幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

私の人生これでいいのか。詩「劣等感」。退院直後。

 こんにちは。花子です。

 最近思うことがあります。それは自分は今のままでいいのか、ということです。明日になったら違う自分になっていたい、なんて思うのに、どういう自分になれたら自分は満足なのか、全く想像がつかないのです。自分が変わりたいというより、周りの環境を変えたいです。でも外に出る勇気は今の自分にはありません。きっと10年後の自分にもないでしょう。私はこの閉ざされた環境の中で生きていくのだと思います。

 今の生活を変えたくはありません。でも違う人生を想像してしまうのも事実です。夢の中だけで違う人生を歩んで、現実は今のまま、そんな人生で本当にいいのでしょうか。自分の本当に本当の願いは何なのでしょうか。それが分かればそれに向かって努力できます。でも私は作家になるために出版社を駆け回ることもできないし、恋人を作るためにマッチングアプリをすることもできません。できないというより、やりたくないのです。外の世界には怖くて出られません。家とその周辺を歩くだけで精一杯です。環境を変えたいと思いつつ、やっぱり変わりたくないというのが現状です。

 それでも何か変わらないかと思って、エッセイの賞に応募してみました。そこから何か変わらないかなんてちょっと期待はしているのですが、あまりいいのが書けたとも思えず、でもあれが私の精一杯の作品なので、せめて佳作にでもならないかと思っています。私の夢は文章を書く仕事をすることですが、それもどうしてもなりたいわけでもなく、ただちょっと夢を見ているだけです。今のままでいい、むしろ今のままがいい、そう心の底から思えない自分を変えたいです。現実を見据えて、今の生活ができることに感謝できればいいのですが、私はいつも夢見がちです。こんな夢などいっさい見なかったあの頃に戻りたいです。

 あの頃夢見た、学校に行かなくていい生活、それができるようになったのに、夢が叶ったら、また違う夢を見て、ぼんやりしている毎日です。特に心配事はありません。お金の心配もしなくていいし、親の介護もしなくていいし、人間関係も全くないので、それも心配しなくていいのです。もっと何かを頑張らねば、なんて思うのに私には何をしたらいいかわかりません。いつでも思っています、自分は今何をすればいいのか、と。きっともうすぐしたら幽霊さんもいなくなって、何か目標が見えてくるかもしれません。もう少し待つ、そんな感じで毎日を過ごしていきます。

 

 それでは詩です。

「劣等感」

かつては自分が誰よりも下だなんて認めたくなかった

見かけじゃない、大事なのは、と思っていた

中味が私は誰よりも上なのだと思っていたのだ

 

派手な化粧をして、おしゃれをしている人を見下していた

頭の中がからっぽな気がした

でも中味もあり、見かけも良い、そんな人がこの世にはいるのだ

そんな人より私は下なのだ

この世のほとんどの人より私は下なのだ

 

そう言えば、昔はクラスの中でも下の方にいるような気がしたものだ

見下されて、悪口を言われていた

いつの頃からか、勉強のできる方だった私は少しだけ人を見下すようになった

勉強ができる人の方が上だという感じがあったからだ

みんなより少し上な気がした

それでも見下されている感じがなくなったわけではなかった

心に劣等感はいつも抱えていた

きっと私はどんな風になったって、劣等感を持ち続けるのだろう

私はそういう人間だ

 

でも人と比べなければ、私の人生なかなか良いものだ

下にいてても満足に生きられる

底辺でも私は幸せに生きられる

私は人より上じゃないと生きられない人間ではないのだ

人に見下されても、腹を立てたりはしない

ショックではあるが

でも人を見下したって良いことなんて何もない

 

私だってすべての人を尊敬できるわけでもない

どんな人にだって尊敬できる部分と見下してしまう部分とがありはしないか?

見下したとしても、私がその人より上だと思っているわけではないのか、あるのか

でもそれは心の中に自然に湧き起こる感情だから、どうしようもない

どんなに良い人でも良くない感情は出てくるものだ

 

腹の黒くない人は、本当にすごいと思う

でも良いようにしか見えないということは、真実の姿が見えてないということじゃないのか?

自分より下にしか見えない人もいる

私は心のきれいな人になるよりも、真実をまっすぐに見られるようになりたい

その過程でどうしても見下すということをしなければならないものだ

 

私だって下にいることにただ甘んじているわけではない

上を目指して、常に成長を願っているのだ

何に関しても上達したい

それがただの遊びでも、今よりもっと上に行きたいのだ

 

上は限りなくあるけど

たぶんそんなに上には行けないだろうけど

でも頑張りたい

生きているんだもの、時には頑張らなければならない時が来る

上とか下とか考えなくてもいい次元に行きたい

行けるものなら行きたいが、きっと私はいつまでも下にいる感じがするのだろう

私はそういう人間だ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 退院後どんな生活をしていたか、もう断片的にしか思い出せません。でもたぶん詩を書いてみたり、パソコンで音楽を聴いていたりしていたのだと思います。詩を書いては父に見せていました。そしてブログを父に作ってもらって、自作の詩を載せたりしていました。

 一度兄が父の仕事場に来たことがあって、3人でこたつに入っていました。私は家族の前でも自然体になれるのだと示したくて、andy moriの「city  lights」を少し歌いました。でもうまく歌えませんでした。それを聞いた兄は

