幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

ダイエットしたいから、オートミールを。詩「失敗したくない」。絵を見せたり、好きな本を言ったり、女の子と話をしたり。

 こんにちは。花子です。

 この1週間色々大変でした。母が入院して、病気は大したことなかったのですが、手術まで痛みに苦しんでるのを見るのがつらかったです。でも手術も無事終わり、経過も良いので、すぐに退院できます。明日退院なので、お迎えに行ってきます。大して痛くないようなので、一安心です。痛いと叫んでる人もいましたが。

 最近朝に起きるようになりました。前まで何時に寝ても起きるのは10時頃だったのに、最近は7時には起きています。まぁ寝るのは9時頃なんですが。

 生理前で、さらに朝に起きるから、10時に起きてた時よりよく食べるようになりました。ダイエットしようとはしているのですが、食べたい気持ちの方が勝って、お菓子や菓子パンなど、食べてしまっています。それでもダイエットもしたいから、オートミールを食べたりはしています。オートミールは腹持ちが良いと聞きましたが、余計にお腹が空くような気がするのはなぜでしょう?でも便通も良くなったから、また続けてみようかなと思います。

 

 それでは詩です。

「失敗したくない」

失敗したくない

失敗するのが怖い

自分のちょっとした言動で、今まで積み重ねてきてものがすべて崩れ去るんじゃないかなんて思う

本当はちょっと失敗したぐらいで、自分の人生どうこうなるなんてことないと思うけど、何かを大きく踏み外すような気がして怖い

 

失敗がひとつもない、成功だけの人生を歩みたい

でも失敗がないと成功することはできない

そんなこと分かっているけど、やっぱり失敗したくない

どうしてやってみないと分からないのだろう

やる前から何もかも分かっていたら、失敗なんてしないのに

 

何を失敗したのだろう

私の人生何を失敗してこうなったのだろう

別にこの人生が嫌なわけじゃない

これはこれでなかなか良い人生だとは思う

でもあの時の失敗が今につながっているなら、どうしてあの時失敗したのかと後悔するのだ

大きな失敗をして、もう生きられない状態になったわけでもないのに、いったい何を後悔するのだろう

 

小さな失敗なんて、あってもなくても、人生にたいして影響はないと思うが、どんなささいな失敗でもしたくない

失敗しないと学べないけど、失敗せずして学びたい

あんな小さな失敗、あったって私の人生全般に何の影響もしてないじゃないか

ただ物事がわかった気がするというだけで、むしろ良いことなんじゃないか?

 

失敗しないと次の段階に進めない

より良い人生にしたいと思うなら、失敗を恐れないことだ

とは思うが、私はいつまでたっても、あの時の小さな失敗をうじうじと後悔しているのだ

 

あれがなかったら、こんなに成長できてないって、分かってる

分かってるよ

でもやっぱり完璧な人生を歩みたい

失敗しても、それを良いものとして受け入れて、恐れずに前に進みたい

いつまでもあの時のことを後悔しているなんて嫌だ

 

失敗も成功の一部だ

成功だけの成功なんてない

だからもう過去の失敗を悔やむことはやめよう

なんて言ったって、私はいつまでも後悔してそうな気がする

むしろそっちの方が同じ過ちを繰り返さないかもしれない

 

失敗しても成功しても、いつも同じ、平常心でいられたらいいのに

そうしたら人生失敗も成功もない、ただ同じことを繰り返すだけの一生になりそうだ

それはそれでつまらないかな

でもそんな人生を望んでしまう

 

失敗が怖い、そんな私をいつまでも引きずって歩くのだろう

そんな人生でもいいじゃないか

そんな私でも人生を全うできるよ

 詩はここまでです。

 

 次はいつものです。

 部屋で絵を描いていたら、あのおばあさんが来て、看護師さんに見つからないように入ってきて、

「うまいね」

と言ってくれました。お掃除の人も私の絵を見て、感想を言ってくれていました。

 このお掃除の人とは別のお掃除の人が入り口の出入りをチェックする仕事をしていました。私はこの人とも仲良くなって、おしゃべりをしていました。その中でどんな本が好きかと訊かれ、私は清水義範さんの「国語入試問題必勝法」という本を勧めました。そうしたらこの人は

「私には関係ないわ」

と言いました。私は

「いえいえ、参考書とかじゃなくて、パロディーなんです」

と言いました。もう少し上手い説明ができたらよかったのですが、これぐらいしか言えませんでした。この人は分かってくれたような気がするのですが、もうあまり覚えていません。

 私より年下のかわいい女の子と少し仲良くなりました。

「こんにちは」

と声をかけたりしていました。ある時この子と詰所で会って、ちょっとだけデイルームで話をすることになりました。この子に

「緊張します」

と言うと、

「女どうしなのに?」

と言われました。この子は夜にゲームなどをしているらしく、早く寝るように言われるなどと言っていました。私が何時ごろに寝るかを言うと、もうその時刻になっていたので、

「寝ますか?」

と訊かれました。私は寝ることにしました。

 また別の日、この子が前髪を切っていたので、

「前髪切ったんですか?」

と訊いたこともありました。この子は自分で切ったと言っていました。

 私も自分で前髪を切ったことがありました。看護師さんについててもらって、洗面所で切りました。切ったのですが、ちょっと気に入らないところがあって、看護師さんにもう一度ついてきてもらいました。これが夜だったので、

