幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

詩「努力」。第二N病院で検査を(私は生きている)。

 こんにちは。花子です。

 

 まずは詩です。

「努力」

やればできると思ってた

でも能力の限界ってあるものだと知った

みんなにはできて、私にはできない

能力がない人間はどうやって生きたらいいんだ?

“みんな”みたいにうまくいかない“みんな”はどうすればいいの?

 

努力したいよ

充実した毎日を過ごせるような努力をしたいよ

みんな頑張ってるのにどうしてうまくいかないんだ?

頑張って働いて、クタクタになって一日を終えたい

 

努力すらできないこともあるし、努力しても実らない努力だらけだよ

でもわずかに実った努力をどう評価できるかだ

どう大切にできるかだ

頑張っておいしいご飯が作れた、これだけで自分を評価してもいいのだろうか?

評価できるのだろうか?

どうしても周りの人と比べてしまって、自分だけを見ていたら評価できるようなことも、こんな程度かと思ってしまう

でも評価したい

他の人が何を言おうとも、自分だけを見て、今日できたことに高い評価をつけたい

 

今日も頑張って生きたよ

みんなも生きることを頑張っているだろう?

余裕で生きられる人なんてほんのひとにぎりだよ

生きるって大変、大変なことだよね

 

みんなあんまり意識しないだろうけど、死はすぐ側にある

うっかり足を滑らさないように気をつけなくちゃ

生きるということは死に向かって歩いていくということ

死はいつ来るか分からないけど、死んでいない時間を大切にしなければならない気がする

 

今は生きているというよりはまだ死んでないと言える

色んなものが“ある”から“ない”に変わる、その時まで毎日“生きる”ということをする

毎日毎日“生きる”ということをする

そうやって積み重ねてきたものも、いつかはすべてなくなる

でもなくなってしまうまでのわずかな間のために、積み重ねていくことを、そして積み重ねたものを大切にするのだ

 

死ぬまでの間にどれだけの努力ができるだろうか

この世からいなくなる、その時に持っていて誇れるものをどれだけ集められるだろうか

人生は自分ができることをやっているだけで生きられるようになっているんじゃないか?

だから自分にできる努力だけをしていたらいいと思う

 

私は色んな経験をしてから死にたい

おばあさんになるまで生きていたい

こんな自分でもできることはある

できないことを見るより、できることに目を向けよう

そうやって死んだ時のための努力をしていこうと思う

 詩はここまでです。

 

 次はいつものです。

 第二N病院に着くと私が運ばれていく途中でした。叫びながら手足をジタバタさせていました。先に来て座っていた父が母と兄を見ると、立ち上がって一言

「生きてる」

と叫びました。それから検査する人達が

「こんなに暴れてたら検査できないじゃないか」

と言っていました。割と悠長な言い方だったので、母は大丈夫なのかなと思ったそうです。

 検査が終わって、父は仕事場に戻りました。私と母と兄はI病院へと戻りました。母と兄は少し主治医の先生と話をし、私が寝ている病室へと入ってきました。それから先生が病室に入ってこようとすると、兄は

「妹が嫌がってるんで出て行ってください」

と言って、先生を追い出しました。私は昏睡状態にあったのですが。

 兄は

「花ちゃんは僕が治すんだ」

と言って、i phoneで音楽を流しながら歌い、ボールペンか何かでそこいら中を叩いて回りました。小一時間そんなことをしていたようです。それから兄は

「お母さん、帰ろう」

と言って、2人は帰ろうとしました。病室の外に出ると、副院長先生が心配そうに中を覗いていたそうです。

 母が

「発見してくれた人にお礼を言いたいんですけど」

と言うと、あのおばあさんが発見した時のことを話してくれました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは特にこれと言って進展はありません。相変わらず手足は震えるし、変な顔にもさせられるし、ヨガの邪魔をされたりもします。でももうあまり気にならなくなりました。と言うか、気にしないようにしています。幽霊さんのいやがらせがあっても、泣くことはなくなりました。たぶんもうすぐしたら幽霊さんもいなくなってくれるでしょう。そう信じて毎日を過ごします。