「どうしたの?はなちゃんもまだまだだね」

と言っていました。

 この頃はまだお試し用のコンタクトレンズをしていたと思います。ある時私はなぜか泣いていました。涙が出なくなってからお風呂屋さんへ行こうとしました。泣いた後は目が乾燥するらしく、コンタクトレンズがはがれてきました。急いで父の仕事場に戻り、コンタクトレンズをとりました。私にはコンタクトレンズは合っていないのだと思い、いずれにせよ返さないといけないお試し用のコンタクトレンズだったので、返しに行くことにしました。値段も高く、私には無縁のものだったのです。

 父の仕事のない日曜日にいったん家に帰って、ドライヤーを父の仕事場に持って行こうとしました。部屋にこもっていた母に

「ドライヤーってどこにあるか知ってる?」

と訊くと、

「適当なの買って」

と言われました。だから近くのホームセンターでドライヤーを買い、父の仕事場へ持っていきました。

 お風呂屋さん代がもったいなくて、一度父の仕事場のお風呂に入ったことがあります。父が沸かしてくれました。入ったはいいものの、寒すぎて寒すぎて、もう二度と入れないと思いました。シャワーもなかったので頭や体を流すのも大変でしたし、父曰く私があまりにも寒いので失禁したと言っていたそうです。私は全然覚えていないのですが。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまだまだ小さないやがらせが結構あります。右手、左足はしょっちゅう震えてるし、なぜか分かりませんが、変な顔にさせられます。もう幽霊さんの行動は全てわけが分かりませんが、分からなくていいので、今すぐ出て行ってほしいです。私の気持ちは幽霊さんには伝わらないかなぁ。

私は働けない。詩「楽に生きよう」。入院中最後の診察。

 こんにちは。花子です。

 最近ブログの閲覧者が毎日いるみたい(1人や2人ですが)なので、またブログを書いてみたくなりました。

 前回「私は無能」と書きましたが、今でもそれは変わりません。昔から働く自分を想像することができない子供でした。図工の時間に「将来の自分」の絵を描かなくてはならなくて、何も思いつかなかったのですが、その時流行っていた手芸のことを思って、手芸屋さんになりたいという絵を描いてみました。でもそれも無理やり考えだしたもので、本気でなる気はありませんでした。その時はなんだか茶色っぽい絵ができただけでした。

 今の私に働くことはできません。明日の私にも働くことはできません。10年後の私にも働くことはできません。病気が良くなっても、私という人間には働くことができないのです。それを分かってもらえるための説明は私にはできません。働きたくないだけ、なんてただのわがままですが、本当に私にはできないのです。

 毎日用事があるのが嫌です。日々の出来事は少しだけでいいのです。予定は遊びに行く予定しか立てられません。毎日母と遊び歩いているだけです。でもそれでも生きていけるようになっています。お金の心配はしなくていいし、家族もまだまだ元気です。晩ご飯は作らなくても食べられます。好きなことをして生きていけるだけの余裕が今はあります。いつか壊れるその時まで、今の幸せな生活を守っていこうと思います。

 主治医の診断書では私は家では無為に過ごしていることになっています。でも私としては別に無為に過ごしているわけではありません。思いを書いてみたり、動画を見たり、ヨガをやったりしています。それに1日の大半を家で過ごしているという訳ではなく、母と昼ご飯を食べに行ったり、買い物に行ったり、散歩に行ったりなど、外にいることも多いのです。まぁ別に無為に過ごしてもいい状況ではあるので、今私がやっていることが、ただ無為なことだと思われても全く構わないのですが。とにかく今が楽しい、ただそれだけです。

 

 それでは詩です。

「楽に生きよう」

力を抜いて楽に生きよう

自分に厳しくしたって、つらいだけだ

鍛えることはできない

みんな意識してないだけで、ほとんどの場合、楽に生きられる道を選んでいる

それなのにどうして楽に生きていたら非難されるんだ?

いつでも自分を試していないといけないのか?

精神力なんて鍛えられない

鍛えたいという人はそれだけで弱い証拠だ

強い人は鍛えたいなんて思わない

 

もともと強い人しか生きられないのか?

今の社会では弱い人は死ぬしかないのか?

企業はみんなブラックで、精神を病み、時には自殺までしてしまう

弱い人はこの社会では生きられないのか?

ただ生きていけたらいいのだ

それさえ許されないのか?

 

物があふれかえって、みんなぜいたくだ

でも心には種をまいたって、花も咲かない

カラッカラに乾いて、芽すら出ない

情報があふれかえって、自分で考えるということをしなくなる

頭の中は知らない誰かの言葉ばかり

自分の思いはどこにある?

自分の思いは誰も代弁してくれない、なんて思うのは私だけだろうか

 

生きていくためにしなくてはいけないことが多すぎる

心を持っていては働けない、気がする

でもみんなに心はあるのだ

みんな心に花を咲かせて生きていきたいはず

働くロボットになって生きていたいなんて誰が思う?

私は心を豊かにして生きたい

心に水をやり、たくさん花を咲かせて生きていきたい

こんなことを思うのは私だけじゃないはずだ

 

毎日同じことの繰り返しでも、生きていけたらそれでいい

自分の思い描く人生が生きられてればそれでいいんじゃないか?