「今度から昼間にしようね」

と言われました。夜は看護師さんが少ないので、もしもの時大変だからだそうです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、また手足の震えや変な顔にさせられるのが増えてきました。ちょっと前まではもう左足の震えはほとんどなかったのに、今また少し出てきています。どうして私のつらい思いが幽霊さんには伝わらないのでしょうか。どうしてもう成仏しようと思えないのでしょうか。どうして幽霊さんが生きるということが私にいやがらせをするということに繋がるのでしょうか。せめて私の中から出て、別の人に憑いてくれたらいいのに、なんて思ってしまいます。でももうこれ以上誰にも苦しんでほしくありません。幽霊さんなんて存在、この世から抹消されればいいのに。

ブログは続けたい(詩を見てほしい)。詩「負けてる」。病院で患者さんと少し仲良くなる。

 こんにちは。花子です。

 もうブログもツイッターも辞めようかと思いました。このブログも病気のことを書くのは恥晒しのような気がするし、ツイッターもただ呟いてるだけで誰も反応してくれないし、たぶん私はSNSの使い方が下手なんだと思います。それでもこうやってブログを書いているのは、どうしても私が書いた詩を誰かに見てほしいからです。もうデイケアにも行かなくなって、見せられる人もいなくなって、人に見せられるのはこのブログだけになってしまったのです。だから見てくれる人が一人でもいるのなら、私は書きたいと思います。私の詩がどうか誰かの胸に届きますように。

 

 まずは詩です。

「負けてる」

負けてる気がする

すべての人に負けてる気がする

と言うのは大げさだが、本屋に行くと、歌を聴くと、いつも負けてる気がする

私だって考えてるのに、私より考えられている人なんてざらにいる

私の言葉よりもすごい言葉が世間にはあふれている

私なんて一冊の本も出せてないのに、本屋には何万冊もの本が並んでいる

私が知らないだけで、歌詞を書いて歌っている人はいっぱいいる

 

知らないことすら知らなければ、不安にならない

私は知らないことを知っているので、焦りがでる

みんなと同じ土俵に立ちたいのに、私の能力では無理だ

平凡な人にもすごい人にもなれない

ただなんとなく同じような毎日を送るだけだ

もうたいして何もできない毎日をよしとして生きようか

 

勝ち負けなんて本当は考えたくない

でも事実は負けてる

たくさんの人に私を認めてほしいが、私のことを認めてくれるのは、周りのわずかな人だけだ

それでもいいと思うが、私は世間に認められる才能のない人間なのだろうか

本当は才能がほしい気がする

でもやっぱり今の生活を変えたくない

今あるものをなくしてしまうのなら、才能なんてなくていい

才能があるとしたら、どんな生活になるのだろう

 

本音を言えば、生きていければそれでいいのだ

世間に認められなくても、この世界の片隅でひっそりと生きていければ、それでいいじゃないか

私には仲間がいる

同じように生きる仲間がいる

高みを目指さなくても、低いところでのらりくらりしてればいいか

どんな生き方でも、たとえなまけてるだけだと言われようとも、生きていていいのだ

生きていけるなら、それでいいのだ

 

世間の目なんて気にせず、ただ自分の目だけを信じて生きていきたい

自分の目に写る世界が私の世界だ

他の人の世界は関係ない

私の世界が私の良いと思えるようになっていれば、それでいいのだ

 

私は勝てない

負けたままでいい

何も勝ち得なくていいから、今あるものをなくさずに、自分が良いと思える人生を歩んでいきたい

 詩はここまでです。

 

 次はいつものです。

 父は日曜日には昼から来てくれ、病院の中にある喫茶店に行ったこともありました。何を話していたかさっぱり忘れてしまいましたが、自分のことについてしゃべりまくっていたことを覚えています。同じ病棟の看護師さんと患者さんがいて、私の話はこの人達に聞かれてはまずいと思いましたが、それでも父と話をしていました。

 なんで電話したか忘れてしまいましたが、父に電話すると

「今お兄ちゃんが調子悪いし行けないんだ」

と言いました。たぶんあまり来てくれないからなんでかと思って電話したのだと思います。

 いつの頃からか、旦那さんと子どもが見舞いに来る女の人がいました。この人は詰所で折り紙と牛乳パックを使ったえんぴつ立てを作っていました。ハサミが使えるのは詰所の中だけだったからです。なんでかは忘れましたが、この人と少し話をするようになり、このえんぴつ立てをくれました。私はいらなかったのですが、父に持って帰ってもらいました。

