幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

キタニタツヤさんの夢を見る。詩「幸せな子供時代」。ベッドで食事をとるようになる。

 こんにちは。花子です。

 現実世界で人とあまり接することがないためか、夢の中に有名人が出てくるようになりました。昨日はミュージシャンのキタニタツヤさんが出て来ました。どこかお店の一角で、私が料理をしているのですが、時間が間に合わなくて、どうしようとなっている時に、キタニタツヤさんが手伝ってくれて、なんとか出来上がるというものでした。私は夢の中で「キタニタツヤさん!」と叫んでいました。声をかけるのには勇気が要りました。でもキタニタツヤさんは感じよく接してくれて、私は舞い踊りそうでした。でも夢の中の話です。現実になることはないでしょうね。

 私がよく見る夢は川の夢です。家の近くに川があるというのは関係してるでしょうけど、それとはちょっと違う川です。不思議な感じです。川が溢れていることもたまにあります。あまり良くないようなのですが、大事なのは夢のメッセージをどうやったら活かせるからしいので、前向きに捉えたいと思います。

 学校の夢はよく見ますが、これは誰にでもあることでしょう。みんな学校には行っていたのですから。私は文化祭の夢をよく見ます。いつもギリギリになっても踊りを覚えられていないのです。もうサボろうかと思っています。そして授業をサボる夢もよく見ます。一度も出席したことない授業があって、それをもうサボろうと思っているのです。それは大抵高校の化学の授業です。もう今更参加しても意味がないのだから、帰ってしまえと思っています。体育の夢も見ます。また新体力テストかぁ、嫌だなぁと思っています。そしてそういえばテストはもう終わったんじゃなかったっけ?なんて思っているのです。

 他にも夢はいっぱい見ますが、いつもよく分からない夢ばかりです。夢ってそういうものですよね。兄もよく「変な夢見たぁー」と言っています。あの情景を表現できたら面白そうなのに、それができないのが悔しいです。ある作家は夢に見たことを作品にしていたと聞いたことがありますが、そんなこと普通の人にはできないですよね。それができるようになりたいなぁ。いつも家族に夢の話をしようとするのですが、うまく言い表せられません。せめて家族にぐらい話せたらいいのになぁと思います。

 今日もまた何か夢を見るでしょう。楽しい夢を見たいものです。昨日の夢のようにせめて夢の中だけでも好きな人と話ができたらいいのですが。でも本当は現実で誰かに会って話をしたいというのが本音です。キタニタツヤさんとは無理でも、誰か話せる人はいないかなぁ、なんてそれも夢のような話です。私は昼も夜も夢を見ているようです。現実ってなんだっけ?

 

 まずは詩です。

「幸福な子供時代」

幸せな子供時代は終わった

何も考えずに生きられる人生はもう終わったのだ

みんなと一緒の列車に乗ってきた

途中で私はみんなと一緒にいるのが苦しくなり、ひとり列車を降りた

その線路に私の乗るべき列車は来なかった

列車に乗って生きられる人生は終わった

自分で歩く道を作らなければならなくなったのだ

 

先が見えない

立ち止まってひとり涙を流していた

でも涙は出なくなった

自分の足で歩くのだと決心できるようになったはずなのに、どこをどう歩いていいのか分からなくなった

 

誰かに助けてほしかった

でもいくら待っても誰も来なかった

歩き出した

ゆっくり、ゆっくりと

つまずいた

立ち上がれなかった

でもいつまでもそのままではいられない

立ち上がってまた歩き始めた

 

後を振り返った

何も考えずに遊んでいただけの自分がそこにいた

でもそれは幻だった

前を見て歩けと急かされる、ような気がした

みんな前を向いて歩いているのだ

 

みんなみんなになろうと焦っている

みんなって一体何なんだ?

人はみんな違う、そんな当たり前のことがこの社会では通用しない

本当に違っていたら、私だってもっと楽に生きられたんじゃないか?

個性なんてものは持っていたら潰される

個性的なんて言うと聞こえはいいが、要は変人なのだ

そんなのみんなの中じゃ息苦しいに決まっている

かと言って外に出て生きられるかと言うと、そうでもなかったりする

みんなと一緒になれず、かと言って自分だけの道を行けるわけでもない、そんな人いっぱいいる

そんな人はどうやって生きたらいいんだ?

 

誰も助けてくれないから、自分で道を切り拓くしかない

いつか自分の足で歩ける日が来ることを夢見て、私は書き続ける

でもやっぱり私はいつまでも子供のままのような気がする

大人になんかなれない

親になんかなれない

自分の足で歩けても、大人にはなれない気がする

 

幸福な子供時代が終わり、苦悩に満ちた大人になるなんて、私には当てはまらない

大人と呼ばれるようになっても、私は私だ

自分で自分の足を動かさなければ生きていけない

人生は自分で作っていくものだ

たとえそれが思い描いていたものと違っていたとしても

 

私は生きたい

私の人生ただそれだけなのかもしれない

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 詰所の看護師さんのパソコンの置いてある机で夕食を食べていました。この頃も幽霊に叫ばされていたはずですが、ちょっとおさまっていたのでしょう。だから詰所で食べていたのだと思います。看護師さんが最後のデザートのヨーグルトに薬を入れて私はそれを食べました。薬を飲むのを拒否するかもしれないと思われていたのでしょうか。そんなことしなくても私は薬を飲んだのですが。

 食べ終わって、立ち上がると、幽霊が私の足を使って詰所を出ようとしました。私はそこにいた看護師さんに

「すいません、足が勝手に動いて、、、」

と言いながら、足が勝手に動いていました。すると男性の看護師さんが二人で私を取り押さえ、ベッドに連れて行きました。また拘束されることになるのですが、今度は足まで縛られました。

 幽霊はこんな状況ではこんなことを思うのだろうかと私が想像したことを叫んでいました。それは

「縛らないでー。なんで俺の体ないの?なんで俺の体ないの?」

という感じでした。私にはこの時幽霊が叫んだことが本当に幽霊の思ったことなのか分かりません。ただ私の頭の中に浮かんだことを言っていただけでしょうか、それとも本当に自分の体がないことを嘆いていたのでしょうか。

 それから食事は観察室の自分のベッドでとることになります。それが不思議なことに、夕食を食べていた記憶しかないのです。朝食も昼食もここで食べていたような気がするのですが、覚えていません。夕食しか覚えていないというのもたぶん食べさせてもらっていたからだと思います。女性の看護師さんにひじきとごはんをベッドに縛られながら食べさせてもらったり、食事が食べられなくて、ヨーグルトとプリンを食べさせてもらっていました。

 この頃から幽霊は拘束から外されると、私の手を使って、私の頬を平手でおもいっきり叩くようになりました。食事の時もそうしようとするので、ある日の夕食は片手をベッドに繋いで、もう一方の手を看護師さんが握り、手を使えないようにして、食べさせてもらっていました。私は無理に幽霊のやることを止めなくても、好きなだけやらせておいたら気が済んでやめるんじゃないかなと思っていました。だから幽霊のやることを止めないでほしかったです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、特に変化なしといったところでしょうか。いつまでも手足の震えはあるし、変な顔にもさせられるし、ヨガ中も全身ガクガク震えるし、良くなっている感じはあまりありません。でも幽霊以外の楽しみは増えたし、前に向かって進んでいる感じはあるので、もうあまり気にしないようにしています。もう幽霊さんはいなくなったと思うことにしましょう。