こんにちは。花子です。
かつて私は、自分の人生を映画のようにできたら、どんなに素晴らしいものができるだろうと思っていました。でも今になって分かります、私には人より優れた感受性はないのだと。私が見ている景色は私しか見ていないと思っていました。でもそんなことはなく、同じものを見ている人はいっぱいいるのです。みんなこの地球を観察しています。そして何かしら思うのです。私だけが物事を考えられるのだと思っていました。誰よりも高い場所にいた私はたった一人でみんなを見下していたのです。でもみんなと比べてしまうと、私は誰よりも下にいます。普段はあまりそんなこと考えませんが、このブログが誰にも見られてないこととか、Xもほとんど表示されていないことなどを知ると、やっぱり私には才能なんてないのかなぁと思ったりもします。でも自分一人だとちょっとは自信があるのです。私は素晴らしいものが書けている、そう思うこともない訳ではありません。あとは本当に他人から認められるのを待つだけなのです。私は幽霊さんがいなくなることと作家になれることをずっと待ち続けているのです。
私は自分の人生を人に見せたいと思っていました。面白いはずなんて思ってたのに、私の今の生活は本当につまらないものです。起きて、朝ご飯を食べて、母とカフェでモーニングを食べたり、回転寿司を食べに行ったり、パスタを食べたりして、買い物をして、家に帰って、何か書いたり、本を読んだり、ヨガをして、晩ご飯、風呂、寝る、そういった感じです。そして毎日ほぼ一緒の生活をしています。それで満足なのです。不満はありません。嫌なことはなくなりました。やりたくないことをやらなければならない人生からはおさらばしたのです。
働きたくない?なら辞めちゃえよ、なんて思うのに、私のように恵まれた環境に居られる人ばかりではないから、私にはどうにもできないのです。自分がどうしたらいいかさえ分からないのに、他人がどうしたらいいかなんて、どうして分かるでしょうか。でも嫌なことからは逃げられる、私はそう信じています。やりたくないことをやり続けて、生きられなくなるのなら、生きてる意味なんてあるのでしょうか?私は嫌なことのない人生にしたいと思っていたから、それがほぼ実現しましたが、みんなそんなことができる訳ではないのでしょうか?どうしたらみんなが生きやすくなるかを考えていますが、私には何もできないのが現実です。私が何を言っても、人を救うことはできません。自分のことは自分しか救えないと信じているからです。でも自分を救う手助けはできないかなとは思います。私が苦しみながらも考えてやってきたことを知ってもらって、それを自分自身を救う手助けにしてほしいのです。
私は自分を救うために書いて書いて書きまくりました。そうしているうちに自分のことが分かり始め、自分は自分のままでいい、そう思えるようになったのです。自分はこういう人間ですとみんなが言えるようになれれば、この世界は少し救われます。自分を大切になんてよく言うけれど、具体的にどういうことか、よく分からないですよね。この社会で生きていくためには自分を殺さないと生きていけないような気がします。私は社会参加を諦めました。もう自分のことを否定しないと生きていけないなんて、つらすぎる、そう思って社会から距離を置くことにしたのです。だから私にはこの社会で生きるために何をしたらいいかはよく分かりません。こんなんじゃあ人のためになることはできないかなぁ?
まずは詩です。
「才能」
才能がほしい
有り余るほどの才能がほしい
両手の上に収まりきらないほどの才能がほしい
両手に有り余る才能を持っている人が羨ましい
何でもできている人が妬ましい
才能が有り余っている人、それはこの世界でごくわずかだ
でも誰だってそのわずかのうちに入りたい
そうやって何もできずに人生を終えていく人はたくさんいる
天才に生まれたかった
努力すれば誰だって天才になれるなんて、誰が言ったんだ?
私には何もできないじゃないか
努力するって何をしたらいいか分からない
どうして私には何もできないんだ?
何かをしたい、そう思って毎日を生きている
私には何の才能もないのか?