 朝ご飯を隣どうしで食べていて、

「よかったらどうぞ」

と言ってピーナツバターを勧めてくれました。私は最初は断ったのですが、人の好意を無下にしてはいけないと思い直し、

「やっぱりもらってもいいですか?」

と言って、もらいました。

 この人は色んな人の住所を集めていたのですが、私にも住所を訊いてきました。私は教えたくなかったので

「すいません、そういうのはちょっと、父が嫌がるので」

と言って断りました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは本当に前に比べたらおとなしくなりました。けどまだ手足は時々震えます。これは薬の副作用などではなく、本当に幽霊さんがやっているいやがらせだと思っています。でもたぶんもうすぐしたら幽霊さんもなくなるんじゃないでしょうか。まだしんどくならされたりするのが完全になくなったわけではないのですが、それも徐々に減っていくでしょう。嬉しい報告ができる日が来ることを願っています。

やめていたことを少し再開した。詩「夢」。家族が見舞いに来てくれる。

 こんにちは。花子です。

 お久しぶりです。しばらく休んでいました。このブログはあまり誰も見ていないし、やる意味もよく分からないし、やる気にもならないし、とにかくちょっと休みたくなったのです。

 休んでいるのはブログだけではありません。デイケアをもう4ヶ月休んでいます。そしてもうデイケアには行きたくありません。プログラムをこなすのもしんどくなってきたし、私には集団生活が向いていないのです。学校が嫌だったように、デイケアという集団生活が嫌になりました。人間関係も発生する、そんな人生にはもう嫌気がさしました。私は特に友達も必要ないし、今のところ家族だけで十分なのです。その家族がいなくなってからが問題ですが。でも最近はひとりでどこかに行くこともできるようになってきました。この前も電車に乗って池を見に行ってから、ひとりでカフェでパスタとケーキを食べました。今度はきのこの観察会に行く予定です。自然に触れるということは良いことです。

 ツイッターで呟くこともやめていましたが、また呟いてみることにしました。見てくれている人もいるようで、なんだか楽しいです。でももう有名になりたいとかは思わなくなりました。森実恵さんのように何かに連載して、小冊子を出版できるようになりたいなんて思っていましたが、もうそんな叶わぬ夢を見るのも虚しいので、やめにします。とりあえず今の私にできることは、節約しながら少しの楽しみを持つことなので、それに専念します。

 最近はYouTubeでぽちゃHOMEをよく見ています。あいこちゃんがマッチングアプリをしているので、私も少し興味があるのですが、今の生活を変える気はないので、妄想だけに留めておきます。またきのこ観察会や自然教室に行って、親しい人を見つけられたらというのが、今の私の現実的な出会いの場です。正直家族がみんな死んでいって、ひとり取り残されたとしても、それはそれでいいような気もします。人間死ぬ時はひとりだ、なんて言うけど、やっぱり誰か人と関わりたいとは思います。誰か私を好きになってくれる人が現れないかなぁ。

 

 さて、いつも通りまずは詩です。

「夢」

毎晩夢を見る

色んな夢を見る

あの時の夢を見る

すばらしい風景の夢を見る

苦しい夢を見る

泣いている夢を見る

 

あの時会いたかった人に夢の中で会いに行こうとしている

でもいつも会い方が分からない

なんとなくおかしいなと思っても、それ以上考えられない

 

学校に行こうとするが、休んでしまう

もうすぐ終わるのだからいいかと思っている

その時も何かおかしい気がするけど、それ以上考えられない

夢の中で私は何も考えられない

 

今では乗れなくなった自転車に乗って、すばらしい景色の中を走っている

見たことも行ったこともないようなところにいる

あの景色はどこから来るのだろう

電車でも色んなところに行く

私はいったいどこに行きたいのだろう

 

起きようとするのに、夢の中ではいつも起きられない

一度目を開けて起き上がる

でも次の瞬間、また寝ているのだ

それを何度も繰り返す

そして本当に目が覚めた時、やっと目が覚めたかと、ちょっとうんざりするんだ

 

息ができないほど泣いている夢を時々見る

本当に息ができないのだ

はっと目覚めて、何が起きていたのだろうと不思議に思う

 

体が動かなくて、ただ周りにいる人に、起きられないと訴えていることもある

あれは私としては夢の中だが、あれを人は金縛りと言うのだろうか

でも明らかに現実世界じゃない、夢の中なのだ

 

現実世界では考えられないようなことが夢の中で起こる

夢は本当に自分だけのものなのだろうか?

誰かが脳内を操作しているんじゃないか?

いや、やっぱり夢は私の脳内で起こっている

自分の知らない自分がいるのだ

それに気づいたからって、起きている自分とはあまり関係ないのだが

夢って不思議なものだね

 これで詩は終わりです。

 

 次はいつものです。

 父と母と兄が見舞いに来てくれたことがありました。この時は面談用の部屋を貸してくれました。この部屋の扉は閉めてしまうと内側からは開けられないのですが、それを知らずに閉めてしまったことがあって、緊急用押しボタンで看護師さんを呼びました。これ以後は扉は半開きにしておきました。

 この時はまだ半分くらい妄想にとりつかれていて、私には音感があってハモリもうまくできるのだと思っていました。だから兄と私が知っている歌を歌って、私は主旋律とは違う音を出してハモっているつもりになっていました。たぶん本当は全然ハモれていなかったと思います。でも誰も何も言いませんでした。

