幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

「いいこと」について、私も書いてみた。トイレで気張ってたら、肛門を閉じられた。

 こんにちは。花子です。

 

 最近ある小冊子に「いいこと」について書いてありました。私もそれについて書いてみたくなったので、書いてみようと思います。

 私の周りはいいことだらけのような気がする。まず生まれた環境がいい。家族にかわいがられて育った。そして外見も内面も、自分で言うのもなんだが、いい方だと思う。私は自分が嫌いじゃない。私は恵まれていると常々感じる。

 病気にはなってしまったが、そのおかげで年金がもらえるようになった。私の年金がなければ、うちの家族は生きていけない。年金のおかげで働かなくても生きてられる。一生働かずに生きたいわけではない。ただ私には労働能力があるかどうか分からないのだ。私は働かずにただ生きてるだけで精一杯かもしれない。でも私の病気がもう少し良くなれば、働くことができるかもしれない。この時代にこうやって生まれてきたのだから、人は働かなければならないと思う。ただ遊び暮らしているだけではいけないのだ。人間関係の幅も広げたい。私だって人並みに恋愛とかしてみたい。いつかどこかでいい人と巡り会えたらいいのだが。

 働かなくても社会参加ができるようになった。困ったときは主治医の先生やデイケアのスタッフが支えてくれる。相談すればきっと力になってくれる。働かなくても生きていけるし、社会とのつながりもできた。

 私は運がいい方だと思う。時に私って運が向いてないと思うこともあるが、それは運が悪かったのではなく、現実に起こった今の方が良かったということなんだと思う。あの時どうしてああじゃなかったのか、そんなこと考えてもいいことなんてない。あの時ああだったからこそ、今まで生きてこれたのだ。

 今やこれから先の未来、悪くなることはないだろう。何の根拠もないが、そんな気がする。私は運がいい方だし、恵まれているし、毎日が楽しい。そんな人生を生きていきたい。私の人生いいこと尽くめだ。

 

 さて、いつものです。

 喫茶店でパフェを食べ終わって駅の名店街を歩いていました。この時私は神聖かまってちゃんの配信動画を見ている時に、「みさこさんの生足」とか思っていました。決していやらしい目で見ていたわけではありませんが、この言葉を聞いた私の周りにいると思っていたみんなに私はレズなんじゃないかと思われるのではと恐れていました。変態だと思われたくありませんでした。だから歩いている間中目のやり場に困りました。足を出している女の人の足は極力見ないようにしていました。頭の中で周りにいると思っていたみんなに「見てないよ」と必死に言い訳をしているつもりになっていました。それでも足を出している人はいたので、どうしようと思って、ちょっとパニックになりました。

 急に便意を催し、トイレに行きました。トイレで気張って、出そうだという時に肛門を閉められました。もちろん幽霊にです。でもこの時はみさこさんがこんな公共の場でそんなはしたないことはしてはいけないと思っているから、肛門が閉まったのかなと思っていました。

 結局この時はひとちぎりも出せずにトイレを後にしました。実はこの後何度も幽霊に肛門を閉められます。

 なぜこんなことが起きたか、それはこんな感じだと思います。大便を気張っている時、ちょっと出にくくて、ひと休みした時に自分で少し肛門を閉じました。すると私の中に入っていると思っていたK君が

「どうしてこんなこと(肛門を閉じること)をするの?」

と訊きたくてやっているのだと思っていました。でも私は出すことしか考えられなくて、閉じられると余計に出すことにしか頭がいかなくて、説明なんてできませんでした。無邪気な子供のようにただ疑問を私にぶつけているのだと思っていました。でもあまりにも何度もやるので、それが悪質ないやがらせにしか思えなくなりました。悪質ないやがらせだと思うと、余計にK君は意地になってやるのだと思っていました。頭の中で必死にお願いをしていました。どうかうんこの邪魔だけはしないでくださいと。

 後にこのことを兄に話すと、お腹のゆるい方である兄は

「その人(肛門を閉める人)がほしいぐらいだ」

と言っていました。

 今日はここまでです。

 

最近の幽霊さんは相変わらず手足を震わせてきます。でも前よりは減ってるんじゃないでしょうか。このままフェイドアウトしてくれたらと願っているのは私だけではありません。ただ時々震えがひどい時があります。そういう時も気にしないようにしてやり過ごすようにしています。いつか本当になくなってくれることを願って、、、。