはできませんでした。

 そして病気になりました。もう治らない、一生付き合っていかなければならない、そんな病気になりました。働くこともできません。昼間から家の近所をぷらぷら歩いてるだけで、社会のためになるようなことは全くできていません。やっぱり私はみんなの下です。でもそれで生きていけるのなら、それでもいいのだと、昔は思えませんでしたが、今は思えるようになりました。デイケアの看護師さんも働くことがすべてではないと言ってくれています。私は昔からしたくなかった労働が、しなくても生きられる人生になったと思います。私ひとりの力ではなし得なかったことですが、成り行きでそうなりました。もうそんなに苦しむこともないでしょう。苦しみはだんだん少なくなっています。できることは少しずつ増えてきています。これからも今より堕ちていかないように、気をつけて生きていきます。私ならたぶん可能です。

 

 それでは詩です。

「当たり前に感謝」

目が見えるだけで良いと思えたら

耳が聞こえるだけで良いと思えたら

手足があるだけで良いと思えたら

食べられるだけで良いと思えたら

寝られるだけで良いと思えたら

息ができるだけで良いと思えたら

ただ生きているというだけで良いと思えたら

 

目が見えない人を街で見かけたら、目の見えない世界を少し想像し、目が見えていてよかったと思う

耳が聞こえない人がいると知れば、街を歩くのが不安になるだろうし、人との会話ができなくなるのかと思い、耳が聞こえていてよかったと思う

車椅子の人を見れば、自分の足で歩けていてよかったと思う

食欲も普通にあるし、ほぼ毎日大便は出ていてよかったと思う

夜はよく寝られているし、何も意識しなくても息ができていてよかったと思う

そうやってただ生きてるだけで幸せだと思えれば、どんなに良いだろう

毎日当たり前に感謝できれば、そんな幸せなこと他にないよ

 

体の一部が少し欠けるだけで、それまでしていた普通の生活ができなくなる

目が見えなくなると、耳が聞こえなくなると、それまで生きていた世界がガラッと変わる

自分の足で歩けないと、行けるところが少なくなる

今自分が持っているものは何ひとつなくしたくない

 

人生を同じ条件で生きていても、人によって感じ方が違う

人と比べて足りないところに目を向けて、不平不満を言う人もいる

そうかと思えば、人と比べることなどせず、今自分が持っているものだけを見て、幸せだ、恵まれていると言う人もいる

人生幸せに生きられるかは自分の感じ方次第だ

 

とは言うものの、そう簡単にいかないのが人生だ

どんな心の持ち方をしたって、つらい時はつらい、苦しい時は苦しい

努力しても報われないことなんてざらにある

それでもいらないものは捨てて、本当に必要なものだけを手元に残しておいて、それがあることが幸せだと思えたら、どんなに良いだろう

 

幸せになれるかなれないかは決められているのか?

それとも自分次第でどうにかなるのか?

幸せになりたいと願い、現状を幸せだと思えたら、人よりも少し幸せな人生を生きられる気がする

 

苦しみも前よりなくなった

自分次第で自分を幸せにできる気がする

他の人に楽しませてもらうのを待っているよりも、自分で自分を楽しませる方が手っ取り早い

自分の意志だけでは人生どうにもならないけど、自分の意志でどうにかできる部分もあると思う

心持ち次第でこの人生誰より良いものにできる気がする

人よりも多くのものを持っていなくても、今持ってるものだけで十分だ

今あるものに感謝して生きていけたら、幸せになれると思う

そうやって生きていきたい

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 OT室で編み物をしていたら、デイケアの人達とカラオケをしているので私もどうかと誘われました。私はあんまり歌える曲がなかったのですが、行くことにしました。

 上の階にカラオケができる部屋があって、4、5人の人がいました。私は前に家にいる時にちょっと歌っていた、YUIのCHE.R.RYを歌いました。するとスタッフが

YUI好きなんですか?」

と訊くので、

「この曲ぐらいしか知らないんです」

と言いました。あんまりうまく歌えなかった気がします。

 OT室に帰る時、OT室で見かけたことのある女の人がいたので、

「カラオケとか行きますか?」

と声をかけてみました。その人は

「行きますよ」

と言いましたが、表情があまり変わらず、無愛想だったので、声をかけない方がよかったかなと思いました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、足の震えが復活しそうでしないし、寒い時のガクガクもほんの少しあるだけでほとんどありません。幽霊さんは消え去りつつあります。たぶん私の人生の中の幽霊さんのいる期間はもうすぐ終わるでしょう。そうしたら私は本当に自由に生きられます。楽しいだけの毎日も夢ではないはずです。主治医の先生も確実に少なくなっていくと言っていました。その通りだと思います。幽霊さんはもういなくなるのです。