 これぐらいの時、私はひとりになった時には家族への手紙を書いていました。

AKB48の人達と本当につながり合えていると思ったことがあったんです」

と書いたのを覚えています。母はこの手紙を見て、

「何書いてあるか分からない」

と言いました。兄は

「分かる、お兄ちゃんには分かるよ」

と言っていました。幽霊から自由になってから、家族4人揃ったのはたぶんこの時ぐらいでした。見舞いに来てくれたのはほとんど父だけでした。

 父は夕方、仕事が終わってから来てくれていました。晩ご飯の時に来てくれたこともしばしばです。よくココアを買ってもらって飲んでいました。何を話していたかもう全然覚えていないのですが、2日か3日に1回ぐらいの割合で来てくれていました。

 帰りはもう時間的に表からは出られないので、父は裏口から帰って行きました。扉のところまで見送って、また病棟に戻ったら、看護師さんが

「お父さんダンディだね」

と言いました。あのおねえさんも父をダンディと言っていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、もう少しでいなくなりそう、というところですが、まだいます。でも前よりは減ってきました。忘れてる時間も増えてきて、今のところいい調子です。このままフェイドアウトしてくれることを切に願います。

今年は歩きまくる一年に。詩「あの子の夢」。看護師さんとお話を。

 こんにちは。花子です。

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします、なんてこのブログは誰も見てないんですけどね。でもとりあえずなんとなく今年も書きたい時に書いて、ちょっとずつ更新していけたらと思います。

 今年も例年通りお正月はお墓参りに行きました。そしてお寿司屋さんでお寿司を食べて、母と散歩に行って、帰ってきました。最近は母と色んなところを歩き回っています。昨日もデパートに行って、帰りは川沿いを歩いて、電車に乗って帰ってきました。そして念願の電池式腕時計を買いました。今までソーラー式の時計を使っていたのですが、うまく充電ができなくて、すぐに止まってしまうので、電池式のが欲しくなったのです。アルバの6600円の時計を、お正月だからということで、6000円にしてもらって買いました。そして水晶までもらいました。しかも母の分までもらったのです。今年も良い一年になりそうです。

 

 それでは詩です。

「あの子の夢」

夢を見た

あの子のことを恋しく思う夢を

思い出した

あの子のことを恋しく思っていたことを

今ごろどうして思い出したのだろう

ずっと忘れていたのに

どうしてあんなに恋い焦がれていたのか

 

たしかにあの子のことを好きだったことはあった

でもあの子とどうこうなりたいわけではなかった

親しくなれたらよかったかもしれない

でも私は想ってるだけで精一杯だった

声をかける勇気はないし、好きだとみんなにバレたらどうしようと思っていた

ちょっと話ができるだけでもよかったかもしれない

でもやっぱり私にはできなかった

人に声をかけるということがあの時の私にはできなかったのだ

だからせめて夢の中でだけでも親しくなりたいのかもしれない

現実ではもう忘れられているかもしれないのに

 

恋に恋していたのかなぁ

本当に胸が苦しかった

歩いている間中あの子のことを考えていた

思い浮かべるだけで苦しかった

私はあの子に恋をしていたのだ

 

恋をすると楽しいかもしれないが、叶わない恋だと分かっていたら、苦しいだけだ

でも叶わないと分かっていても、やっぱり恋は楽しいかもしれない

苦しい、楽しい、どっちだろう

きっと苦しくて楽しいものなんだろうな

あんな気持ち、あの時だけだ

でも夢の中ではあの時に戻っていた

あの子のことを心から想っていたし、あの子と親しくなる夢を見て、すごく楽しかった

 

いつまでも寝ていたい

いつまでも楽しい夢を見ていたい

いや、もういっそ、どんな夢でもいいから、寝ていたい

寝ていたら、体の重みを感じずにすむ

起きるとズンと体の重みを感じる

夢のように体の重みを感じないまま、現実世界を生きてみたい

そして夢のようにあの子と仲良くなるのだ

 

体は軽やかに、心は楽しく、というのが理想だが、時に苦しい夢を見る

夢の中でも、心で想ってるだけで、会えないのだ

叶わない思いを持ち続けるのも苦しい

せめて夢の中だけでも楽しく過ごしたいものだ

でも起きると楽しみや苦しみは薄れる

あの時の気持ちもだんだん忘れていく

そしてまた現実だけを見て生きていくのだ

 

人は夢になぐさめられたり苦しんだりするが、それを時には忘れ、現実を生きていくのだろう

私達は夢の中で生きているのではない

この現実世界を生きているのだ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 看護師のTさんに詩を見せたら、

