幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

分からないのだと認識できる勇気を。詩「最愛の君へ」。

 こんにちは。花子です。

 

 私の思い違いもあったのですが、ちょっとムカつくことがありました。それはある人の言動です。その人は私よりも年上で、まるで私よりも物事が分かっていて、私に教え諭しているというような態度なのです。その人だけじゃありません。この世には知っているのか知らないのかどっちかは分かりませんが、人を馬鹿にしている人が多いのです。そういう私も人を馬鹿にすることがないわけではありませんが。

 人のこと分かっているつもりになって発言しないでほしい、と思います。あなたは何も分かっていないのです。私のこと全然分かってないのです。私の言いたいことはそんなことじゃないのです。勘違いしていることに気づきもしないのですか?どうして私のことがあなたの理解の範囲内にあると思うのですか?この世の全てが自分の理解の範囲内に収まっているとでも思っているのですか?分からないなら分からないと言える勇気を持ちましょう。私は分かってもらえないより、分かってないのに分かっていると思い込まれることの方が嫌です。

 年齢や立場が上なだけで、人は私のことを低く見て、私を自分の理解の範囲内に収めてしまうという癖を正そうとしません。人は分からないという不安感から逃れたいと常々思っているのです。しかもそれが無意識なので、厄介です。それが自分の理解の範疇にないとはなかなか思うことがありません。でも自分は自分が思うよりずっと馬鹿です。どんなに勉強したって本当の賢さは得られるわけではないと思います。自分を、本当の自分を、分かってあげられるのは自分しかいないのに、欲にまみれたこの目は、自分を正しく写しません。自分は賢い、そんなことを思ってしまいます。

 私は現実を見ている、つもりですが、きっと実物よりこの頭の中の私は美化されているでしょう。できることなら自分を正しく写す鏡が欲しいです。最初は見るのが怖いと思います。だって頭の中の自分は、現実より美化されていると思い知らされる場面が、いっぱいあるからです。ふとガラスに映る自分を見た時、私は、ちょっと大袈裟ですけど、愕然とします。自分ってこんなんなのかとがっかりします。もっと可愛かったらなぁなんて思いますが、可愛くなっても自分はたいして変わらないと思います。これでいいはずなのに、そんなんじゃ納得できません。可愛く見られたい、そんな欲望は尽きることがありません。

 この目で見ているこの世界はどこか間違っているかもしれません。私の目は物事を正しく写さないかもしれません。それでもこの世界を正しく見られるように、どうすればいいかは分かりませんが、努力したいと思います。人が私を間違った目で見たとしても、自分だけは自分のことを正しい目で見たいと思います。分かることと分からないことをしっかり見極めて、分からないことは分からないと認識できる勇気を持って、生きていきたいです。

 

 今日は第一月曜なので、詩を書きたいと思います。

「最愛の君へ」

君のことが今でも恋しい

君はいつでも私の側にいたし、私のことを一番に想ってくれていた

何も言わずに私の言いなりにもなってくれた

踏みつけても、放り投げても、また私のもとに戻ってきてくれた

 

私はいつでも君のことを想っていた

私には君が必要だった

君は私を必要としてくれただろうか

何も言わない君の気持ちは分からなかったけど、私がいないと君はこの世に存在できなかった

私だけの存在

でも私はそんな君を捨ててしまったのだ

 

君のせいで私は病魔に犯されているのだと思い込んだ

私は君を捨てないと死ぬかもしれないと思ったのだ

君とはいつまでも一緒にいられるはずがないと思っていたけど、こんな終わり方になるなんて思いもしなかった

いつかは終わると思ってはいたのだが

私は生きるか死ぬかの選択で生きる方を選んだ

すなわち君を捨てるということだ

 

捨てられた君はもうこの世にはいない

私が消し去ったも同然なのだ

すまないと思う、君に対して

でも決して君は私を恨まないでいてくれると思う

だってその方が私のためになるのだから

いつでも君は私のためになることをしてくれていたし、君と離れることが私のためになると思ってくれただろうから

 

一番に愛していた

でも離れられてよかった

本当によかったんだよ

私は君と一緒に居続けたらいつまで経っても前に進めない

いつまでも一緒にいられるわけじゃなかったのだ

 

ありがとう、今まで一緒にいてくれて

もう会えないけれど、いつまでも私のことを想っていてほしい

今でも見えないところで私のことを見てくれていると思う

君のくれた温もりを私はいつまでも忘れない

いつまでも心の中では君と一緒にいるよ

最愛の君へ

 

