幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

今日の詩が生まれた時のこと。詩「脳みそ」。

 こんにちは。花子です。

 

 今日はこれから書く詩のアイデアが生まれた時のことを書こうと思います。

 あの日は私は外にいました。そしていつものように歩いていました。あの頃私は高校を卒業して、大学に進学できずに、自分の調子を良くするために、近所を歩き回っていました。あの時自分がぐちゃぐちゃになっていて、それを治さなければ、先には進めないと思っていました。

 私は学校が嫌いで、ずっとずっと行くのが嫌でした。それでもなんとなく大学へは行くのだろうと思っていました。でも大学進学というものが間近に迫ってきて、私は大学へは行きたくないのだと、初めて知りました。もう学校には行きたくなかったのです。

 学校では特に体育が嫌で、父によく

「大学にも体育ってある?」

と訊いていました。大学にも体育があることを知って、嫌だなぁと思っていたことを覚えています。体育はできなくても頑張って取り組む子が良いとされていました。私は嫌なことでも頑張らないといけないと思い、私なりに必死に頑張っていました。でもそれももう限界に達していました。体育はもう二度とできません。

 高校卒業後私は何もしていませんでした。アルバイトもできなかったし、今のように晩ご飯作りができていたわけでもありません。ただ思いをノートに書いて、外を歩き回って、とにかく自分をなんとかしなければと思っていただけでした。

 道を歩いていたら、ふっとこの世は、この世界は、汚い脳みそで溢れかえっているという考えが浮かんできました。家に帰って、それをノートに書きました。この時はまだ今のように詩という形にできなくて、とりあえず書き残しておこうと思ったのでした。

 一回めの入院の時私の中の幽霊さんがいったん出て行ったので、自分の中が自分ひとりになりました。そこから退院までの間、特にすることもなく、詩のようなものを書き始めました。入院中は大して書けなかったのですが、退院後よく文章を書くようになりました。そしてこの脳みそのことを思い出して、詩という形にまとめ上げました。それからまた最近になってそれを書き直したのが今日書く詩です。

 

 今日は第一月曜なので詩を書きたいと思います。

「脳みそ」

色んな情報がこの世界には溢れていて、みんな知らず知らずのうちに汚染されている

この世界はみんなの溶け出した脳みそが入り混じっていて、もうわけが分からなくなっている

 

溶け出す脳みそ、入り混じる脳みそ

街を歩いていても家にこもっていても、みんなの溶け出した脳みそが私を襲ってくる

入り混じっていて、私は混乱する

私の脳みそも溶け出して、みんなの脳みその中に入っていく

そうやって自分の脳みそがみんなの脳みその中に入った時、そんな入り混じった脳みそがまた社会へと出ていくのだ

 

みんなの脳みそが入り混じったこの世界はなんて汚いんだろう

人の悪口や批判などが溢れかえっているじゃないか

人を傷つけることの何が楽しい?

だからこんな世の中で生きるのは嫌なんだ

 

でもそんな脳みそを意識しないで生きることも可能かもしれない

ネットもテレビもラジオも雑誌も見ずに、ただ毎日を過ごしていれば、何も知らずに生きていれば、汚い脳みそ世界と縁が切れるかもしれない

ただ自然とともに生きることができれば、どんなにいいだろうか

毎日同じことを繰り返して生きられれば、どんなに楽だろう

人の人生は所詮食べて出して寝ての繰り返しだ

何も考えることなくそれだけができていれば、それでも生きてるって言えるだろうか

 

今の時代、情報が溢れかえっている

みんなが自分の脳みそを流せる時代になった

でもみんなの頭の中身が見られるわけではない

断片的にだけ見て、それをつなぎ合わせて、みんなそれぞれに違った脳みそを持っている

それで自分の脳みそを垂れ流すのだから、この世は大混乱だ

 

でもそれでも成り立っているのはどういうことだろう

きっと汚い脳みその犠牲になった人達がたくさんいるのだ

引きこもりの人はきっとその犠牲者なのだ

外に出ても脳みそが襲ってくるし、家にいても汚い脳みそに浸っているばかり

 

どうしたらこんな汚い脳みその世界で生きられるんだ?

誰か私に教えてほしいものだ

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはだいぶおとなしいです。まだ幽霊さんのいない日というのはありませんが、減ってはきていると思います。幽霊さんのことはいつまで経っても分からないままでした。なんでいやがらせをしてくるかが分からないのです。いやがらせしたっていいことなんてひとつもないのですから。まあこのままフェイドアウトしてくれることを願うのみです。