幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

一週間の振り返り。詩「たくさんの野菜」。

    こんにちは。花子です。

 

    書くことがあんまり思いつかないので、この一週間の振り返りでもしようと思います。

    先週の月曜日はブログを書いて、母とパン屋さんでパンを買い、川沿いの道で食べました。それから家で「スマホを落としただけなのに」を母と観ました。

    火曜日は母とコロッケを買って、イオンのベンチで食べました。そのあと洋菓子屋さんでマドレーヌとフロランタンを母に買ってもらい、またイオンに戻って食べました。

    水曜日はケンタッキーに行って、チキンとビスケットとコーヒーを食べました。          

    木曜日はカルディにコーヒーの試飲に行って、買い物だけをして帰りました。この日からお金を使うのは晩ご飯の材料だけにして、7日までは節約しようと決めました。おなかは空きましたが何も食べる気になれず、夕食しか食べませんでした。

    金曜日は食品トレーと牛乳パックを洗って、イオンに持って行くことに決めました。この日も夕食しか食べませんでした。

    土曜日は母がおごってくれると言うので、マクドナルドでチキチーセットを食べました。それからちょっと歩いて、近くの公園でレモンジュースと氷のアイスを母に買ってもらいました。この日はゼロ円生活でした(私のお金は使わなかったという意味)。

    日曜日は家族みんなで北海道料理の店に行きました。私はたらこポテトサラダと黒穴子のタレ焼きのセットを食べました。この日から日傘をさすことに決めました。それとまた新たに文章を書いています。それを公開するのはまだまだ先のことですが。母の実家から豆類が届きました。みんなで下処理をして、母が料理してくれました。とれたてなのでとてもおいしかったです。

    一週間の振り返りはこんなものでしょうか。これ以外にももっと色んなことがあったのですが、ここでは差し控えさせていただきます。

 

    今日は第一月曜日なので、いつものはお休みして、また詩のようなものを書いていこうと思います。

「たくさんの野菜」

私は栄養素をたくさんというつもりで、生野菜のサラダにしたのです

量をたくさんとれるような料理を書いてほしいのなら、そう書けば良かったじゃないですか

ただ「たくさん」と書いてあるだけじゃ分からないに決まっているでしょう

熱を加えたら量はたくさんとれるでしょうけど、ビタミンなどは壊れてしまいます

熱を加えた野菜と生野菜とどちらが色んな意味で「たくさん」とれるのでしょうかね

「バケツいっぱい食べるのですか?」なんておっしゃいますけど、熱を加えて小さくなる野菜だって限られているじゃないですか

キャベツや玉ねぎなどは小さくなりますけど、にんじんやじゃがいもはそのままです

火を通す前にバケツ一杯分あった野菜が、火を通すことで小さくなっても、本当に食べきれるのでしょうかね

火を通すことで野菜によっては量をたくさん食べられるという答えがほしいのなら、初めからそう書けばよかったじゃないですか

「たくさん」なんて中途半端な質問なのだから、全員が先生の気にいる答えが出せるわけがないのです

 

言いたかった

あの時、「それじゃあ火を通すことで壊れてしまうビタミンなどはどうなるんですか?栄養をたくさんとれるのは生野菜なんじゃないですか?」と言いたかった

そして先生に「そういう考え方もありますね。私の視野が狭くてすみませんでした」と言ってほしかったし、今でも言ってほしい

 

でも先生は先生だから、自分が生徒よりも広く考えられていないと認めることは絶対にしないのだろうな

自分がちゃんと考えられているのか省みることもないだろう

ちょっとでもケチをつけられたら、自分を見るのではなく、生徒に原因があるのだとしようとする

生徒はまだ子どもだから、自分より考えられているなんて思いもよらないのだろう

生徒はまだ子どもだけど、全く何も考えられていないわけではない

先生は大人だけど、何もかも生徒の上というわけではない

大人が偉いわけではないんだ

 

大人になったからって何かが変わっただろうか

いや、あまり何も変わっていない

なってみて気づいた

大人ってこんなものだったのかと

    これを詩と呼べるのかは分かりませんが、詩のようなものはこれで終わりです。また来週からはいつものです。お楽しみに。

 

    最近の幽霊さんは料理をしている時に足を震わせてくるぐらいで、机に向かっている時にはほとんど出なくなりました。毎日手足の震えと闘っていた時に比べたら、夢のように楽です。でもこの前の金曜日にちょっと幽霊さんに乗っ取られてる感がありました。しかし私は「幽霊さんはもういない、いないね、いなくなったよ」と唱えてなんとか乗りきりました。これが本当のことになるように、これからも「幽霊さんはもういない」と唱え続けようと思います。