幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

久しぶりの図書館で又吉直樹の「火花」を借りた。詩(のようなもの)「教師」。

 こんにちは。花子です。

 

 昨日は久しぶりに図書館に行ってきました。毎週日曜日は父が晩ご飯の当番なので、先々週から日曜日の昼はひとりで散歩に行くことに決めました。先々週はちょっと離れたところにある公園などに行き、2時間半ほど歩きました。昨日も散歩に行こうとして歩いていたら、トイレに行きたくなりました。近くに図書館があったので、久しぶりに行きたくなりました。結局トイレは近くのコンビニで済ませたのですが、図書館でも本を見ている間に催してきたので行きました。図書館では主に小説のところを見ていました。私の好きな、西加奈子さんや清水義範さん、荻原規子さん、平野啓一郎さんなどの本をパラパラッと見ていたのですが、そう言えば、かつて話題になったあの本はあるだろうかと思い、見てみるとなんと2冊もありました。それはお笑い芸人のピースの又吉直樹さんが書いた「火花」です。貸出し手続きを済ませてからさっそく図書館の椅子で読み始めました。最近なかなか読書ができなくて、読みたい本は山ほどあるのに集中できなくて、読めるかどうかちょっと不安だったのですが、読んでみるとスルスル読めました。実は借りる前にパラパラと本を見ている時に見た内容がすんなり頭に入ってきたので、読めるかどうかの不安はほとんどなかったのですが。読めるだけ読みたかったのですが、そろそろ帰らないといけない時間になったので、続きは家で読むことにしました。家に帰ってから父に

「図書館で「火花」をちょっと読んできた」

と言うと

「つまらなすぎて、借りる価値もなかったか」

と言いました。父は私が借りずに読んだと思ったみたいで、ちゃんと借りてきたことを伝えました。それにそんなにつまらないわけでもなく、割と面白かったことも言いました。そんなに長くないので、1日で読めました。でもこれが芥川賞なのかと思うと複雑な気持ちです。綿谷りささんの「蹴りたい背中」を読んだ時も同じようなことを感じました。確かに面白いとは思いましたが、芥川賞ってこんなもんなんだなと思いました。又吉さんの本は「火花」だけでなく「劇場」もあったので、今日はそれを借りて読んでみようと思います。

 

 さて、今日は第一月曜なので詩(のようなもの)を書きたいと思います。

「教師」

「自分には何ができますか?」と訊いておきながら、あなたにはいったい何ができているというのですか?

授業で教えているだけで、何かできているような気がして、満足なのですか?

生徒を社会の役に立つ人間に育てていると思っているのかもしれないけど、結局人まかせなだけじゃないですか?

 

自分は何もできていないじゃないか

自分の生活にいっぱいいっぱいで、誰も真剣に世界のことなんて考えていないだろう?

 

そもそもいったい“世界”って何なんだ?

自分が生きているこの狭い世界が私にとっての全世界なんじゃないのか?

アフリカとかアメリカとかヨーロッパとかアジアとか、そういうのが世界なわけではない

テレビやネット、新聞などを見なければ“世界”なんてないのと同じだ

“世界”のことを考えるあまり、自分の生活がおろそかになったら、考える意味なんてあるのか?って思う

考えてても行動できなければ考えてないのと同じだ

考えているだけで何もしていないのが教師だ

 

教師は自分が言っていることが自分にはできていないと知らない

自分はできている気になっている

やっていることは生徒の前に立ってしゃべっているだけなのに

しょせん職業としての教師なんだろう?

自分が生きていくために選んだというだけだろう?

教師なんて特別でも何でもない

 

世界平和を真に願ったとしても、私たちにできることは何もない

自分ひとり生きるのが精一杯だからだ

自分の人生は登場人物も少ないし、行動範囲も限られている

それが人ひとりの人生なんじゃないのか?

“世界”のことなんて思わなくても、毎日同じようなことを繰り返して生きる、それが人の生き方なんじゃないだろうか

 

教えていれば誰かひとりくらい“世界”の問題を解決できるような人が出てくるかもしれない

でも「先生の話を聞いてこうなれました」という人が短い教師生活のうちにいったい何人出てくると思う?

ほとんどいないだろう

それで自分の言っていたことは間違いではなかったと思うかもしれないが、自分が何か行動できていたのだと思うのは間違いだ

教師はただ人が何かをしてくれるのを待っているだけだ

 

アメリカの水爆実験で日本人漁師にも被害者がいて、今でも苦しんでます。私達にできることは何ですか?」って訊かれても、本当は何もないって書きたかった

知っていくことって書いたけど、知ったところでどうにもならないじゃないか

起こってしまったという過去が変えられるわけでもないのに

水爆実験をやめてくださいと遠く離れたこの場所から叫べば届くのか?

届くはずないじゃないか

 

死刑問題の時だって、私が「人殺しのような危険な人を野放しにしてはいけない」と書いたら、「死刑囚の人権が、、、」とか言う

それじゃあ死んだ人の人権はいったいどうなるんだ?

その家族の思いを無視してしまってもいいのか?

そもそもろくに情報を与えずにいきなり考えろと言われても考えられるはずがないだろう?

正直なところ、「知らないし」というのが本音だ

この先そんな人達と関わることなんてないのだし

 

それだったら先生にはいったいどんなことができているのですか?

何かできていますか?

テストの中のほんの少しの時間だけ考えて、答えが出せるような問題だと思っているのですか?

多くの人が考えて、今があるのだから、私達が考えたところで何も変わりはしないんじゃないですか?

 

教師のやっていることは馬の耳に念仏なのかもしれない

 詩(のようなもの)はここまでです。

 

最近の幽霊さんはまたちょっとひどくなっています。寒い時のガクガクだけでなく、手足の震えも復活しています。この前は乗っ取られ感が出てきました。しんどくなるのです。そして呼吸を荒くさせられたり、体を動かされたりします。叫ばされたりもしました。最近ちょっと良くなってきていたので、油断していました。と言っても、幽霊さんは私がどういう心構えでいても、関係なく出てくるのですが。つらくて泣きました。すると幽霊さんは私の顔を真顔にさせて、さも自分は人を泣かすようなことはしていないというような態度に出るのですが、全て悪いのは幽霊さんなのです。泣きながら父に背中をさすってもらって、なんとなく私がかわいそうというような感じになっていると、自分が悪者にされるのが不快なのでしょうか、幽霊さんは思いっきり大きな声で叫ばせてきました。もう叫びはないような気がしていたところだったので、ショックでした。でも幽霊さんが出てても、あまり気にしないようにします。できるかどうか分かりませんが。