たとえそれが変わりばえのない毎日だとしても

心を持っていたって、もしかすると意味なんてないかもしれない

 

正直食べていけたらそれでいいんだ

生きてるって、そんなに複雑なことじゃないと思う

みんな頭の中が情報でいっぱいで、生きるってどういうこと考える余裕がないんだ

私は生きる基本は食べて出して寝ることだと思う

 

人間関係で思い悩んだり、自分は人より上だとか下だとか考えたり、遅れてるとか進んでるとか比較したり、そんなことどうでもよくないか?

心のモヤモヤから解放されて、楽に生きたいとは思わないか?

時には心にモヤモヤを抱えて生きないといけないかもしれない

でもそれを晴らすことができるのは自分だけだ

他人からどう見られようと、自分は自分の道を行けばいいのだ

それだったら楽に生きたいとは思わないか?

 

自分を壊してしまう前にちょっと立ち止まって考えてみよう

今の自分にはいったい何が必要なのかを

何が一番大切なのかを

そしてそれ以外のものは捨ててしまう覚悟を持とう

生きる上で大切なことはただ生きるということだけだと思う

自然に終わりが来るまで生きていけたらそれでいいじゃないか

私はそう思う

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 父と先生を待っている間詰所の前で立って待っていたら、看護師さんが

「花子さん、座って待ってたら?何事かと思われちゃうよ」

と言いましたが、私は立って待っていました。すると先生が出てきて、私を探そうとしていたので、私から声をかけました。先生の話は何の話かもう忘れましたが、次いつ外来に来ればいいかなどだったと思います。

 外泊から帰ってきて、先生の診察まで少し時間があったので、私はOT室へコースターを完成させに行きました。OTの人はでき上がった作品に何か加工して、パリッとさせることができるけど、やるかどうか訊いてきました。私はいちはやく戻りたかったので、断りました。OTの人はすぐにできるのにと言っていましたが、やってもらう気にはなれませんでした。

 OTから帰ってきたら私の部屋には前にいてた人とは違って、あのテレビに向かってしゃべっていた人がいて、父と話をしていました。私は退院の準備をしていました。退院の準備ができ、診察も終わって家に帰ることになりました。やっと帰れると思うとすごく嬉しかったです。帰りのバス停でバスを待っていた場面がありありと思い出されます。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、あまり変わりありません。この前からあまり日が経ってないので、変化も特にないのです。このままいなくなってくれたらいいのですが、そう簡単にはいきません。もう一生付き合っていく覚悟で生きて、、、いけるわけないよ!早くいなくならないかなぁ?

私は無能(人の上には立てない)。詩「危ない橋」。退院が決まって、みんなにさようならを。

 こんにちは。花子です。

 メンタリストDaiGoさんの「無能から抜け出せない人の行動パターンTOP5」を見ました。生まれた時から無能な人はいないとおっしゃっていましたが、私はそうは思いません。ある程度能力がある人が実践すると良さそうなことを紹介されてましたが、私の無能はこんなんじゃなくならないだろうと思いました。私は本当に無能です。でも外からはあまりそうは思われないようなのです。

 中学生の時吹奏楽部の副部長になりました。そうなる前に副顧問の先生が私と少数の部員を集めて、部長になった子を部長にしないようにするための相談会みたいなのがありました。その中で私が部長になればいい、と言うようなことを言われて、私もその方がいいのかなと思ったりもしましたが、この時はまだ自分の無能さを知らなかったのです。集められた子も私が部長になるのなら、副部長になってもいいと言ったりしていました。結果的に選挙で部長には前からなりたいと言っていた子がなり、私は自分から副部長になりました。

 私には人の上に立つということができないのです。部活動をするには何をしなければならないか、全く分かってなかったのです。だから私は部長にはなれるはずもなかったし、副部長の役割ですら満足に果たせませんでした。その発端は副顧問の先生の思い込み、私なら吹奏楽部をいい方へ持っていけるはず、という思い込みにあったのです。私には何もできません。どうしてそれを見抜いてくれなかったのか、悲しくてたまりません。

 楽しかったはずの部活も、思い出すのはなんだか上手くいかなかったことばかりのような気がします。今日も昨日もその前も、ずっとずっと前から後悔するようなことばかり頭に浮かんできます。今を精一杯生きていたら昔のことを思い出さないかな、なんて思うのに、私には過去を振り返れないほど忙しい毎日は過ごせないのです。そういう毎日を自分から選んできたのです。いつでも自分にとって一番良い選択をしてきました。その結果がこれです。私はただの障害者なのです。でもこれ以上にいい人生なんてありません。未来には今より悪いことしかないなんて思わずに、きっとなにかしら良いことが待っているだろう、と思って今を乗り切ります。

 

 それでは詩です。

「危ない橋」

私達はいつも危ない橋を渡っている

だだっ広い運動場を悠々と歩いているのではない

でもそれに気づいている人は少ない

いつ足を踏み外すか分からない

微妙なバランスで日々を歩いている

 

体の一部が欠けるだけで、毎日がガラッと変わる

目が見えなくなると、耳が聞こえなくなると、生きるのがつらくなる

骨が折れたり、手足がなくなったりすると、不自由で仕方ない

すべてそろった完全な体でいられることが、どんなに良いことか

それを多くの人は知らない

知らないで、毎日不平不満を言う

当たり前に感謝しましょうなんて、普通に言うけれど、本当にそれができる人がこの世にいるのか?