もう生活保護で節約しながら生きる未来しかないのか?
誰かの心に響く文章を書きたい
だからこうやってない才能をひねり出しているのだ
今の私にできる努力と言えば、こうやって文章を書くしかないのだ
誰か私を認めてくれないか?
私にだって夢はある
ささやかだけど夢がある
叶いそうもない夢がある
そんな夢を見て毎日過ごしている
夢なんて考えたこともなかった
それが今頃になって、叶うはずのない夢を見ている
私が文章を書いて人の役に立っているという、あり得そうもない夢を
誰かに必要とされたい
みんなそうだ、みんな誰かを必要としているし、誰かに必要とされたい
人はいつでも人を欲している
孤独では生きていけない
私は人の心の支えになりたい
それが今、この社会で役に立つことが何ひとつできていない
こんなんで生きてる価値があるのか?
人の役に立ちたい
人から求められたい
私に生きてる価値をつけてくれる人はいないのか?
私は価値がないとは思わない
でもその価値は誰からも認められていない
世界中の人から私という存在を認められたい
そうやって、すごいとか偉いとか言われて褒められたい
でも本当はたいしてすごくないし、偉いわけでもない
それでも誰かから褒められたい
私の人生こんなんで終わるのは嫌だ
夢を叶えたい
叶いそうもない夢を現実のものにしたい
でも本当は夢は遠くで見てるだけがいいのかもしれない
何が私にとって良いことなのか分からないよ
私の中の私は一体何を望んでいるのだろう?
答えなんてないのかなぁ
詩はここまでです。
さて、いつものです。
熱が出ました。40度の高熱が2、3日続きました。熱を下げるための下剤を入れられたり、たんをとって調べられたり、病院内にあるCTで検査されたりしました。下剤でも熱は下がらず、検査でも原因は分からなかったので、別の病院に行くことになりました。父の友人が院長をやっているO病院はどんな人でも絶対に受け入れるということだったので、そこに行くことになりました。
タクシーでも十分行けたのに、なぜか救急車で行くことになりました。一緒について来てくれた看護師さんに、救急車の中で、
「こんなことで使っていいんですか?」
と訊くと、看護師さんは
「これが正しい使い方」
と言いました。耳を疑いました。そういえばI病院での主治医の先生も
「骨が溶けるかもしれない」
と言っていました。だから急ぎたかったのでしょう。でも熱ぐらいで骨は溶けないと思います。死体を焼いても骨だけは残るのですから。この先生にも
「大丈夫か?」
と言いたくなりました。
初めての救急車でした。あっという間に着いたと思うのですが、特に感動したりはしませんでした。それよりも幽霊に何か叫ばされたりしたらどうしようという不安の方が強かったのです。
検査するために大勢の人が入る大きな部屋に運ばれました。骨髄液をとられました。横向きに寝て、おへそを見るように丸くなり、何もされてる感じがなく、すっととられたようです。痛みなどは全くありませんでした。
それから尿をとりに女性の看護師さんとトイレに行きました。中間尿がいいらしく、ちょっと尿を出してすぐに止め、それから紙コップで受けて尿をとりました。はじめてでしたがうまくいきました。看護師さんも
「うまくできたね」
と言ってくれました。
検査を待ってる時も幽霊が私の体を震わせてきていました。待っている間もただ待っているだけじゃなかったのでつらく、幽霊がこの先どんないやがらせをしてくるか分からず、不安でした。
待っていたら遠くの方で父とこの病院の院長が話しているのが目に入りました。院長はまさか自分の友人がこんなことになっているなんてとびっくりしたそうです。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんはいつも通りです。ただこれから寒くなってくるので、全身のガクガク震えるのがあるのかと思うと、ちょっと憂鬱です。体調は前より良くなりました。幽霊さんのいやがらせが気持ち悪いと思えるほど良くなってきました。少しはマシになってきているのかなぁ?