幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

私は無能(人の上には立てない)。詩「危ない橋」。退院が決まって、みんなにさようならを。

 こんにちは。花子です。

 メンタリストDaiGoさんの「無能から抜け出せない人の行動パターンTOP5」を見ました。生まれた時から無能な人はいないとおっしゃっていましたが、私はそうは思いません。ある程度能力がある人が実践すると良さそうなことを紹介されてましたが、私の無能はこんなんじゃなくならないだろうと思いました。私は本当に無能です。でも外からはあまりそうは思われないようなのです。

 中学生の時吹奏楽部の副部長になりました。そうなる前に副顧問の先生が私と少数の部員を集めて、部長になった子を部長にしないようにするための相談会みたいなのがありました。その中で私が部長になればいい、と言うようなことを言われて、私もその方がいいのかなと思ったりもしましたが、この時はまだ自分の無能さを知らなかったのです。集められた子も私が部長になるのなら、副部長になってもいいと言ったりしていました。結果的に選挙で部長には前からなりたいと言っていた子がなり、私は自分から副部長になりました。

 私には人の上に立つということができないのです。部活動をするには何をしなければならないか、全く分かってなかったのです。だから私は部長にはなれるはずもなかったし、副部長の役割ですら満足に果たせませんでした。その発端は副顧問の先生の思い込み、私なら吹奏楽部をいい方へ持っていけるはず、という思い込みにあったのです。私には何もできません。どうしてそれを見抜いてくれなかったのか、悲しくてたまりません。

 楽しかったはずの部活も、思い出すのはなんだか上手くいかなかったことばかりのような気がします。今日も昨日もその前も、ずっとずっと前から後悔するようなことばかり頭に浮かんできます。今を精一杯生きていたら昔のことを思い出さないかな、なんて思うのに、私には過去を振り返れないほど忙しい毎日は過ごせないのです。そういう毎日を自分から選んできたのです。いつでも自分にとって一番良い選択をしてきました。その結果がこれです。私はただの障害者なのです。でもこれ以上にいい人生なんてありません。未来には今より悪いことしかないなんて思わずに、きっとなにかしら良いことが待っているだろう、と思って今を乗り切ります。

 

 それでは詩です。

「危ない橋」

私達はいつも危ない橋を渡っている

だだっ広い運動場を悠々と歩いているのではない

でもそれに気づいている人は少ない

いつ足を踏み外すか分からない

微妙なバランスで日々を歩いている

 

体の一部が欠けるだけで、毎日がガラッと変わる

目が見えなくなると、耳が聞こえなくなると、生きるのがつらくなる

骨が折れたり、手足がなくなったりすると、不自由で仕方ない

すべてそろった完全な体でいられることが、どんなに良いことか

それを多くの人は知らない

知らないで、毎日不平不満を言う

当たり前に感謝しましょうなんて、普通に言うけれど、本当にそれができる人がこの世にいるのか?

いつだってみんな足りないところに目を向ける

そして人と比べて、自分はなんて不幸なんだと嘆く

 

幸せをかみしめて生きている人はこの世に少ない

ちょっとでも欠陥があると、すぐにつらい苦しいと言う

本当につらいことや苦しいことはどんな人にでもあるだろうけど、それだけじゃないだろう?

楽しい、嬉しい、幸せだと感じられることだって、見ようとしないだけで、いっぱいあるとは思わないか?

 

ただ見ればいいのさ

当たり前のようにある幸せを特別なこととして見るだけで、人生すごく豊かになると思う

だから自分の幸せを見れば、それだけで幸せになる

というよりもともとあったものだし、幸せは別に逃げはしないのだから、ただ見つめるだけでいいんだ

 

この危険な橋をそうとは知らずに悠々と歩けるのは、みんな盲目だからだ

目隠しをして渡り歩いている

それでも踏み外すことなく歩いていられるのは、やっぱり見えない何かに守られているからだろうか

でも私が知らないだけで、踏み外している人もいる

 

多くの人は本当の不幸を知らない

私も本当の不幸を知らない

知らなくていい

ずっと幸せに生きていたい

 

でも今日したことが明日にどうつながるか分からない

今したことで10年後どうなってるか分からない

だから人は盲目なのだ

先のことはどうしたって分からない

目隠しをされた私達は今のことしか分からない

この危険な橋を渡り歩いて、自分の人生を知っていくのだ

 

当たり前に感謝して、いつどうなるか分からない人生が良い人生になるように、橋から足を踏み外さないように、生きていきたい

いつかこの橋も終わってしまうのだから

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 また外泊が決まりました。私が早く退院したいと言うので、先生は

「この外泊で問題がなければ、外泊後帰ってきたらすぐに退院ということにしましょう」

と言いました。

「その代わり退院後しばらくは私の外来に通ってください」

とも言っていました。

 退院する日に看護師のMさんはいないと聞いたので、外泊の前に私の書いた詩や絵を見てもらっていました。この絵が一番好きだとか、この詩のここに共感するとか言ってくれました。

 最後にさようならを言いたいので、Mさんの仕事が終わったら、出入り口までほんの少しですが一緒に行こうということになりました。私はお風呂上がりだったので、カーテンを閉めてボディクリームをつけていたらMさんが来て、急いで服を着て、部屋を出ました。お世話になったことにお礼を言って、さようならをしました。

 あのおねえさんにも詩を見せました。するとおねえさんは

「すごいじゃない。私にはこういうのよく分からないけど、絶対何かに応募した方がいいって」

と言いました。退院が決まったことを言うと、

「詩を応募すること、私があげた髪かざりを使うこと、この2つは絶対ね」

と言っていました。

 外泊で父の仕事場に泊まり、何をしていたか思い出せないほど何事もなく過ごしていました。だから病院に帰ってきたらすぐに退院となりました。まず父と先生が2人で話をし、それから私も呼ばれて何か話をされました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、一度酷いのがありました。軽く叫ばされて、ジタバタと体を動かされたのです。とてもしんどく、いつになったら私の不幸は終わるのかと不安でした。でもそれ以外はちょっと体が震えてたり、口元がニヤッとなるくらいで、大きなものはありません。最近幽霊日めくりを作ってみようと思って、文章を考えてみました。後は解説のようなものを考えるだけです。できあがったら、いつになるかはわかりませんが、ブログにも載せてみようと思っています。それまでに幽霊さんがいなくなってくれたらいいんですけど。