「辛口の感想言っても良い?」

と言いました。私は

「はい」

と言いました。するとTさんは

「もう少し繰り返しとかがあってもいいかもしれないね」

と言いました。私は

「辛口じゃない感想は?」

と訊くと、

「繊細なんだなと思った」

と言われました。私はそれがちょっと嬉しかったです。

 Tさんがパソコンで何か打っている時に、私は

「話したいことがあるんですけど」

と言って、Tさんの仕事が終わるのを待ちました。

「たいしたことじゃないですし」

と言って待っていたのですが、私が

「絵に気持ちを入れて描くと気分がよくなる気がします」

と言うと、

「たいしたことない話じゃなかったね」

と言われました。

 ある女性の看護師さんが

「花子さんの笑顔を見たら元気になる」

と言ってくれました。私はそれが嬉しくて、お薬をもらう窓口のとびらを閉めようとしていたこの看護師さんに

「元気な顔ー」

とか言っていました。何回か言ったのでしつこいと思われたかもしれません。だからあまり長くは言いませんでした。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、寒い時のガクガクがほとんどなくなりました。一年前の今頃はあんなにガクガクさせられて、あんなに苦しかったのに。本当に幽霊さんの消滅は近いと思います。ただまだ完全にいなくなったとは言い難いので、薬は減らないかもしれません。本当にいなくなったと感じられたら、先生に薬を減らしてもらえるように頼んでみます。きっともうすぐです、きっと・・・。

一年間の振り返り。詩「幸福感」。自由に外に出られるようになった。

 こんにちは。花子です。

 もう年末です。この前デイケアの年越行事に行ってきました。おそばを食べて、神社にお参りに行って、ぜんざいを食べました。そして一年間の振り返りです。一生懸命考えていましたが、思っていたことの半分も言えなかった気がします。だからここで一年間の振り返りをしようと思います。

 今年はダイエットをしようとして、あまりうまくいきませんでした。間食をやめたりしたけど、すぐにまた食べてしまって、またダイエットをしようと決意をすることの繰り返しでした。でも今度こそはダイエットを成功させたいと思います。来年は2、3キロ落とすのが目標です。

 しんどい日もたくさんありました。幽霊さんがなかなか出ていかなくて、つらい思いをしました。いやがらせも、もう何年もあと少し、あと少し、と思いながら毎日を過ごしてきました。今年こそ幽霊さんのない一年にしよう、そう決めても、私にできることはただ耐えることだけでした。耐えました。ずっとずっと耐え続けました。そして幽霊さんのいやがらせはだんだん少なくなってきました。来年こそ幽霊さんのいなくなる年にしたい、そう願っています。

 父が仕事を辞めて、晩ご飯作りをしてくれるようになりました。ちょうど私が生きることに疲れを感じ始めるほど、料理がしんどくなってきていた時に、父と晩ご飯作りを交代しました。しばらく休んでいたら、だんだん元気になってきて、今では朝の7時頃に起きて、野菜スープ作りをし、買い物に行ったり、散歩したりできるようになって、お風呂にも毎日入れるようになりました。夕食後父の布団に入ると、うっかり寝込んでしまって、自分の寝床に移動するだけで精一杯で、お風呂も歯磨きも薬を飲むことも、全部できずに朝まで寝てしまう、ということがありましたが、最近はなくなりました。色んなことが良くなってきています。今の生活から堕ちないように気をつけたいです。

 ブログは不定期になって、詩といつもの文章を一緒に書くようになりましたが、詩はどんどん書けているので、また来年も更新していけたらと思います。見ている人はほんの僅かしかいませんが。

 

 それでは詩です。

「幸福感」

別に何か良いことがあったわけでもないのに、幸福感に満たされている気がする

楽しい明日を思い描いたら、それだけで私は幸せだ

明日何食べようとか、誰とどう過ごそうかとか考えたら、それだけで幸せな気がするんだ

 

ああ幸せだなぁ

幸せに満ちあふれているなぁ

 

苦しい時には色々考えて、色んな作品が生み出せそうだった

でも苦しみ続けなければ、良いものが生まれないわけでもないみたい

苦しかったことを思い出して、それを作品にすればいいのだ

 

苦しみが少なくなった

嫌なことが少なくなった

すると幸せがちょっとやってきた

今でも幸せな方だが、この先もっと幸せな出来事があるような気がする

 

「想像もしないような良いことが起こる」と思えばいいらしい

私にもそんな良いことが起こるのかな?

平凡な幸せでいいんだ

別に特別になりたいわけじゃない

自分だけの自分を取り戻して、普通に生きられる幸せを感じていたいんだ

きっともうすぐ私の中は私だけになるだろうから

そうしたら私はもっともっと幸せになれるから

 

今この瞬間はなんとなく幸せな気がするけど、すぐにまた思い出す

思い出したらまたちょっとつらい

でもつらいだけじゃない

希望はある

思い出しても遠くから見ているだけでいられる時がきっと来る

 

切迫感や焦りはないし、気持ちはゆったりとしている

だってやらなくてはならないことなんてないようなものなんだもの

誰も私に期待していないし、自由に生きさせてくれる

 

今私を苦しめているものはいずれなくなる

もう2、3年もすれば私の中は変わっているはず

かつて苦しんだことも、今苦しいことも、私の中が私ひとりになれたら、きっと良い思い出だ

 

吸う息がすがすがしい

書く感触が気持ちがいい

聴く音楽が耳に心地良い

何もかもが良い方向に進んでいる気がする

 

この私が幸せになれないはずがない、と思う

だって私の未来が不幸なんてことあるはずがないだろう?

