幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

やめていたことを少し再開した。詩「夢」。家族が見舞いに来てくれる。

 こんにちは。花子です。

 お久しぶりです。しばらく休んでいました。このブログはあまり誰も見ていないし、やる意味もよく分からないし、やる気にもならないし、とにかくちょっと休みたくなったのです。

 休んでいるのはブログだけではありません。デイケアをもう4ヶ月休んでいます。そしてもうデイケアには行きたくありません。プログラムをこなすのもしんどくなってきたし、私には集団生活が向いていないのです。学校が嫌だったように、デイケアという集団生活が嫌になりました。人間関係も発生する、そんな人生にはもう嫌気がさしました。私は特に友達も必要ないし、今のところ家族だけで十分なのです。その家族がいなくなってからが問題ですが。でも最近はひとりでどこかに行くこともできるようになってきました。この前も電車に乗って池を見に行ってから、ひとりでカフェでパスタとケーキを食べました。今度はきのこの観察会に行く予定です。自然に触れるということは良いことです。

 ツイッターで呟くこともやめていましたが、また呟いてみることにしました。見てくれている人もいるようで、なんだか楽しいです。でももう有名になりたいとかは思わなくなりました。森実恵さんのように何かに連載して、小冊子を出版できるようになりたいなんて思っていましたが、もうそんな叶わぬ夢を見るのも虚しいので、やめにします。とりあえず今の私にできることは、節約しながら少しの楽しみを持つことなので、それに専念します。

 最近はYouTubeでぽちゃHOMEをよく見ています。あいこちゃんがマッチングアプリをしているので、私も少し興味があるのですが、今の生活を変える気はないので、妄想だけに留めておきます。またきのこ観察会や自然教室に行って、親しい人を見つけられたらというのが、今の私の現実的な出会いの場です。正直家族がみんな死んでいって、ひとり取り残されたとしても、それはそれでいいような気もします。人間死ぬ時はひとりだ、なんて言うけど、やっぱり誰か人と関わりたいとは思います。誰か私を好きになってくれる人が現れないかなぁ。

 

 さて、いつも通りまずは詩です。

「夢」

毎晩夢を見る

色んな夢を見る

あの時の夢を見る

すばらしい風景の夢を見る

苦しい夢を見る

泣いている夢を見る

 

あの時会いたかった人に夢の中で会いに行こうとしている

でもいつも会い方が分からない

なんとなくおかしいなと思っても、それ以上考えられない

 

学校に行こうとするが、休んでしまう

もうすぐ終わるのだからいいかと思っている

その時も何かおかしい気がするけど、それ以上考えられない

夢の中で私は何も考えられない

 

今では乗れなくなった自転車に乗って、すばらしい景色の中を走っている

見たことも行ったこともないようなところにいる

あの景色はどこから来るのだろう

電車でも色んなところに行く

私はいったいどこに行きたいのだろう

 

起きようとするのに、夢の中ではいつも起きられない

一度目を開けて起き上がる

でも次の瞬間、また寝ているのだ

それを何度も繰り返す

そして本当に目が覚めた時、やっと目が覚めたかと、ちょっとうんざりするんだ

 

息ができないほど泣いている夢を時々見る

本当に息ができないのだ

はっと目覚めて、何が起きていたのだろうと不思議に思う

 

体が動かなくて、ただ周りにいる人に、起きられないと訴えていることもある

あれは私としては夢の中だが、あれを人は金縛りと言うのだろうか

でも明らかに現実世界じゃない、夢の中なのだ

 

現実世界では考えられないようなことが夢の中で起こる

夢は本当に自分だけのものなのだろうか?

誰かが脳内を操作しているんじゃないか?

いや、やっぱり夢は私の脳内で起こっている

自分の知らない自分がいるのだ

それに気づいたからって、起きている自分とはあまり関係ないのだが

夢って不思議なものだね

 これで詩は終わりです。

 

 次はいつものです。

 父と母と兄が見舞いに来てくれたことがありました。この時は面談用の部屋を貸してくれました。この部屋の扉は閉めてしまうと内側からは開けられないのですが、それを知らずに閉めてしまったことがあって、緊急用押しボタンで看護師さんを呼びました。これ以後は扉は半開きにしておきました。

 この時はまだ半分くらい妄想にとりつかれていて、私には音感があってハモリもうまくできるのだと思っていました。だから兄と私が知っている歌を歌って、私は主旋律とは違う音を出してハモっているつもりになっていました。たぶん本当は全然ハモれていなかったと思います。でも誰も何も言いませんでした。

 これぐらいの時、私はひとりになった時には家族への手紙を書いていました。

AKB48の人達と本当につながり合えていると思ったことがあったんです」

と書いたのを覚えています。母はこの手紙を見て、

「何書いてあるか分からない」

と言いました。兄は

「分かる、お兄ちゃんには分かるよ」

と言っていました。幽霊から自由になってから、家族4人揃ったのはたぶんこの時ぐらいでした。見舞いに来てくれたのはほとんど父だけでした。

 父は夕方、仕事が終わってから来てくれていました。晩ご飯の時に来てくれたこともしばしばです。よくココアを買ってもらって飲んでいました。何を話していたかもう全然覚えていないのですが、2日か3日に1回ぐらいの割合で来てくれていました。

 帰りはもう時間的に表からは出られないので、父は裏口から帰って行きました。扉のところまで見送って、また病棟に戻ったら、看護師さんが

「お父さんダンディだね」

と言いました。あのおねえさんも父をダンディと言っていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、もう少しでいなくなりそう、というところですが、まだいます。でも前よりは減ってきました。忘れてる時間も増えてきて、今のところいい調子です。このままフェイドアウトしてくれることを切に願います。