いつだってみんな足りないところに目を向ける

そして人と比べて、自分はなんて不幸なんだと嘆く

 

幸せをかみしめて生きている人はこの世に少ない

ちょっとでも欠陥があると、すぐにつらい苦しいと言う

本当につらいことや苦しいことはどんな人にでもあるだろうけど、それだけじゃないだろう?

楽しい、嬉しい、幸せだと感じられることだって、見ようとしないだけで、いっぱいあるとは思わないか?

 

ただ見ればいいのさ

当たり前のようにある幸せを特別なこととして見るだけで、人生すごく豊かになると思う

だから自分の幸せを見れば、それだけで幸せになる

というよりもともとあったものだし、幸せは別に逃げはしないのだから、ただ見つめるだけでいいんだ

 

この危険な橋をそうとは知らずに悠々と歩けるのは、みんな盲目だからだ

目隠しをして渡り歩いている

それでも踏み外すことなく歩いていられるのは、やっぱり見えない何かに守られているからだろうか

でも私が知らないだけで、踏み外している人もいる

 

多くの人は本当の不幸を知らない

私も本当の不幸を知らない

知らなくていい

ずっと幸せに生きていたい

 

でも今日したことが明日にどうつながるか分からない

今したことで10年後どうなってるか分からない

だから人は盲目なのだ

先のことはどうしたって分からない

目隠しをされた私達は今のことしか分からない

この危険な橋を渡り歩いて、自分の人生を知っていくのだ

 

当たり前に感謝して、いつどうなるか分からない人生が良い人生になるように、橋から足を踏み外さないように、生きていきたい

いつかこの橋も終わってしまうのだから

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 また外泊が決まりました。私が早く退院したいと言うので、先生は

「この外泊で問題がなければ、外泊後帰ってきたらすぐに退院ということにしましょう」

と言いました。

「その代わり退院後しばらくは私の外来に通ってください」

とも言っていました。

 退院する日に看護師のMさんはいないと聞いたので、外泊の前に私の書いた詩や絵を見てもらっていました。この絵が一番好きだとか、この詩のここに共感するとか言ってくれました。

 最後にさようならを言いたいので、Mさんの仕事が終わったら、出入り口までほんの少しですが一緒に行こうということになりました。私はお風呂上がりだったので、カーテンを閉めてボディクリームをつけていたらMさんが来て、急いで服を着て、部屋を出ました。お世話になったことにお礼を言って、さようならをしました。

 あのおねえさんにも詩を見せました。するとおねえさんは

「すごいじゃない。私にはこういうのよく分からないけど、絶対何かに応募した方がいいって」

と言いました。退院が決まったことを言うと、

「詩を応募すること、私があげた髪かざりを使うこと、この2つは絶対ね」

と言っていました。

 外泊で父の仕事場に泊まり、何をしていたか思い出せないほど何事もなく過ごしていました。だから病院に帰ってきたらすぐに退院となりました。まず父と先生が2人で話をし、それから私も呼ばれて何か話をされました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、一度酷いのがありました。軽く叫ばされて、ジタバタと体を動かされたのです。とてもしんどく、いつになったら私の不幸は終わるのかと不安でした。でもそれ以外はちょっと体が震えてたり、口元がニヤッとなるくらいで、大きなものはありません。最近幽霊日めくりを作ってみようと思って、文章を考えてみました。後は解説のようなものを考えるだけです。できあがったら、いつになるかはわかりませんが、ブログにも載せてみようと思っています。それまでに幽霊さんがいなくなってくれたらいいんですけど。

少しずつ夢を叶えていく。詩「きれいになりたい」。デイケアに見学に行く。

 こんにちは。花子です。

 心を内観するとか、未来は自分で作り出せるとか、そういったことを言う人が最近多いらしいんです。私はほぼ毎日思ったことをノートに書いて、内観していると言っていいのか分かりませんが、自分を見つめることはしています。でも書いてはいるけど、分からないことばかりで、何の解決にもなりません。今だってどういう毎日を送ればいいのか、どうしたら毎日しんどくなく過ごせるのか、自分の満足のいく毎日とはどういうものなのか、夢はあるのにそれが叶えられるような行動をとれないのはなぜか、どうして上手くいかない気がするのか、など分からないことばかりです。でも前は疑問ですら分からないことがありました。何かモヤモヤする、それだけしか分からず、自分は何を思うのか、それだけが疑問でした。今は以前に比べて、少し成長したのでしょうか、自分の思いを大切に生きられているような気がします。私は今の環境でこの私にできることを精一杯やるしかできないのです。夢はいつか叶うかもしれないし、本当にただの夢だけで終わってしまうかもしれません。今の私はこの頑張りで精一杯なので、とりあえずはこんな毎日を過ごしていこうかなと思っています。

