幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

源氏物語を読みきった。詩「バスケットボール」。

    こんにちは。花子です。

 

    今年の一月から源氏物語(もちろん現代語訳)を読んでいましたが、とうとう全部読みきりました。昔の人が書いたとは思えないほど、新鮮な感じがしました。瀬戸内寂聴さんの訳で読んだのですが、色々工夫されているようで、読みやすかったです。最後に解説があって、それを読むと、「なるほどそういうことだったのか」と分かって、より理解が深まりました。

    本文を読んでいて、「やっぱり紫式部は天才だったんだな」と思いました。和歌がすごくたくさん出てくるのです。瀬戸内寂聴さんはそのままの和歌とその現代語訳を書いてくれていました。五七五七七にきっちりまとめて、さらに深い意味を持たせるということは、私にはできません。しかも登場人物たちは一瞬でそれを読むのです。昔の貴族は頭が良かったんですかね。読むだけでもすごいのに、それを評価しているというところは、私には残念ながら理解出来ませんでした。

    なぜ源氏物語を読もうかと思ったのかと言うと、高校生の頃、図書館で清水義範さんの「読み違え源氏物語」という本を見つけたからです。その時私は清水義範さんにはまっていて、図書館にあるのを全部読みたいと思っていました。でもその本は原文を読まないとおもしろくないだろうなと思って、借りませんでした。その時はなぜか源氏物語を読もうとは思いませんでした。今頃になってなんで読もうかと思ったのか、それも不思議です。やっと清水義範さんの源氏が読めると思うと、ワクワクします。近くの図書館にはないので、取り寄せてもらうことにしました。今日あたり図書館から電話がかかってくるんじゃないでしょうか。楽しみです。

 

    今日は第1月曜なので、詩を書きたいと思います。詩と言えるか分かりませんが。

「バスケットボール」

「プロのバスケットボールに近づいてきたような気がします」と書いた

すると先生は「プロって、何言ってんの?近いはずがない」と言った

まるで私がプロのバスケットボールを知らないかのように嘲笑った

私だってプロの試合は見たことがある

プロがどれだけすごいプレーをしてるかぐらい知っている

バカにするなよって言いたかった

私は別にプロの試合と同じものができているなんて言ってない

ただサルのボールの取り合いからバスケットボールというものにほんの少し近づいた気がしただけだ

「プロのバスケットボールにほんの一歩だけ近づいてきた気がします」だったら伝わったのか?

ただ普通にバスケットボールらしくなってきたなと思っただけだ

 

私はこう言いたかった

「私達のプレーが1でプロが100だとしたら、私達のプレーが5になっただけでも少し近づいたということになるでしょう?私は何も95になったなんて言ってないのです。分かりますか?表面しか見ずにいるんじゃなくて、世の中にはもっと色んな考え方があることを知ってください」と

 

いっつもバカにされるのは私だ

あの時だって、この時だって

なんであんなにたくさんいる中で私を選ぶかな

私を嘲笑うのがそんなに楽しいか?

みんなの前で晒し者にするのがそんなに快感か?

どうせ自分は偉いんだと思いたいだけだろう

 

本当に目が見えているのか?

頭は動いているのか?

脳みそが固まってしまっているんじゃないのか?

考えられてないなら、「私はバカだから」という態度でいたらいいのに

自分は偉いと本当に思っているのか?

 

見えていないものを見られるようになりましょう

特に自分自身のことを

そうすれば人を嘲笑うこともなくなるんじゃないでしょうか

だってこの世には誰ひとりとして人を嘲笑える人がいるわけじゃないのですから

    今日はこんな感じです。次回からまたいつもの続きです。

 

    最近の幽霊さんはまたちょっと復活してきたような気がします。机に向かっていると足が震わされるのです。しかもなぜか左だけなのです。左足さんがかわいそうです。でももう震えがなくなることを期待するのはやめました。デイケアの人でももう何年も手足の震えに悩まされている人がいるのです。それでも毎日ほとんど何の支障もなく過ごしていけてます。私も別に今のままでもそれほど不自由していないので、もう幽霊さんのことは諦めました。その方が少しは楽に生きられるかもしれません。