良い環境に身を置けてるし、運は良い方だし、今だってひとつを除けばすごく幸せだ

 

毎日同じことを繰り返して生きるなんて嫌だと思っていたけど、そんなことができるほど幸せなことってないと思う

毎日食べて出して寝て

それを繰り返して生きる

いつまでもそれが続けられる幸せを一生感じていたい

 

今私は幸福感に満ちあふれている

いつまでもそうであるという保証はないけど、きっとずっと私は幸せであり続けるのだろう

私はそういう人間なのだ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 自由に外に出られるようになっていたので、一度だけひとりで散歩に出かけたことがあります。歩いたらちょっと距離のあるお寺や、病院を挟んで反対側にあるコンビニに行きました。途中ちょっと走ったりして楽しい散歩でした。このことを看護師さんに言うと、

「体力はバッチリだね」

と言われました。

 外の空気が吸いたかったので、屋上に行ったこともありました。誰もいませんでしたが、隣の建物には人がひとりいて、ケイタイで電話をしていたと思います。この時は私ひとりでしたが、たまに屋上に行ってきますと言っている人がいたので、屋上は良い息抜きの場だったんじゃないでしょうか。

 OTや散歩に行ったり、ご飯を食べたりシャワーを浴びたりしている以外の時間は絵を描いたり詩を書いたりしていました。絵や詩ができた時には看護師さんに見てもらっていました。

「こんなのが仕事にできたらいいのにね」

と言ってくれる看護師さんもいました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはだいぶなくなってきました。足の震えはもうほとんどなく、手の震えはまだ結構ありますが、あまり気になりません。顔を歪められることもほぼありません。寒い時のガクガクも去年や今年の初めのことを思えば、ほとんどないと言っていいほどです。このままいやがらせもなくなって、幽霊さんの気配ですらなくなってくれれば、私は詩に書いた通り、世界一の幸せ者です。今のような生活を続けていきたいです。

現実を見ながら生きるのは難しい。詩「当たり前に感謝」。デイケアの人達とカラオケ(うまく歌えなかった)。

 こんにちは。花子です。

 前回からあまり日が経っていませんが、ブログを書きたくなったので、書いてみます。

 前は神聖かまってちゃんのの子さんや小林私さんに会えるような人生にしたいなんて思ったりしていましたが、今は私ではそんなことはできるはずがないと思えるようになってきました。現実が見えてきたのです。今私は現実を見ながら生きられています、たぶん。

 私の人生は狭い世界の中だけで完結します。近所を散歩して、買い物に行って、たまに遠くに行ったりして、毎日規則正しい生活をしていくのがきっと私の人生です。この地球上で生きてる他の誰かと同じ、ただのひとりの人間、たったそれだけです。むしろ私はそれ以下と言えるでしょう。

 昔からちょっと人から低く見られる傾向にありました。今はそんなことはあまりないけど、学校に行ってた頃は、馬鹿にされてる感じがありました。勉強だけはそこそこできたので、それだけで私もそんなに低レベルの人間ではないと思い込もうとしていましたが、その勉強ですら大学に行けるほどはできませんでした。

 そして病気になりました。もう治らない、一生付き合っていかなければならない、そんな病気になりました。働くこともできません。昼間から家の近所をぷらぷら歩いてるだけで、社会のためになるようなことは全くできていません。やっぱり私はみんなの下です。でもそれで生きていけるのなら、それでもいいのだと、昔は思えませんでしたが、今は思えるようになりました。デイケアの看護師さんも働くことがすべてではないと言ってくれています。私は昔からしたくなかった労働が、しなくても生きられる人生になったと思います。私ひとりの力ではなし得なかったことですが、成り行きでそうなりました。もうそんなに苦しむこともないでしょう。苦しみはだんだん少なくなっています。できることは少しずつ増えてきています。これからも今より堕ちていかないように、気をつけて生きていきます。私ならたぶん可能です。

 

 それでは詩です。

「当たり前に感謝」

目が見えるだけで良いと思えたら

耳が聞こえるだけで良いと思えたら

手足があるだけで良いと思えたら

食べられるだけで良いと思えたら

寝られるだけで良いと思えたら

息ができるだけで良いと思えたら

ただ生きているというだけで良いと思えたら

 

目が見えない人を街で見かけたら、目の見えない世界を少し想像し、目が見えていてよかったと思う

耳が聞こえない人がいると知れば、街を歩くのが不安になるだろうし、人との会話ができなくなるのかと思い、耳が聞こえていてよかったと思う

車椅子の人を見れば、自分の足で歩けていてよかったと思う

食欲も普通にあるし、ほぼ毎日大便は出ていてよかったと思う

夜はよく寝られているし、何も意識しなくても息ができていてよかったと思う

そうやってただ生きてるだけで幸せだと思えれば、どんなに良いだろう

毎日当たり前に感謝できれば、そんな幸せなこと他にないよ

 

体の一部が少し欠けるだけで、それまでしていた普通の生活ができなくなる

目が見えなくなると、耳が聞こえなくなると、それまで生きていた世界がガラッと変わる

自分の足で歩けないと、行けるところが少なくなる

今自分が持っているものは何ひとつなくしたくない

 

人生を同じ条件で生きていても、人によって感じ方が違う

人と比べて足りないところに目を向けて、不平不満を言う人もいる

そうかと思えば、人と比べることなどせず、今自分が持っているものだけを見て、幸せだ、恵まれていると言う人もいる

人生幸せに生きられるかは自分の感じ方次第だ

 

とは言うものの、そう簡単にいかないのが人生だ

どんな心の持ち方をしたって、つらい時はつらい、苦しい時は苦しい

努力しても報われないことなんてざらにある

それでもいらないものは捨てて、本当に必要なものだけを手元に残しておいて、それがあることが幸せだと思えたら、どんなに良いだろう

 

幸せになれるかなれないかは決められているのか?

