幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

近所の神社のお祭りに行った。詩「できない」。

    こんにちは。花子です。

 

    今うちの近所の神社でお祭りをやっています。母とこの前の土曜日と日曜日に行ってきました。

    土曜日は空腹だったので、カリカリチーズ(300円)とスティックワッフル(300円)と串カツ(200円)を食べました。そこの神社は水が有名なので、飲み物は水で済ませました。

    日曜日は兄が前によく行ってた北海道料理屋に行こうと言うので、仕事でいなかった父以外の3人で行きました。そこで本日のおすすめ定食を食べました。焼きハラスとあん肝ポン酢とざんぎの定食でした。それで1000円です。安いですよね。また金銭的に余裕がある時に行きたいです。そして昼ごはんの後にお祭りに行きました。お腹いっぱいだったのですが、ベビーカステラがどうしても食べたくて、500円のを一袋買って、歩きながら全部食べてしまいました。本当はクレープも食べたかったのですが、またいつでも行けるので、またの機会にします。

    土曜日より日曜日のほうが人が少なかったような気がしました。昔は参道までずらりと屋台が並んでいたのですが、今は神社の中だけになってしまいました。これから先なくなることはないでしょうけど、いつまでも続けてほしいです。また母と一緒に行きたいです。

 

    今日は第1月曜なので、詩を書きたいと思います。

「できない」

あの人達に「私は何もできない」と言った

でも本当は自分達の子どもが何もできない無能なやつだと知られたくなくて、私は自分が何かできているように見せてやっているのだと思っていた

 

私があの人達に何かを言っても絶対に理解してもらえないと思っていた

私の言いたいことはあの人達に見えていることの中にないのだと思っていた

私が無能であることを見なくてもいいように、私が頑張ってしてやってきたと思っていた

だからあの人達は私が何もできないということを知らないし、私が頑張ってあの人達には分からないようにしてやってきたという事実があることさえも分からないと思っていた

 

分からなくても誤解されてても同じなのだろうか

言ったって、私が言っていることとは違うことをその頭の中に入れてしまう

言わなくたって、間違ったものを作り出して、それが本当なのだとしてしまう

どっちにしたって同じじゃないか

と思っていた

 

誰からも理解されない

特にあの人達からは理解されないと思っていた

私が私を見せなかっただけなのに、あの人達は間違った私を私だと思い込んでいて、たぶん一生そうし続けるような気がしていた

 

私ができないと思っていたこと

それは私の全てを犠牲にしてあの人達に何かをしてあげたり、あの人達より上にいかないように精一杯子どもらしく振る舞うことだったと思う

それらをあの人達から無意識に要求されていると思っていた

 

あの人達はただ分からないという不安から逃れたくて、“分かっているという安心感”を得るためだけに間違った私を作り出しているのだと思っていた

そのために私は偽ものであり続けないといけない気がしていた

素のままの自分を見せたらよかった

ただそれだけなのに

 

孤独だった

苦しかった

でも孤独が苦しかったわけではないかもしれない

理解してもらえないことが苦しかったのかもしれないけど、何が一番苦しかったか

それは人が私に危害を加えてくると言うただの妄想だったと思う

理解してもらえるようにしなかったのに、理解してもらえないと嘆いていたのだ

それが私にとっては脅威だった

 

でも今は恐れなくてもいい

だって自分を離れたところから見ることができるのだから

誰も危害を加えてくることはないのだから

    今日の詩はここまでです。また来週からはいつものです。

 

    最近の幽霊さんはだいぶ大人しくなりました。考えないようにしているからでしょうか。でも全くでないわけでもありません。1日1回は必ず出てきます。手足が震えたり、変な表情にさせられたりします。幽霊さんのこと考えてないのに突然出てきます。せめて1日だけでもいいから幽霊さんの出ない日があればいいんですけど。でもこの前の診察で先生が、一生いるわけではない、いつか必ず出て行くと言っていました。その言葉を信じて毎日を生きたいです。