幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

ダイエット続行中。詩「学校の先生」。バスに乗る練習を。

 こんにちは。花子です。

 最近ダイエットを始めたと書きましたが、続行中です。朝起きてすぐにオリーブレモン水を飲んでいます。これはダイエットが目的と言うか、便秘にいいらしいのと、肝臓にいいらしいからです。別に肝臓に異常があるわけではないのですが、母が脂肪肝で私もこのままだと脂肪肝になるかもしれないと思ったからです。薬を飲んでいるから、できるだけ肝臓に負担をかけないようにしたいのです。

 オリーブレモン水の後は野菜スープ作りです。キャベツ、たまねぎ、大根、人参、トマト、しょうがを切って、コンソメスープで煮て作ります。ただそれだけですが、オートミールより百倍はおいしいです。オートミールはおいしくない、というかまずく感じてきたので、今はやめています。また食べたくなったら、オーバーナイトオーツでも始めてみようかなと思っています。

 スープの後は普通にパンを食べたり、喫茶店でパスタやサンドイッチを食べたりしています。たまにマクドナルドも食べたりしていますが、短期間で一気に痩せるのは目指してないので、食事はあまり制限しないようにしています。ただ間食は一切やめました。お菓子も買ってあるけどしばらく放置しています。家族にあげてもいいのですが、手放し難いので、まだ手元にあります。ヨーグルトもプレーン砂糖不使用脂肪ゼロを買うことにしました。本当は色んな味を楽しみたいのですが、体のために頑張ります。

 最近は母の実家から柿が送られてきたので、1日に2個剝いて、父と母と私とで食べています。そろそろ熟れ頃で、腐らすことなく全部食べたいです。

 夕食後は黒酢とリンゴ酢を大さじ二分の一ずつコップに入れて、コップ一杯の水で薄めて飲んでいます。そして夕食後は絶対に何も食べないようにしました。私はここ何年かは絶対に夜食は食べないようになったので、夕食後のまだもうちょっと食べ足りないというのを我慢するだけになりました。

 とりあえず何を目標にしているとかはないのですが、これ以上太っていくのは阻止しないといけないので、ダイエット頑張ります。

 

 それでは詩です。

「学校の先生」

学校の先生はどうあるべきか

 

まず第一に自分の給料はどうやってもらえるものなのか知らなければならない

先生の給料は教えてもらったお礼として、授業を聞いてくれた生徒が支払うものである

本当は聞く価値のない授業しかできないのであれば、生徒は先生の給料を払わなくてもいいのだ

生徒が自分の授業を聞いてくれるから、お金をもらえるのだと知らなければならない

生徒がいるから先生は存在できるのだ

本当は生徒のために先生がいるのだろうけど、現状は先生が存在できるために生徒がいるということになっているのだろう

 

気に入らない授業なら聞かなくていい

聞くことを強要するなんて、どうやってお金をもらえてるか分かってない先生のすること

聞きたいと思える授業ができなければ、先生に存在する価値はない

有益な授業を聞かせてくれたお礼に生徒は授業料を払うのだ

自分のもらっている給料はふってわいて出てきたものではなく、生徒が支払っているのだと再確認してほしい

 

先生の能力に応じて給料が変われば、生徒が先生を選んで給料が決められたら、もっと良い授業ばかりになるんじゃないか?

少なくとも自分は人の上に立てる偉い人間だという思い込みがなくなるだろう

そして試行錯誤して、どうしたら生徒にとって良いと思える授業ができるのか考えるようになるだろう

そうすれば上から目線で授業を聞くことを強要しなくても、自発的に聞いてくれる生徒が増えるかもしれない

 

よく自発的にと言うが、そう言ってるだけでは自発的にさせられてはいない

自発的を強要するんじゃなくて、本当に心の底からやりたいと思わせるのが先生のすべきことなんじゃないのか?