 実は今日は以前からの夢がひとつ叶いました。ほんの小さなことですが、確かな夢です。それは朝早くに起きて、散歩と朝ヨガをすることです。そして夜まで元気に過ごすのが、まだではありますが、昨日の私の夢だったのです。毎日小さな夢というか、目標を作って、それを叶えていけば、いつか今の私が望む大きな夢も叶っていくかもしれません。大きな夢は私一人の力では叶えられませんが、いつか叶うことを願っています。叶わなくても今が楽しければそれでいいんですけどね。

 

 それでは詩です。

「きれいになりたい」

きれいになりたい

世界一の美女になりたい

生まれた時から何の努力もせずに、きれいな人間でいたかった

毛穴の開いてないつるつるの顔で一生いきたかった

体毛は生えてるし、肌は荒れている

 

見かけがきれいでも中身がきれいじゃなくては意味がない

でも心がきれいでも見た目が汚いと、それはそれで生きづらい

だけど私はきれいな心を持って、私の存在そのものがきれいだと思われたい

だって努力できるのは心ぐらいじゃないか

努力しても顔は取り替えられないが、心は努力すればきれいになれる気がする

心がきれいだったらそれが雰囲気に出るだろうし、話しかけやすい、感じの良い人になれはしないか?

 

でも顔と同様に心も変えられないものかもしれない

変えられるところと変えられないところ、その見極めが難しい

変えられないところを変えようとして、いくら努力しても無駄だし、変えられるところを変えられないと決めつけて、努力しなかったらもったいない

かつて私もそうだった

変えられるところと変えられないところの区別がつかなかった

自分自身が見えていなかったのだ

自分を見つめられるようになって思ったこと、それは人から私のすべてがきれいだと思われたいということだ

中身も外身もすべてがきれいだと思われたい

だから私は変えられるところは変えていこうと思う

変えられないところにはわざわざ目を向けなくてもいいだろう

変えられるところが私にはいっぱいあるのだから

 

見た目がきれいな人はすぐにもてはやされるが、心のきれいな人は短い付き合いだときれいだと分からない

きれいだと分かっても、あまりに見かけが醜いと関わるのが嫌だという人は大勢いるだろう

顔はその人の玄関口だ

顔を見て話すことからはじまる

自分の顔のせいで、はじめることすらできない人もいる

でも、それでも、きれいな清らかな心でいれば、ひとり不幸な人生を送らなくても済むんじゃないか?

私はそう信じたい

 

このままの私で、この私の存在がきれいだと、すべての人に思ってほしい

いや、すべてじゃなくてもいい

私の周りには私の存在をきれいだと思ってくれる人が集まってくる

そんな気がする

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 その後も主治医の先生の診察がありました。退院後はデイケアに行くようにと勧められました。私は本当は働きたくなかったのですが、働かないといけない気がしていたので、先生に

「働けるようになりたいです」

と言っていました。そうしたらデイケアには土日以外の毎日来てほしいと言われました。コミュニケーション力は筋トレと同じで、毎日鍛えてないと衰えるものなのだと言われました。

 この時は入院中からデイケアに行くように言われていましたが、私が早く退院したいと言うので、デイケアは退院後ということになりました。しかし私は何かをするのがつらくて、

「休みたいです」

と先生に言いましたが、無視されました。

 しかも今私はデイケアに週1、2回しか行ってませんが、コミュニケーション力は衰えていません。むしろ上達していると言っていいほどです。この先生の言っていたことは何だったのでしょうか。

 デイケアにはまずは見学ということで、同じ部屋の人と2人で見学に行きました。デイケアはOT室の上にありました。確か2、3階がデイケアの部屋で2階はみんな自由に過ごせる多目的室のような感じで、3階には陶芸の部屋があり、その奥の部屋で4、5人の人が音楽を聴いていました。

 見学の前に看護師さんに

デイケアに見学に行くんです」

と言うと、

「麻雀したりしてるよ」

と言いました。それを聞いて私は

「遊びじゃないですか」

と言うと、

「そうだね」

と看護師さんは言っていたと思います。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは普段はおとなしいのですが、ごくたまに大きく出たりします。この前も何もしたくなくて、横になっていたら、叫ばせながら、腕を叩かされました。泣いていたら、今度は腕をつねらされました。自分は悪くないとでも思っているのでしょうか。出ていってほしいと思えば思うほど、いやがらせが強くなるような気がします。一生一緒なのかと絶望もしました。私の不幸はいつまで続くのだろうとも思いました。いつかいなくなるのなら、今いなくなっても同じじゃないのかと思うのですが、今はまだ出て行ってくれないようです。この私の不幸が少しでも早くなくなってくれることを願っています。

りせともよさんとダイエットを頑張る。詩「怖くても、不安でも」。先生との面談で泣く。

 こんにちは。花子です。

 最近はユーチューバーのりせともよさんを見るのにはまっています。前はダイエット系ユーチューバーと名乗っておられましたが、最近はリバウンドしてしまって、前のような厳しいダイエットはできなくなったようです。でも私は前の頑張ってた頃の動画を見て、一緒に頑張ろうというような気持ちで、筋トレやストレッチを頑張っています。

 筋トレやストレッチをし始めてから一ヶ月くらい経ちました。毎日はできなくても、時々休みながらやってきました。時には思うように筋トレができなくて、泣いてしまうこともありましたが、できる時には頑張ってやっています。でもなんだかしんどくて体を動かすのが苦痛の時があります。そういう時はもう今日はお休みの日にしようと決めて、明日の自分に期待をしています。少し休んでもいつか絶対にやりたくなる時が来るはずなのです。これから一生やり続けられるように、無理せずやっていきたいです。

