幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

誰も真実は見えていない。ただ思いつくままを書いてるだけ。楽しく生きよう。

 こんにちは。花子です。

 また気まぐれにブログを更新します。

 

 料理をしなくなって3週間経ちました。今は父がやってくれています。何もすることがないようで、やりたいことはいっぱいあります。ちょっと休憩して、何もしない時間を作ろうと思いました。でもなんだかんだで、過去の心の思いノートを読み返したり、今の自分の思いを書いてみたりして、自分を見つめるというようなことをしている気がします。今の自分を見つめるというようなことも、やらない期間を作れば、もっと回復は早いような気もするのですが、こういうのがきっと私なのでしょう。今も自分を見つめ直したくて、こうやってブログを書いています。これを書けば自分の中で何かが少しスッキリするような気がするのです。

 私の頭の中にはいつもたいして何もありません。歩いていても浮かんでくるのは、文章にすればほんの2、3行のことぐらいです。今日も2時間強歩いてきました。その間中もただ最近聴いている音楽が頭の中で流れているだけで、たいして何も考えませんでした。「宇宙の真実」的なことを書きたいような気はしますが、特に思い浮かぶことはないのです。正直宇宙なんてどうでもいいし、真実ですらどうでもよかったりするのです。昔は真実を見たい、この世を真実だけの世界にしたい、なんて思ったりもしましたが、今となってはそんな無謀なことよく考えたなぁという感じです。この世にいる人の数だけ真実の世界は違います。私が真実だと思っていることも、本当の真実の世界に行けば、全然真実とは違っているのかもしれないのです。前は私だけは真実が見えていると自負していました。でもそれも錯覚です。私はきっとあまり何も見えていません。私の家族も見えていない気がします。私の知り合いも見えていないような気がします。私の知らない人も見えてないでしょう。この世のすべての人がこの世のすべては見えていないのです。そうやって私たちは一生を終えていくのでしょう。

 このブログでやりたかったことは、統合失調症についてもっと認識を広げたい、とかそういう大それたことではなく、ただ私も有名になって、本を出版できたりしないかな、なんて打算的な考えからだったのでした。でもそれももうあまり思いません。前まで詩といつもの文章を定期的に書かないと、と思っていましたが、それもどうでもよくなってきて、今は適当に書きたい時に書いています。ブログを見ている人はほとんどいません。自分でも人には考えられてない、素晴らしい考えが書けている、とは思わなくて、ただ本当に今思いついたことを適当に書いています。

 高校の最後の頃は、自分がこの一家を背負っていかなければ、自分がこの家の生活費を賄わなければ、と考えていました。あれだけ苦しんでいたのに、自分があの時どんな状態にあるか分からず、ただ漠然と未来に思いを馳せていました。そして自分も世間一般の人々のように働かなければならないのだと、初めて現実を突きつけられました。それまでは学校にさえ行っていれば、他に何も考えなくてよかったのですが、高校卒業間近になって、学校がなくなれば次は社会に放り出される、なんてことを身に沁みて感じたのでした。考えても分からないし、本当は働きたくもないし、かと言って私以外に一家を支えられる人がいるようにも思えなかったし、あの時の私の頭の中は不安でいっぱいでした。そして高校卒業後は1日だけアルバイトをして後はニートです。今もニートです。それでも生きていけるようにはなっていたのですね。私は年金がもらえるようになりました。親の遺産も少しずつ入ってきます。お金を稼がなくても生きていけるのです。

 年金の代わりに幽霊に取り憑かれるという、奇妙な体験をしました。しかもそれは良いことばかりではなく、悪いことの方が多かったのでした。それももうなくなりそうです。そうなれば私は年金泥棒ですが、元々働く気もなかったので、ちょうどよかったです。働きたくないと思っていたら、本当に働かなくてもいいようになってしまって、世の中の仕事で苦しんでる人たちには申し訳ないですが、それでも私だって今まで苦しんではきたのです。それに打ち勝ったご褒美のようなものをもらったっていいじゃないですか。これからは楽な人生を楽しく生きたいです。そして今の時代それが許されつつあります。「人生は楽しむためにあるのです」なんて言ってる人もいるようです。私も、そして今の言葉を教えてくれた母も、それを実践して生きようと思います。わざわざ自分から苦しみに向かうことはない、そう思うのです。

 無謀な夢を見ることもなくなって、特に目標がなくても生きていけます。でもまた毎日のように料理ができるようになれればいいなとは思うのですが。とりあえず今は父と母に甘えて生きていこうかと思っています。それは今しかできないことなのですから。どんな生き方をしたって、そこに正解も不正解もありません、ただ一つの人生がそこにあったというだけなのです、なんてどこかで聞いたような聞かなかったような…。

 ブログはまた書きたくなったら書こうと思うので、よかったら見てください、なんてほとんどの耳には届かないけど…。