それとも自分次第でどうにかなるのか?

幸せになりたいと願い、現状を幸せだと思えたら、人よりも少し幸せな人生を生きられる気がする

 

苦しみも前よりなくなった

自分次第で自分を幸せにできる気がする

他の人に楽しませてもらうのを待っているよりも、自分で自分を楽しませる方が手っ取り早い

自分の意志だけでは人生どうにもならないけど、自分の意志でどうにかできる部分もあると思う

心持ち次第でこの人生誰より良いものにできる気がする

人よりも多くのものを持っていなくても、今持ってるものだけで十分だ

今あるものに感謝して生きていけたら、幸せになれると思う

そうやって生きていきたい

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 OT室で編み物をしていたら、デイケアの人達とカラオケをしているので私もどうかと誘われました。私はあんまり歌える曲がなかったのですが、行くことにしました。

 上の階にカラオケができる部屋があって、4、5人の人がいました。私は前に家にいる時にちょっと歌っていた、YUIのCHE.R.RYを歌いました。するとスタッフが

YUI好きなんですか?」

と訊くので、

「この曲ぐらいしか知らないんです」

と言いました。あんまりうまく歌えなかった気がします。

 OT室に帰る時、OT室で見かけたことのある女の人がいたので、

「カラオケとか行きますか?」

と声をかけてみました。その人は

「行きますよ」

と言いましたが、表情があまり変わらず、無愛想だったので、声をかけない方がよかったかなと思いました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、足の震えが復活しそうでしないし、寒い時のガクガクもほんの少しあるだけでほとんどありません。幽霊さんは消え去りつつあります。たぶん私の人生の中の幽霊さんのいる期間はもうすぐ終わるでしょう。そうしたら私は本当に自由に生きられます。楽しいだけの毎日も夢ではないはずです。主治医の先生も確実に少なくなっていくと言っていました。その通りだと思います。幽霊さんはもういなくなるのです。

ダイエット続行中。詩「学校の先生」。バスに乗る練習を。

 こんにちは。花子です。

 最近ダイエットを始めたと書きましたが、続行中です。朝起きてすぐにオリーブレモン水を飲んでいます。これはダイエットが目的と言うか、便秘にいいらしいのと、肝臓にいいらしいからです。別に肝臓に異常があるわけではないのですが、母が脂肪肝で私もこのままだと脂肪肝になるかもしれないと思ったからです。薬を飲んでいるから、できるだけ肝臓に負担をかけないようにしたいのです。

 オリーブレモン水の後は野菜スープ作りです。キャベツ、たまねぎ、大根、人参、トマト、しょうがを切って、コンソメスープで煮て作ります。ただそれだけですが、オートミールより百倍はおいしいです。オートミールはおいしくない、というかまずく感じてきたので、今はやめています。また食べたくなったら、オーバーナイトオーツでも始めてみようかなと思っています。

 スープの後は普通にパンを食べたり、喫茶店でパスタやサンドイッチを食べたりしています。たまにマクドナルドも食べたりしていますが、短期間で一気に痩せるのは目指してないので、食事はあまり制限しないようにしています。ただ間食は一切やめました。お菓子も買ってあるけどしばらく放置しています。家族にあげてもいいのですが、手放し難いので、まだ手元にあります。ヨーグルトもプレーン砂糖不使用脂肪ゼロを買うことにしました。本当は色んな味を楽しみたいのですが、体のために頑張ります。

 最近は母の実家から柿が送られてきたので、1日に2個剝いて、父と母と私とで食べています。そろそろ熟れ頃で、腐らすことなく全部食べたいです。

 夕食後は黒酢とリンゴ酢を大さじ二分の一ずつコップに入れて、コップ一杯の水で薄めて飲んでいます。そして夕食後は絶対に何も食べないようにしました。私はここ何年かは絶対に夜食は食べないようになったので、夕食後のまだもうちょっと食べ足りないというのを我慢するだけになりました。

 とりあえず何を目標にしているとかはないのですが、これ以上太っていくのは阻止しないといけないので、ダイエット頑張ります。

 

 それでは詩です。

「学校の先生」

学校の先生はどうあるべきか

 

まず第一に自分の給料はどうやってもらえるものなのか知らなければならない

先生の給料は教えてもらったお礼として、授業を聞いてくれた生徒が支払うものである

本当は聞く価値のない授業しかできないのであれば、生徒は先生の給料を払わなくてもいいのだ

生徒が自分の授業を聞いてくれるから、お金をもらえるのだと知らなければならない

生徒がいるから先生は存在できるのだ

本当は生徒のために先生がいるのだろうけど、現状は先生が存在できるために生徒がいるということになっているのだろう

 

気に入らない授業なら聞かなくていい

聞くことを強要するなんて、どうやってお金をもらえてるか分かってない先生のすること

聞きたいと思える授業ができなければ、先生に存在する価値はない

有益な授業を聞かせてくれたお礼に生徒は授業料を払うのだ

自分のもらっている給料はふってわいて出てきたものではなく、生徒が支払っているのだと再確認してほしい

 

先生の能力に応じて給料が変われば、生徒が先生を選んで給料が決められたら、もっと良い授業ばかりになるんじゃないか?

