こんにちは。花子です。
最近思うことがあります。それは自分は今のままでいいのか、ということです。明日になったら違う自分になっていたい、なんて思うのに、どういう自分になれたら自分は満足なのか、全く想像がつかないのです。自分が変わりたいというより、周りの環境を変えたいです。でも外に出る勇気は今の自分にはありません。きっと10年後の自分にもないでしょう。私はこの閉ざされた環境の中で生きていくのだと思います。
今の生活を変えたくはありません。でも違う人生を想像してしまうのも事実です。夢の中だけで違う人生を歩んで、現実は今のまま、そんな人生で本当にいいのでしょうか。自分の本当に本当の願いは何なのでしょうか。それが分かればそれに向かって努力できます。でも私は作家になるために出版社を駆け回ることもできないし、恋人を作るためにマッチングアプリをすることもできません。できないというより、やりたくないのです。外の世界には怖くて出られません。家とその周辺を歩くだけで精一杯です。環境を変えたいと思いつつ、やっぱり変わりたくないというのが現状です。
それでも何か変わらないかと思って、エッセイの賞に応募してみました。そこから何か変わらないかなんてちょっと期待はしているのですが、あまりいいのが書けたとも思えず、でもあれが私の精一杯の作品なので、せめて佳作にでもならないかと思っています。私の夢は文章を書く仕事をすることですが、それもどうしてもなりたいわけでもなく、ただちょっと夢を見ているだけです。今のままでいい、むしろ今のままがいい、そう心の底から思えない自分を変えたいです。現実を見据えて、今の生活ができることに感謝できればいいのですが、私はいつも夢見がちです。こんな夢などいっさい見なかったあの頃に戻りたいです。
あの頃夢見た、学校に行かなくていい生活、それができるようになったのに、夢が叶ったら、また違う夢を見て、ぼんやりしている毎日です。特に心配事はありません。お金の心配もしなくていいし、親の介護もしなくていいし、人間関係も全くないので、それも心配しなくていいのです。もっと何かを頑張らねば、なんて思うのに私には何をしたらいいかわかりません。いつでも思っています、自分は今何をすればいいのか、と。きっともうすぐしたら幽霊さんもいなくなって、何か目標が見えてくるかもしれません。もう少し待つ、そんな感じで毎日を過ごしていきます。
それでは詩です。
「劣等感」
かつては自分が誰よりも下だなんて認めたくなかった
見かけじゃない、大事なのは、と思っていた
中味が私は誰よりも上なのだと思っていたのだ
派手な化粧をして、おしゃれをしている人を見下していた
頭の中がからっぽな気がした
でも中味もあり、見かけも良い、そんな人がこの世にはいるのだ
そんな人より私は下なのだ
この世のほとんどの人より私は下なのだ
そう言えば、昔はクラスの中でも下の方にいるような気がしたものだ
見下されて、悪口を言われていた
いつの頃からか、勉強のできる方だった私は少しだけ人を見下すようになった
勉強ができる人の方が上だという感じがあったからだ
みんなより少し上な気がした
それでも見下されている感じがなくなったわけではなかった
心に劣等感はいつも抱えていた
きっと私はどんな風になったって、劣等感を持ち続けるのだろう
私はそういう人間だ
でも人と比べなければ、私の人生なかなか良いものだ
下にいてても満足に生きられる
底辺でも私は幸せに生きられる
私は人より上じゃないと生きられない人間ではないのだ
人に見下されても、腹を立てたりはしない
ショックではあるが
でも人を見下したって良いことなんて何もない
私だってすべての人を尊敬できるわけでもない
どんな人にだって尊敬できる部分と見下してしまう部分とがありはしないか?
見下したとしても、私がその人より上だと思っているわけではないのか、あるのか
でもそれは心の中に自然に湧き起こる感情だから、どうしようもない
どんなに良い人でも良くない感情は出てくるものだ
腹の黒くない人は、本当にすごいと思う
でも良いようにしか見えないということは、真実の姿が見えてないということじゃないのか?
自分より下にしか見えない人もいる
私は心のきれいな人になるよりも、真実をまっすぐに見られるようになりたい
その過程でどうしても見下すということをしなければならないものだ
私だって下にいることにただ甘んじているわけではない
上を目指して、常に成長を願っているのだ
何に関しても上達したい
それがただの遊びでも、今よりもっと上に行きたいのだ
上は限りなくあるけど
たぶんそんなに上には行けないだろうけど
でも頑張りたい
生きているんだもの、時には頑張らなければならない時が来る
上とか下とか考えなくてもいい次元に行きたい
行けるものなら行きたいが、きっと私はいつまでも下にいる感じがするのだろう
私はそういう人間だ
詩はここまでです。
さて、いつものです。
退院後どんな生活をしていたか、もう断片的にしか思い出せません。でもたぶん詩を書いてみたり、パソコンで音楽を聴いていたりしていたのだと思います。詩を書いては父に見せていました。そしてブログを父に作ってもらって、自作の詩を載せたりしていました。
一度兄が父の仕事場に来たことがあって、3人でこたつに入っていました。私は家族の前でも自然体になれるのだと示したくて、andy moriの「city lights」を少し歌いました。でもうまく歌えませんでした。それを聞いた兄は
「どうしたの?はなちゃんもまだまだだね」
と言っていました。
この頃はまだお試し用のコンタクトレンズをしていたと思います。ある時私はなぜか泣いていました。涙が出なくなってからお風呂屋さんへ行こうとしました。泣いた後は目が乾燥するらしく、コンタクトレンズがはがれてきました。急いで父の仕事場に戻り、コンタクトレンズをとりました。私にはコンタクトレンズは合っていないのだと思い、いずれにせよ返さないといけないお試し用のコンタクトレンズだったので、返しに行くことにしました。値段も高く、私には無縁のものだったのです。
父の仕事のない日曜日にいったん家に帰って、ドライヤーを父の仕事場に持って行こうとしました。部屋にこもっていた母に
「ドライヤーってどこにあるか知ってる?」
と訊くと、
「適当なの買って」
と言われました。だから近くのホームセンターでドライヤーを買い、父の仕事場へ持っていきました。
お風呂屋さん代がもったいなくて、一度父の仕事場のお風呂に入ったことがあります。父が沸かしてくれました。入ったはいいものの、寒すぎて寒すぎて、もう二度と入れないと思いました。シャワーもなかったので頭や体を流すのも大変でしたし、父曰く私があまりにも寒いので失禁したと言っていたそうです。私は全然覚えていないのですが。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんはまだまだ小さないやがらせが結構あります。右手、左足はしょっちゅう震えてるし、なぜか分かりませんが、変な顔にさせられます。もう幽霊さんの行動は全てわけが分かりませんが、分からなくていいので、今すぐ出て行ってほしいです。私の気持ちは幽霊さんには伝わらないかなぁ。