こんにちは。花子です。
自分の人生は自分で選択して作り上げていくものです。私も今までいろんなことを自分で決めてやってきました。でも自分で決めたと言うよりは、それしか選択できなかった、という感じでした。それでもそれも自分の選択ではあると思います。高校の時はもう全く勉強ができないというところまで追い詰められていたので、大学受験はしませんでした。それが人生で初めての挫折だったと思います。もう学校にはどうしても行きたくなかったのです。なんでみんなは、と言うより、うちの両親は普通に大学に行けて、就職もできていたのに、どうして私にはアルバイトですらできないんだろう、そう思ってつらい時期を過ごしました。私だってできることならみんなに流されて、みんなと同じ流れに乗って、社会が敷いたレールの上を走りたかったのです。でも私には無理でした。自分の中の自分という存在を無視するわけにはいかなかったのです。前にも書きましたが、嫌なものは嫌なのです。無理なものは無理なのです。できないものはできないのです。
入院して一旦自分の中がリセットされた気がしました。そしてまた私は働かなければならないのだと思うようになりました。でも朝に起きられず、こんなんじゃ働けないと毎日のように泣いていました。外で働けないのなら、その時の私は詩のようなものを書いていたので、詩人になるしかないと思って、父にブログを作ってもらい、そのブログに書いた詩を載せていました。でも私には詩人にはなれませんでした。
外で働くのならまずはデイケアに行かなければ、そう思ってデイケアに通い始めました。8年ほど通いました。その中で私の働き方の考えが変わりました。B型事業所でいいから働きたい、なんて思っていたはずなのに、それは私の中から出てきた願いではなく、外からの圧力で必死に捻り出した答えなのでした。そんなもの長く持ち続けられるはずがありません。私の願いは仕事なんてしたくない、というものなのだとその時改めて気づきました。そして私は一生働かなくてもいいという金銭的安心を得ることになります。そこで私は本当に一生今のままで生きたいのだということを認められるようになりました。
できることなら今やっていることから仕事に繋げられないかなと思います。つまり書くことが仕事にならないかと思うのです。でも今の私は別に絶対これを仕事にしなければ、とは思いません。もう私はお金のことで悩まなくてもよくなったのです。今こうやってブログを書こうと思ったのも、私の人生の選択なのだと思います。見てくれる人がいなくても、私にはできることを精一杯やるだけなのです。詩人になるという選択は自分ひとりではできません。私の詩にお金を出したいと思ってくれる人がいない限り、私は詩人にはなれないのです。でも詩人になりたいという選択は自分ひとりでもできます。私は作家になりたい、そう思って努力を続けていたら、いつか報われるかもしれないし、報われなくても、満足のいく人生にはできそうです。
まずは詩です。
「見落としている」
学校でも会社でも、皆何か大事なことを見落としているような気がする
私も何か大事なことを見落としているような気がする
でも大事な何かなんて見落としているくらいで丁度いいんじゃないか?
その方が楽に生きられはしないか?
大事なことなんて、探している人はあまりいない
探したって見つからないかもしれない
でも皆一番大事なところが抜けている気がする
何をしていても、心のどこかに穴が空いている
その穴がどこにあるのかは見えていない
穴が空いていることにすら気づかない
皆そんな穴を抱えているのだろうか
そして気づくことのないまま、ほとんどの人は死んでいくのだろうか
私だって忘れていることが多い
穴があるということを
でも時々思い出す
そしてなんだか少し虚しくなるのだ
穴を探していたら、世間体や人目を気にすることはなくなる
人間関係に悩むことも馬鹿らしくなる
もっと大切な何かがあるからだ
皆必死に何かをしているけど、それが本当にすべきことなのか
学校で教えられていることは本当に教えられるべきことなのか
社会で大事だと言われていることは本当に大事なことなのか
大事なことはどこにもない
ただ自分の中にだけある
自分の中に何か足りない大事なことがあるはず
それは変な意地を張れば張るほど、欲にまみれればまみれるほど、失われているような気がする
何かが見えていない
でも何が見えてないのかは分からない
大事なことを自分とかけ離れた場所に追い求めるのではなく、すぐそばを探したらいいんじゃないか?
そばにある大事なものを見る目、感じる心を失っているのではないか?
いつ失ったのだろう
どこでなくしたのか
探せば見つかるのか
見えていないだけで、本当はすぐそばにあるんじゃないか?
そんな大事なものを見ようともがいている
一生見えないものなのかもしれない
見つけられなくても生きていける
そうやって人は毎日を生きている
大事なものを見失ったまま
私はそれでいいのだろうか
いやきっと自分の中のどこかに見つけられるはず
それを見つけるまでは死ねない
そうやって私は毎日を生きるのだろう
詩はここまでです。
さて、いつものです。
なぜか散歩に行くことになりました。私が働くためには体力をつけないといけないと幽霊が思っているような気がしました。それで半ば無理やり行くことになりました。たぶん幽霊が私の口を使って
「散歩に行け」
と言わせてきたからだと思います。でも幽霊はいつの時も私の頭の中に浮かんだことしか言えないので、私の頭の中に「散歩」や「行け」などの言葉が浮かんできたのかもしれません。とにかく私は幽霊の意志に従うことにしました。
家を出る前、心配した母が水晶をお守り代わりに持たせてくれました。母もワラにもすがる思いだったのでしょう。
外に出ました。ちょっと家からは遠い神社のあたりまで歩きに行きました。頭の中で「助けて、助けて」という言葉が出てきました。この時幽霊はまだ私が幽霊のことを疎ましく思っているとは思っていなかったみたいで、幽霊に対して私を何かから助けてほしいと言っているのだと勘違いしていたようです。でも私が「助けて、幽霊から助けて」と思うと、幽霊は私の口を使って、「えー」と言わせてきました。もちろん人に聞こえないように息だけで言ったのですが。「えー」というのは自分の思っていたのとは違って、驚いた時に発する言葉です。顔も驚いたような顔にさせられたと思います。でも覚えているのはこれくらいで、あとは何事もなく帰ってこれました。
父が帰ってきて、私の幽霊のことを言うと、次の日にそれまで通っていたT神経科に3人で行こうということになりました。T神経科には父と母と私の3人でしたが、T神経科の近くの父の仕事場には兄も一緒に行きました。
父に幽霊に取り憑かれたと言った時、父は
「なんでお父さんには入ってこないんだ?」
と言いました。父はこの時まだ幽霊のことを分かっていなかったのです。
「お父さんの中に入ってきたらやっつけてやるのに」
とも言っていました。幽霊の力がどんなに強いか、父は分かっていませんでした。どんなに精神力の強い人でも、幽霊のいやがらせをとめることはできないのです。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんはこの前少し大きく出ました。夕食時魚の骨を取る作業に集中しようとしたら、幽霊さんが左足を震わせてきたのです。それが嫌で母に「幽霊さんに震わされてる」と言うと、幽霊さんはさらにひどくなりました。食後椅子に座って父が洗い物をするのを見ていたら、急に右手で自分の頭を叩かされました。でも前のように叫ばされたりとかはなく、そこは少し進歩したかなというところです。それ以外はあまり出てきません。もういなくなってくれたらいいのになぁ。