少なくとも自分は人の上に立てる偉い人間だという思い込みがなくなるだろう

そして試行錯誤して、どうしたら生徒にとって良いと思える授業ができるのか考えるようになるだろう

そうすれば上から目線で授業を聞くことを強要しなくても、自発的に聞いてくれる生徒が増えるかもしれない

 

よく自発的にと言うが、そう言ってるだけでは自発的にさせられてはいない

自発的を強要するんじゃなくて、本当に心の底からやりたいと思わせるのが先生のすべきことなんじゃないのか?

自分に必要だと生徒が感じることができれば、誰に何も言われなくても、自然にやっている

それは難しいことだから、別にすべての先生にできるようになってほしいとは思わない

ただ自分は生徒からお金をもらっているのだと自覚していれば、偉そうにして生徒から反感を買うことも少なくなるだろうとは思うのだ

 

それから先生は自分が教えている生徒が、人生のうちで本当に大事な時期を過ごしているのだと分かってほしい

自分が人ひとりの人生を左右してしまうかもしれないくらい影響を及ぼす存在なのだと自覚してほしい

人からのちょっとした言動ですぐに壊れてしまうくらいもろい時なのだ

 

自分のやっていることがすごいと思っているのかもしれないが、生徒の立場に立って、本当に生徒のためになっていることができているのかどうか考えたことがあるのか?

ただ「自分すごいことやってる、革新的で、他の誰もやってないことをしている」感がほしくて、自己満足のために授業をしているんだろう?

生徒のためを思っていたら、自分の授業は本当に生徒に聞かせられるだけのものなのか少しでも考えていたら、生徒に先生の話は聞きましょうとは言えなくなるはずだ

 

先生は本当に自分が偉いと思い込んでいるのだろうか?

先生というだけで特別になったつもりか?

自分の存在がそんなに尊いものだと思っているのか?

尊敬できない人を尊いとは思えないよ

先生になったというだけで尊敬を強要するな

そんな横柄な態度をとっている人を尊敬なんてできるはずないだろう?

 

成績落とすぞと脅して、無理矢理自分の授業を聞かそうとしているが、本当にそれでいいのか?

自分の授業はそんなに聞く価値のあるものだと思っているのか?

自分のやっていることはすごいなどとどうして思い込めるんだ?

 

高校生なんて何も知らない子どもだ

知識を与えず、この世にどんな考え方をしている人がいるか教えもせず、ただ生徒にどんな意見を出せるか知ろうとしたって、何も出てこないよ

何もないところからは何もでない

生徒の知らないことを教えるのが先生の仕事なんじゃないのか?

 

生徒の成績が悪ければそれは生徒の努力不足だと言うが、自分の授業が全く関係ないとでも思っているのか?

自分の考え方が良くないのかもしれないと思ってもいいはずなのに

先生だって常に勉強し、正しいことを教えられるようにしておかなくてはならない

 

とは言っても、理想通りにはいかないものだ

実際は教育委員会が示すような授業をしていれば給料はもらえるのだから、そんなこと考えることもないだろう

先生は偉い、というわけではないと思うが、そうなのかもしれない

 

私ひとりが何を言おうとも学校のあり方は変わらない

先生はいつまでたっても「先生」なのだろう

私にはもう終わったことなのだ

だから先生のあり方が変わったところで、もう私には関係のないことだ

 

 さて、いつものです。

 OTの人に

「バスに乗る練習がしたい。両替がうまくできるようになりたい」

と言いました。OTの人は何か言っていましたが、忘れました。

 とにかくそんな感じで、近くの池までバスで行くことにしました。行きも帰りもお金のあるなしに関わらず、両替の練習がしたかったので、両替をしました。行きはどうやってやったか忘れましたが、帰りは信号待ちをしている時に両替をしました。この時はできたけど、この先また同じようにバスに乗らないといけなくなった時に同じことができるのかという不安は残りました。

 池に着いて、池の周りを散歩しようと思いました。周りが山みたいになっていて、その山の中を歩きました。途中周りが木ばっかりで誰も通らないところを歩いていた時、歌を歌っていました。大きな声で歌いました。それから山を下りました。またバスに乗って帰ってきました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、だいぶ減ってきたような気はしていましたが、今ブログを書いていたら、またちょっと左足の震えが復活しているような感じなのです。気のせいか、気のせいでないのか、どっちなんでしょう?まあこれ以上は悪くならないと信じたいです。明日また診察ですが、特に言うことがありません。でも先生は私が言ったちょっとしたことをカルテにメモしています。特に変わりないということが大事なんでしょうか?でも診察はあっという間に済みます。明日もそんな感じなんでしょう。