幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

詩「死の物語」。トイレは叫ぶ、シャワーで倒れかける。

 こんにちは。花子です。

 

 まずは詩です。

「死の物語」

ただ今だけを楽しむために生きることができなくなってしまった

かつては何も考えられていないことを知ることもなく、今したいと思うことだけをやっていた

今は未来につながっている、そんなこと思いもしなかった

でも何もなくなってはじめて将来のことを考えるようになった

そうしたら今したいだけのことができなくなった

漫画を読んだりゲームをしたりすることがなくなった

将来のためになるようなことをしていないと不安になるようになった

叶うかも分からない夢を見るようになった

いずれ死ぬって分かっていても、その間に何か成し遂げてはいずれなくなってしまうと分かっていても、何かをせずにはいられない

 

今までは人生に終わりが来ることなんて知らずに、ただ1ページずつ、そのページだけを見て過ごしてきた

どうしてもそのページを読むのがつらくて先へ進めそうになくなった時、最後のページの一番最後の文を読んでしまった

読んだ時はショックで、その間のページを読もうという気が失せてしまった

まだまだ経験していないことはたくさんあるはずなのに、最後を見ただけですべてを知ってしまったような気になった

読んでいないのだから知ったはずはないのに

 

私は知っていきたい

たとえ私の物語に終わりが来て、その時すべてなくしてしまうとしても

人生は死の物語と言えるんじゃないだろうか

物語の最後が題名になるのだとしたら

 

当たり前のことだが、人には、すべてのものには終わりが来る

なんとなく知っていたようで知らなかった

知らないということすら分からなかった

 

最後を知ってがっくりきたこともあった

物語の最後はすべてを読み終えるまで知ってはならない気がした

でも最後を知ってしまったからこそ生きられる今があるんじゃないか

死んだ後にも持って行けるような大事なことがあるんじゃないか

思い出はこの肉体がなくなっても持っていられるものなんじゃないだろうか

大事な人と過ごす時間を大切にしたり、生きることに必要なことをしたり、なくなると分かっていてもやりたいことをしたり、そういったことをするのが人生なんじゃないだろうか

 

時間はいくらでもある

何をやったっていい

少々後悔するようなことでも、いずれはなくなるのだから心配しなくていいはずだ

やるべきだと思うことを、やりたいと思うことをやろう

 

将来のために生きるなんてはじめてだ

私は充実した毎日を生きられるだろうか

いつかまた今を生きることだけができる時が来るだろうか

そして死で終わる物語を満足のいく形で完成させられるだろうか

 詩はここまでです。

 

 次はいつものです。

 寝てばかりなのと薬の副作用が便秘なのとで、下剤を飲みました。するととても長い便が出て、看護師さんが

「すごい長いのが出たね。すっきりしたでしょう」

と言いました。でも私は原因不明の体の異常に耐えるのに必死で、すっきりしたかは分かりませんでした。

 トイレに行きたくなった時、私は拘束されていたので、それを解いてもらわなければならず、病室から詰所に向かって

「すいませーん、トイレに行きたいんですけどー」

と叫んでいました。ナースコールがあるとは知らず、叫ぶ以外に思いを伝える方法は知りませんでした。トイレは部屋に置いてあるポータブルトイレでした。

 なぜか分からないのですが、トイレで用を足したらよく床に尿が漏れていました。服にもちょっとかかりました。掃除してもらうのが少し申し訳なく感じられたのですが、しかたありません。それが看護師さんの仕事ですし、私も体が異常でそれどころではなかったのです。

 体がとてもしんどくて苦しくつらかった時、私は耐えきれなくなって、看護師さんに

「助けてください」

と言いました。そうするとその看護師さんは

「助けるよー」

と言いました。私は心の中で

「何もできないくせに」

と思っていましたが、何も言いませんでした。

 この看護師さんと小さなシャワー室に行き、頭と体を洗おうとしました。しかし途中で私がふらつき、倒れかけたので、またすぐに病室に戻りました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはもうあまり出てきません。この前までかなり出ていたのは

「灯滅せんとして光を増す」

という感じで、いなくなる前の大きな発作だったのでしょうか。幽霊さんさえいなくなればもっと楽に生きられるのに、なんて思うのは贅沢なんかじゃないはずです。もっと普通になりたいなぁ。