 食事の改善もしました。お通じが良くなくて、出てはいても、コロコロした便しか出なかったのが、今は毎日快便になりました。朝にアーモンドとプルーンを三粒ずつ、それとオーバーナイトオーツ(オートミール40グラム、牛乳100グラム)を食べて、間食にキウイ一個を食べるようにしました。そして夕食前に酢キャベツとめかぶと納豆を食べるようにしました。すると徐々にですが、便通が良くなってきたのです。体重は全然変わらないのですが、腸の調子は良くなってきているので、それだけでも良しとしたいです。

 ちょっと前まで朝散歩に行けるほど早起きができていたのに、今は12時間寝る生活をしてしまっています。起きられないし、目覚ましかけて早く起きても、しんどいだけで何もできないのです。私には普通の生活はできないのでしょうか。8時間睡眠で足りるようになりたいのに、理想と現実は遠くかけ離れてしまっています。でもこれでも生きてはいけるので、あまり多くは望まないようにします。私は私の普通を基準にして生きていくしかないのです。いつでも理想は現実にはならないですね。

 

 それでは詩です。

「怖くても、不安でも」

私はこれでいいのか?

未来は希望で満ち満ちてるし、幽霊さんはもうすぐいなくなるだろうし、ダイエットだって成功している

でも怖い

不安が襲ってくる

何が怖いのだろう

泣きたい、でも涙はでない

貯金だってできてるし

家族はみんないるし

人間関係で悩んだりしてないし

 

どうしたらいいのだろう

手足がジンジンしてきた

この先待っているのは良いことばかりではない

父も母も兄も、みんな私より先にいなくなる

いつまでもこんな生活が続けられるわけではない

幸せはずっとは続かない

私もいつかはひとりになる

そしてこの世からいなくなる

今まで死んできた人と私も同じ

私もいつかは死ぬのだ

 

私の創れる世界ってどんな世界なんだろう

いずれ死ぬから、消え去ってしまうけれども、この世にはこの世にいる人の分だけ世界がある

そしてそのほとんどが死んだ時に消え去ってしまう

でも残されるものもある

 

別に生きていた痕跡を残したいとかそんなんじゃない

私の世界がどうなったって、他の人からしたらどうでもいい

人は私の知らないところで生まれ、そして死ぬ

私がどんな生き方をしているか、他の誰かは知らない

 

私の創った世界

私の生きている世界

私の人生

生き様、死に様

このすべて、私は今どうしたらいいの?

 

私は有象無象のうちのひとりとして、人生を終えていくのだろうか

どんなに頑張って生きたって、死んだ時にはすべてなくなる

でも生きてる時が大事なんだもの

いずれ死ぬのは分かっている

すべてなくなるのも分かっている

それでも生きている間は生きているということが大事なんだ

どう生きるかが全てなのだ

些細などうでもいいようなことが、すごく大事なんだ

最後にどんな結末が待っていようとも、今生きてることが大切

いつだってより良い生き方をしたいのが人間なんじゃないか?

 

怖くても不安でも、私は幸せな人生を送っている

私の人生、一歩ずつ、幸せをかみしめて、生きている

今を精一杯生きよう

そして幸せに死んでいこう

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 外泊から帰ってから先生の診察がありました。そこで私が勝手に眼科へ行ったことを咎められました。入院中に他の医院にかかったら、入院してる病院が医療費を負担するのだと言われました。

「だから(眼科に行きたかったから)金曜日と言ったんですか?」

と訊かれました。私は

「はい」

と答えました。

 先生は外泊中何をしていたか訊いてきたので、大介さんに手紙を書いたことを言いました。すると先生は

「それは気になりますね。なんて書いたんですか?」

と訊くので、

「書いたけど送ってません。日記みたいな感じで」

と言うと、

「そうですか」

と言って、他はあまり何も言いませんでした。

 だんだん泣けてきました。入院しているのがつらくなってきたのです。だから泣いていました。

「私が今泣いているのはコンタクトレンズのことじゃないですよ」

と言うと、

「分かってます」

と言われました。なんだか先生は意地になっているように感じました。私が泣かせたのではないと言いたげでした。

 おじいさんの先生が通りがかりました。この先生とは主治医の先生の診察の前に廊下で会って、ちょっと話をしました。

「一時的なものだったのかな」

とこの先生は言っていました。

 このおじいさんの先生が診察室に来て、私はこの先生なら味方になってくれる気がして、よけいに激しく泣きました。そうしたらこの先生は

「どうしたの?さっきは普通に話してたのに」

と言いました。私は

「今すぐ退院したいです」

と言いました。すると

「それはだめ、それはだめだよ」

と言われました。私はさらに悲しくなりました。

 診察室を出て、私は泣きながら父に電話しました。

「早く帰りたいよ」

と言いました。それからお風呂の順番が回ってきて、患者さんのひとりが

「お風呂で流しておいで」

と言ってくれました。部屋でお風呂の準備をしていたら、同じ部屋の人が

「大丈夫ですか?」

と訊いてくれました。私は泣きながら

「大丈夫です」

と言いました。この日はこれで落ち着きました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、筋トレをしようとしたら、声を出して笑わせられたり、頭を叩かれたり、「あー」と少し大きな声で言わされたりしました。だからこの日は筋トレができなくて、悔しかったです。さらにこの前母と外食に行って、楽しく家路についていたら、ちょっと乗っ取られ感が出てきて、目玉がキョロキョロと動いたり、にやけさせられたりしました。でも家に着いてゆっくりしてたら、割りとすぐに治ったので、よかったです。ちょっと大きな動きは出ましたが、それ以外の日常ではだいぶ減ってはいる気がします。「灯滅せんとして光を増す」の現象であったと思いたいです。

