まずは詩です。
「世界の終わりのまっくら闇」
世界が終わるってどういうことなの?
人が生きてるってどういうことなの?
私じゃない人も私と同じように生きてるの?
それともみんなただのロボットなの?
私が死ねば私の世界は終わりを迎える
でも私じゃない人は生き続ける
この世界って終わるとどうなるの?
何もかもなくなるの?
地球が死んじゃうの?
人は最後まで生きられないの?
文明はどこまで発展するのだろう
私はどこまで生きられるのだろう
自分の死を受け入れられる時が来るのだろうか
私だってみんなと同じように死んで、この世の続きを知ることもなく、ただひとりの人として、消え去ってしまうのだろうか
今までそうやって多くの命がなくなった
私もそのうちのひとりだ
特別なんかじゃない
みんなと一緒に死ねのだ
死後の世界ってあるのかな
死後の世界なんかなくて、ただ無に帰するだけなのかな
いつか私は何もないまっくらな無がとても恋しい時があった
生きるのがつらくて、自分の体とか環境とか、色々持っているのが嫌になって、何もないあのまっくら闇の中に早く行きたかった
手を伸ばしても届かない
つかもうとしてもつかめない
すぐそばにあるようで、どこにもない
そんなまっくら闇が私には感じられたのだ
中途半端な考えは苦しくさせるかもしれないけど、もっとさらにつき進んで行け
そうしたら何もなくなるから
まっくら闇がこの下に見えるから
そうしていつか私も落ちて、ずっとずっと落ちていくのだと分かるから
そうやって私も無に帰するのだ
いつか旅に出るのさ、何もないところに
それは闇ですらない、光も闇もない、想像できない無の世界
この黒いぶつぶつでは表すことのできない、表れることなどない、そんなもの
きっとものですらない、
始めから決まっていたのだ、いつか必ず私にとっての全世界が終わるということが
それまでの時間を過ごすことが生きてるっていうことなのだろう
私もみんなと同じように、今生きてるよ
詩はここまでです。
さて、いつものです。
まだぞわぞわ感があった頃、看護師さんと外に出たことがありました。外に出てすぐのところにある木の葉っぱを一枚取り、においを嗅がせてくれました。何のにおいか分からなかったのですが、
「これレモンの木なのよ」
と教えてくれました。言われたらなんとなくそんな気がしました。
近くの公園まで行って帰ってきました。この時も看護師さんには分からなかったでしょうけど、まだぞわぞわ感があって、私はひとり大変でした。
この看護師さんは病棟の廊下を歩くのにも付き合ってくれて、裏口のようなところのガラスから見える赤い実のなる木を指差して、
「あそこに赤い実がなってるね」
と言いました。しかし私は視力が良くないので見えず、何も言わないでいたら、
「花子さんはあんまり目が良くないのね」
と言っていました。
体のぞわぞわ感と戦いながら、起きている間はほぼずっと歩いていました。寝ている時間が短かったわけではないのですが。
ある夜詰所に行ったら、看護師さんがご飯を食べていました。それを見ていたら、
「花子さん、みかん食べる?」
と言ってみかんをくれました。ぞわぞわ感さえなければと思いながらみかんを食べました。
看護師さんは2人いたのですが、みかんをくれた人じゃない方の看護師さんが
「花子さんが歩いてくれてるし、嬉しいんだよ」
と言ってくれました。それを聞いて私も嬉しくなりました。そう思われているとは思いもしませんでした。この時の私は色んなことを考える余裕がなかったのです。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんはだいぶマシになってきましたが、一日一回は出ます。早くいなくなってほしいなぁ。