こんにちは。花子です。
私は幽霊さんと自分の能力の無さにかなり苦労をしましたが、本当の不幸を知っているわけではありません。家族はみんな元気だし、私はデイケアに行けて、年金ももらえてるし、住むところも食べ物も手に入ります。私より苦労をしている人はごまんといます。私は恵まれている方なのです。兄も最近それを自覚したようです。
でも私だって不幸と言える時期がなかったわけではありません。側から見たら遊んでるだけなのに、私の中ではものすごい苦労があったのです。それはみなさんも知ってる、幽霊さんのこと、だと思われがちですが、実はそれだけではないのです。私自身の能力の無さです。
私は学校に行くのが嫌いでした。いじめられていたからではありません。未だに理由は分からないのです。勉強が嫌いだったわけでもないし、友達がいなかったわけでもありません。小中学校の頃は仲の良い友達が何人もいました。中学校の時は吹奏楽部で楽しかったのです。ただ中学校3年の時吹奏楽部の副部長になってしまい、それがプレッシャーで、楽しいだけだった部活が楽しく思えなくなってきて、小学校の時のようによく学校を休むようになったのですが。
小学校の時は体育が嫌でよく学校を休んでいました。母に
「頭が痛い」
と言うと、母も仮病なのが薄々感じられたのか
「どのあたりが?」
と少しイラついた口調で訊いてきました。私が
「このあたり」
と適当に言うと、母は学校を休ませてくれました。このことをデイケアの人に言ったら
「私もそうしておけばよかった」
と言っていました。でも私だってただサボりたかったわけではありません。本当に学校が嫌だったのです。何が嫌かは分からないのですが、たぶん学校に毎日行かなければならないというのが嫌だったのだと思います。私は根っからの怠け者のような気がします。でも嫌なものは嫌なのです。私には週一回のデイケアで精一杯です。毎日同じところに通うのは無理なのです。だからたぶん、いや絶対に、会社員にはなれないでしょう。学校にまともに行けなかった人間が会社なんかに行けるはずがないのです。それが私の苦労したことの一つです。
次回この続きを書きます。
さて、いつものです。
前にも言った通り、この時私はK君が悪いというイメージをNさんからなくさないといけないと思っていました。K君のNさんに対する誤解を解かなければならないと思っていたのです。私は父母にそう言いました。するとこれもそうかそうかという感じで聞いてもらえました。
なぜかK君はある有名国立大学に行っていて、そこで英語の教師になろうとしているのだと思い込んでいました。実際のところは知りません。ただなんとなく思いついたのだと思います。そのことを父母に言いました。父は
「今の大学は、、、」
とかなんとか言っていましたが、何を言っていたのかは忘れました。
この晩、夕食はうどんでした。私は母と仲直りしたくて、母の隣にうどんと椅子を持って行って座りました。すると母は戸惑っていました。なにせこの前の一時期私は母をずっと無視していたのですから、当然の反応でしょう。
夜、私は母と一緒に寝たいと言いました。この時も母は若干戸惑っていましたが、割と快く受け入れてくれました。
母は私に本で読んだ除霊のポーズを教えてくれました。それはこんな感じでした。左手の人差し指を伸ばして手を握り、右手も同じようにして、右手で左手の伸ばしている人差し指を握ります。それから
「私は愛、光、忍耐です」
と唱えるのだそうです。こんなことではK君はいなくならないだろうと思っていましたが、ワラにもすがる思いで、そのポーズをし、言葉を唱えていました。
小学生の頃友達と一緒に買った指輪を左手の薬指にはめて、母に見せました。すると母は
「どうしたの、それ?」
と言ってきたので、私は
「の子さんと結婚するの」
と言っていました。この時は本気でこう思っていたのです。母は微笑むくらいであまり何も言いませんでした。
今日はここまでです。
最近の幽霊さんは特に変わりありませんが、ある時からふっと良くなった気がします。そう言えば、入院中もある時ふっと良くなりました。その時は
「私は幽霊さんを馬鹿にしてないです。決して馬鹿にはしていません」
と頭の中で必死に幽霊さんを説得しようとしていました。そうしているとだんだんいやがらせが減ってきたのです。ただその時は、退院後ぶり返してしまいましたが。とにかく私は病気が治りつつあります。それはとても嬉しいことなのです。