自分に必要だと生徒が感じることができれば、誰に何も言われなくても、自然にやっている

それは難しいことだから、別にすべての先生にできるようになってほしいとは思わない

ただ自分は生徒からお金をもらっているのだと自覚していれば、偉そうにして生徒から反感を買うことも少なくなるだろうとは思うのだ

 

それから先生は自分が教えている生徒が、人生のうちで本当に大事な時期を過ごしているのだと分かってほしい

自分が人ひとりの人生を左右してしまうかもしれないくらい影響を及ぼす存在なのだと自覚してほしい

人からのちょっとした言動ですぐに壊れてしまうくらいもろい時なのだ

 

自分のやっていることがすごいと思っているのかもしれないが、生徒の立場に立って、本当に生徒のためになっていることができているのかどうか考えたことがあるのか?

ただ「自分すごいことやってる、革新的で、他の誰もやってないことをしている」感がほしくて、自己満足のために授業をしているんだろう?

生徒のためを思っていたら、自分の授業は本当に生徒に聞かせられるだけのものなのか少しでも考えていたら、生徒に先生の話は聞きましょうとは言えなくなるはずだ

 

先生は本当に自分が偉いと思い込んでいるのだろうか?

先生というだけで特別になったつもりか?

自分の存在がそんなに尊いものだと思っているのか?

尊敬できない人を尊いとは思えないよ

先生になったというだけで尊敬を強要するな

そんな横柄な態度をとっている人を尊敬なんてできるはずないだろう?

 

成績落とすぞと脅して、無理矢理自分の授業を聞かそうとしているが、本当にそれでいいのか?

自分の授業はそんなに聞く価値のあるものだと思っているのか?

自分のやっていることはすごいなどとどうして思い込めるんだ?

 

高校生なんて何も知らない子どもだ

知識を与えず、この世にどんな考え方をしている人がいるか教えもせず、ただ生徒にどんな意見を出せるか知ろうとしたって、何も出てこないよ

何もないところからは何もでない

生徒の知らないことを教えるのが先生の仕事なんじゃないのか?

 

生徒の成績が悪ければそれは生徒の努力不足だと言うが、自分の授業が全く関係ないとでも思っているのか?

自分の考え方が良くないのかもしれないと思ってもいいはずなのに

先生だって常に勉強し、正しいことを教えられるようにしておかなくてはならない

 

とは言っても、理想通りにはいかないものだ

実際は教育委員会が示すような授業をしていれば給料はもらえるのだから、そんなこと考えることもないだろう

先生は偉い、というわけではないと思うが、そうなのかもしれない

 

私ひとりが何を言おうとも学校のあり方は変わらない

先生はいつまでたっても「先生」なのだろう

私にはもう終わったことなのだ

だから先生のあり方が変わったところで、もう私には関係のないことだ

 

 さて、いつものです。

 OTの人に

「バスに乗る練習がしたい。両替がうまくできるようになりたい」

と言いました。OTの人は何か言っていましたが、忘れました。

 とにかくそんな感じで、近くの池までバスで行くことにしました。行きも帰りもお金のあるなしに関わらず、両替の練習がしたかったので、両替をしました。行きはどうやってやったか忘れましたが、帰りは信号待ちをしている時に両替をしました。この時はできたけど、この先また同じようにバスに乗らないといけなくなった時に同じことができるのかという不安は残りました。

 池に着いて、池の周りを散歩しようと思いました。周りが山みたいになっていて、その山の中を歩きました。途中周りが木ばっかりで誰も通らないところを歩いていた時、歌を歌っていました。大きな声で歌いました。それから山を下りました。またバスに乗って帰ってきました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、だいぶ減ってきたような気はしていましたが、今ブログを書いていたら、またちょっと左足の震えが復活しているような感じなのです。気のせいか、気のせいでないのか、どっちなんでしょう?まあこれ以上は悪くならないと信じたいです。明日また診察ですが、特に言うことがありません。でも先生は私が言ったちょっとしたことをカルテにメモしています。特に変わりないということが大事なんでしょうか?でも診察はあっという間に済みます。明日もそんな感じなんでしょう。