こんにちは。花子です。
まずは詩です。
「そっち側とこっち側」
かつて私は世の中をそっち側とこっち側に分けて考えていた
私はひとりこっち側にいて、みんなはそっち側にいると思っていた
私はみんなと違うと思っていた
この世から排除されるべき人間だと思っていたのだ
学校の先生もテレビの中の人も、直接私にいうわけではないが、私のことを否定している、そんな風に感じた
この世にいてはならない、社会で通用する人間にならなければ生きていてはいけない、そんな気がした
あの時先生は私を排除しようとした
自分から行動できないと、先生は私の存在を否定してくる
先生には分からないのだ
学校で生きていける人には私の気持ちなんて分からないのだ
学校で生きていけない人はいっぱいいる
私だけではないのだ
そっち側に入れないのは私だけではないのだ
それじゃあそっち側に入れない人はみんなこっち側にいるのかって言われれば、そうではないと思う
みんな違う場所でひとりもがき苦しんでいるのだ
みんなそれぞれに自分だけのこっち側があって、指をくわえてそっち側を見ているのだ
そっち側に入れない私たちの存在を言葉で否定してくるぐらいなら、いっそその手で消し去ってしまえばいいのに
でも誰もそんなことはしない
自分の言葉に責任を持つということをしないのだ
私をこの世から排除するようなことを言ってもすぐに忘れてしまう
自分の言葉がどれだけ人の人生を左右するかということを知らないのだ
この世はそっち側だけではないのだぞ
そっち側に入れなくても、この世には存在している
こっち側でも生きてていいのだ
そっち側にいる人は、そっち側にいられるという安心感の中で、そっち側にいられない人のことを嘲笑うんだ
そしてその人はその安心感があることを知らない
なぜならそっち側にいられないつらさが分からないから
当たり前すぎてあることすら分からない、そんなものがない人間の気持ちが分かるかって言いたい
きっと分からないだろう
でもそんなこと思っていたのもはるか昔のこと
今はもうそっちもこっちも分からなくなってしまった
でもあの時は本当にそっち側とこっち側があったのだ
そんな私のひとり言
次はいつものです。
大学病院でやっと順番が回ってきました。ベッドごと移動したか、移動用のベッドに乗り換えたのか忘れてしまいましたが、とりあえずベッドで移動しました。男性の医師らしき人が2人ついていました。途中から中年の看護師のような女性が加わりました。病院の暗い廊下を私を含めて4人で移動しました。
MRIを撮るところに着いて、撮る時には頭をじっとさせていなければならないと言われました。なにせ幽霊がいやがらせをしてくるので、できるかどうか不安でしたが、なんとかじっとしていられました。撮っている時間はそんなに長くなかったと今なら思うのですが、この時はすごく長く感じられました。
撮り終わって、場所を移動して、2人の医師らしき人が異常はないというようなことを話しているのが聞こえてきました。私の父とI病院での担当の看護師さんが来て、説明を受けていました。異常はないが、一応検査結果をI病院での主治医にメールかなんかで送っておきます、というようなことも聞こえてきました。
それから車椅子に乗り換えて、帰ろうという時に担当の看護師さんが
「何か飲み物買ってきましょうか?」
と言ってくれました。私はうなづきました。
「何がいい?」
と訊かれたので
「ココア」
と答えました。幽霊のいやがらせから逃れるには寝てるしかなかったので、カフェインの入ってない飲み物がよかったのです。すると看護師さんはカフェオレを買ってきました。ココアがよかったのにと思いましたが、そのカフェオレを少し飲みました。でも口が幽霊のせいで変になっていて、あんまり飲めんませんでした。父が
「すみません」
と言うと、担当の看護師さんは
「いいですよ。飲んでくれたらうれしいですし」
と言ってくれました。だからちょっとしか飲めなかったことが申し訳なくて、今でも心残りです。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんは、マシになっているか?いやまだか?いややっぱりだいぶおさまってきているのか?といったところです。冬の寒い時のガクガクも去年よりは減っているように感じます。ただまだ冬に入ったばっかりなので、まだまだ油断はできません。このままいなくなって、早く楽な人生を送りたいです。
この前デイケアのプログラムで外出した時、久しぶりに幽霊さんの乗っ取られ感が出て、しんどくなりました。その状態で診察を受け、今しんどいですと言っても、先生は
「順調ですね」
と言っていました。本当に私は順調なのでしょうか?まぁ今の私には先生を信じて、変わらぬ毎日を送る以外に道はないのですが。
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