詩「幽霊⑤」。初めての外泊でコンタクトレンズを作った。

 こんにちは。花子です。

 最近暑いですが、自分を鍛えるために、昼間日傘をさして外を歩いています。今でも十分暑いですが、まだもう少し暑くなってもいけそうです。川沿いの道や、林っぽいところを歩くと気分がスッキリします。また歩きに行きたいです。

 最近机に向かってノートを開いてみても、あまり何も浮かんできません。何か書きたい気はするのに、書くことがないのです。私は作家には向いてないでしょう。小説はもちろん書けないし、エッセイなんて言っても、これもまた書けそうにありません。詩のようなものは書いていますが、詩と呼べるのかは分からないし、それも書き続けるのは難しそうです。でも今までに書き留めていたものが結構あるので、それをブログに書ききるまではブログを続けようと思います。

 

 それでは詩です。

「幽霊⑤」

勝てない

私は幽霊に勝てない

幽霊は様々ないやがらせをしてくる

体を震わせたり、変な顔にさせたり、目をあやつったり、ひどい時には体を乗っ取るようなことをしてくる

幽霊が出てきたら、私はそれを抑えることができない

幽霊は強いのだ

 

ある人は「どうして私のところには入ってこないんだ?入ってきたらやっつけてやるのに」と言っていた

そんなことできるならとっくにやっている

あの人は幽霊の恐ろしさを知らないのだ

幽霊は誰の手でも追い払えない、厄介なものなのだ

 

私だってやっつけられるものなら、やっつけてやりたい

そしてこの世での居場所を奪ってやりたい

ボコボコに打ちのめして、もう私の中にはいられないと思わせてやりたい

 

どうして止められないんだろう

どうして私の体は私の思い通りにならないんだろう

幽霊をすべて取り去って、自分だけの自分になりたい

もうあんな風に乗っ取られるのはごめんだ

 

幽霊をどれだけ言葉で痛めつけても、よけいに意地を張って、私の中に残るのだろう

やっつけても、やっつけても、やっつけられない

幽霊に勝つことは誰にもできないのだ

幽霊がこの世からいなくなるようにできることは、ただ待つだけだ

自然といなくなるのを待つだけだ

幽霊をいないものとして、あまり意識せず、ただすべての自分を取り戻せるように、待つ

幽霊がいなくなって、自分のすべてが全部自分の思い通りになれる日が来るように、待つ

 

ひとつの体に魂2つはきついよ

幽霊のためにもうひとつ体を見つけてきてあげたい

でもそんな体はもうないんだ

 

幽霊は何をしたいんだ?

もう死んでいるって自覚できないのか?

私の体を乗っ取って、ほら僕まだ生きてるよって言いたいのか?

思いたいのか?

一度死んだのだから、本当はこの世に居場所がないはずなのに、誰のおかげでこの世にいられてると思ってるの?

私に感謝して、いやがらせはもうやめましょうと思ってくれ

もうやっつけようなんてしないから、だからどうか私の中から出て行ってください

 

本当に出て行ってくれる日が来るだろうか

いや、いつかきっと来る

幽霊がいたことは、たぶん感覚としての記憶には残らない

はじめからいないのと同じ感覚で、人生を歩んでいくのだろう

希望はある

そう信じて、私は待つのだ

すべての自分を取り戻せる日を

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 とうとう外泊の時がやってきました。家に帰れるのです。家といってもこの時は父の仕事場兼実家でしたが。父に送り迎えをしてもらわなければならないので、週末に外泊することになりました。私は眼科に行ってコンタクトレンズを作りたかったので、金、土、日の3日間の外泊となりました。なんとなく眼科に行くことは先生には言いませんでした。これが良くない結果を生むのですが。

 金曜日私と父はバスに乗り、私は私の家の近くの眼科へ、父は仕事場へ、それぞれ行くことになりました。私は眼科へ行き、コンタクトレンズを作りました。はっきりと見える世界は感動的でした。ただちょっと入れるのが難しかったです。

 それから家に行き、高校の時買ったトランペットを父の仕事場に持って行こうと思いました。また練習してみたくなったのです。でも持っていただけでほとんど練習してなかったので、吹けないのと同じでしたが。

 家に帰ると兄がいました。

「ああ、帰ってきたの」

と言いました。私は

「うん」

と言ってトランペットを持ってすぐに家を出ました。

 父の仕事場に着き、どう過ごしていたかさっぱり思い出せません。でも内大介さんに手紙を書いたことは覚えています。

「ハッキングしていましたよね」

とか書きました。大介さんが私の妄想通りの人だったら、絶対返事はもらえると思っていました。でも何の返事もありませんでした。それ以外はとりあえずそこで過ごしたということだけは分かります。日曜日になってまた病院に戻りました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは上の詩に書いていたようないやがらせが、だいぶなくなってきました。震えも本当に少なくなったし、変な顔にさせられるのもほぼなくなりました。この調子でいけば、本当に幽霊さんはいなくなるかもしれません。それはとても嬉しいことです。後は時間の問題でしょうか。なくなってほしいです。

それほどしんどくない。詩「解放」。入院がつらくて泣いていた(退院したい)。

 こんにちは。花子です。

 最近は良い感じに毎日を過ごせているような気がします。前みたいにしんどいのがなくなってきました。しんどいなぁという時は横になって休んだりしているし、大してやることもないので、毎日をゆったりと過ごしています。読書もできるようになってきました。もうデイケアに行かなくていいとなると、肩の荷が下りて、しんどくなることもなくなったのです。デイケアに行くとしんどくならされることが多かったです(幽霊さんに)。でももうそれもありません。もう幽霊さんはいなくなるのです。先生も時間の問題ですねと言っていました。これからは毎日楽しく生きていくのが目標です。

 

 まずは詩です。

「解放」

あの頃はいつもひとりで帰っていた

友達らしい人はいなくて、誰かと一緒にいても、私はひとりな気がしていた

今から思えば普通の私じゃなかった

でもその期間が長すぎて、そんな自分が通常なのだと勘違いしていた

 

学校では私はいつもひとりだった

そんな自分が自分なのだと疑いもせず思い込んでいた

まさかこんな私が本当の私だなんて、誰が想像しただろう

どうしてあの大切な時期に本来の私でいられなかったのだろう

 

もう逃げたかった

学校から逃げたいと思っていたと思ったが、もしかすると異常な、本来とは違う自分から逃げたいと思っていたのかもしれない

でも学校では本来の自分でいるなんて許されなかった

学校とはそういうところだ

私が私らしくいられないのが学校だったのだ

 

そんな学校からの帰り道があの時の私には一番好きだと思えた時間だった

行きたくなかった学校から解放されて、宿題もまだしなくてよくて、すべての負担から解放されていた時間だった

 

「解放」

学校時代の帰り道をそう名付けようと思う

「解放」の時間は何もしなくてよかった

自由だった

学校のことなんて忘れていられそうだった

現実には頭の中は学校で起きたことがグルグルしていたのだが

頭の中はそんなでも、ただ歩いていたらいいだけの時間であったことは確かだ

何かをしなければならないという圧力もまだなかったし

 

家に帰ればほっとするが、同時に宿題ができるという環境に身を置くことで、宿題という圧力がかかる

しかし帰り道はその圧力がかからない

だってできないのだから

 

学校時代はやらなくてはいけないことばかりで、ゆとりがなかった

帰り道は「解放」だったが、やっぱり家に帰ると勉強しなければならないというのが、頭のどこかにあった

帰り道だけじゃなく、一日中学校から解放されたかった

それ以外何も考えられなかった

将来のことを考えるゆとりがなかった

 

どうして私はこんなんなんだろう

あの「解放」の時にはこんなこと思わなかった

でもようやく解放されて、本来の自分に戻れて、やっと自分の人生を生きることができるのだ

私の人生「解放」されてはじめて始まるような気がする

まだまだこの先、人生長いぞ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

だんだん入院しているのがつらくなってきました。絵を描いていても胃のあたりが少し痛むようになりました。もう耐えきれなくなって、入口で人の出入りをチェックしていた看護師のMさんに

「早く退院したいです」

と泣いて言いました。するとMさんは詰所まで私を連れて行き、

「僕仕事できないから、誰か話聞いてあげて」

と言いました。ちょっと話を聞いてもらったのでしょうか。でも話なんかなく、ただ退院したいだけだったのですが。

 とりあえずちょっと落ち着いた私は自分の部屋に戻り、泣きながら荷物の整理をしていました。すると看護師のTさんが来て、開いていた扉をトントンと叩き、

「散歩行こうか」

と言いました。その姿がとてもかっこよく見えました。Tさんには朝に

「また散歩に連れて行ってください」

と言っていました。Tさんは

「今日の担当はAさんなんだけどな」

と言っていましたがTさんが連れて行ってくれることになったようです。

 Tさんは

「何か欲しいものある?」

と訊いてきました。私はこの時、私もいつか働くのだから目が見えてなかったらいけない、でも眼鏡は嫌だ、だからコンタクトレンズにしよう、と思っていました。だから欲しいものを訊かれて、私は

コンタクトレンズ

と言いました。するとTさんは

売店コンタクトレンズはないな」

と笑って言いました。それから散歩に行きました。

 Tさんは私がTさんとの最初の散歩の時、外に出られてうれしいと泣いたことを言って、

「あんな風に普段当たり前だと思っていることの大切さに気づけるのは大事なことだと思う」

と言ってくれていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは手足の震えや変顔が少し増えているような気がします。さらには寝る前とかに手をぎゅーっと握らされる、というのも増えました。前ほどはひどくはないけど、もういなくなるというのは、遠い願望なのかもしれません。ただ先生的には「時間の問題」らしいです。だから本当に私にできることは、ただ待つということだけなんだと思います。