 最近の幽霊さんはまたちょっとひどくなって、寒い時に全身をガクガクと震わされます。手足の震えもなくなりません。幽霊さんのガクガクがあまりにひどくて、この前の木曜日に泣いてしまいました。悔しいと思いました。幽霊ひとりいなくならせることぐらい簡単なはずなのに、どうして私にはできないんだろうと思って、悔しかったのです。全体的には良くなっているかもしれませんが、本当に良くなっているのでしょうか?良くなるように努力したいのに、どうすればいいか分かりません。誰も教えてくれません。薬さえ飲んでたら治るのでしょうか?他にできることはないのでしょうか?とりあえずはできるだけ無視して、穏やかに過ごせたらいいなと思います。

逆に、ひとりじゃなかったら。私の中にいる人の息がくさくて、K君とさようならゲーム。

 こんにちは。花子です。

 

 前回、もしひとりなら、と書きましたが、ひとりじゃないからこそ味わえる楽しみというものもあるなぁと思うことがありました。うちの向に一昨日テントが出ていて、シフォンケーキやシュークリームやコーヒーが売られていました。ひとりなら無視するところでしたが、母がコーヒーを飲みたいというので、買い物からの帰りに寄ることにしました。

 コーヒーは浅煎り、中煎り、深煎りとあって、母がお店の人に

「深煎りは濃いですか?」

と訊くと、お店の人は

「濃い中にも甘味がある感じですね」

と答えたので、2人とも深煎りにしました。

 コーヒーが入るまでの間、地下にカフェがあると聞いたので、見に行ってみると、なんだか店内音楽がうるさくて、ガヤガヤとしていたので、多分この先行かないだろうと思いました。普通の一軒家の下だったので、うちの真前だったのに、全然気づきませんでした。

 コーヒーができるまでの間、椅子を出してくれたので、座って待っていました。コーヒーは一杯400円でした。家に持って帰って飲もうと思っていたのですが、せっかく椅子を出してくれたので、そこで飲むことにしました。私は感想を言うのが苦手なので、うまいことは言えませんが、コーヒーはとてもおいしかったです。またあったら飲みたいです。

 もしひとりならもっと自由にできるはず、なんて思っていましたが、ひとりだと、昨日みたいにカフェでランチなんてできないだろうし、あんなに遠くまで散歩に行くことも、多分ないでしょう。日曜日は父と母と3人でカフェで週替わりランチを食べています。そして昨日は父と2、3時間散歩に行きました。私ひとりだとあまり行かないところまで連れて行ってくれました。新しい景色が見られるのは楽しいことです。

 もうブログに書くことがあまりありません。だからひとりで散歩に行って、ただ黙々と歩くだけ、ということがしたいです。足を動かしてたらいいだけなので、楽なのです。やりたいことも構想があるだけで、実行に移せていません。朝に起きられないので、時間がないのです。かと言って朝に目覚ましかけて起きようかともなりません。ずっと昔から寝たいだけ寝るのが夢だったからです。

 私にはずっと夢がありませんでしたが、こんな生活を送ることが夢だったんじゃないでしょうか。私はつらいだけの仕事をしなくても生きていけるのです。夢がない、ということは、仕事をしたくないということだったんじゃないでしょうか。私は今の生活に満足しています。いつまで続くか分からない今の生活を大事にしていきたいと思います。

 

 さて、いつものです。

 幽霊に性的快感を与えられて、息をハアハア出させられている時、私の口が少しにおいました。それは私の息ではなく、私の中に入っている人の息なのだと思い込んでいました。この時私の中に入っていると思っていたのが宮藤さんかK君です。あるいはその両方だったのかもしれません。その2人の息が臭いのだと思っていました。

 宮藤さんの息だと思っていた時は宮藤さんとつながり合えている証拠だと思って、その臭さを楽しんでいました。でもK君の時は、私がK君の息が臭いと思うと、幽霊が私の顔をイーッという感じで歪め、全身をガクガクと震わせてきました。だから臭いという言葉が頭の中に出てきても、本当は思ってない、どうしようと思っていました。

 頭の中がパニックになりました。どんなことを思っても、幽霊のいやがらせがなくならないのです。この時幽霊のいやがらせはK君のいやがらせでした。K君さえいなくなればいやがらせに苦しむことはなくなるのだと思っていました。

 だから頭の中で“さようならゲーム”をやっていました。何かしら思った後に必ずさようならにつなげるというゲームです。こんなことでいなくなると思っていたのでしょうか。とにかくK君にいなくなってもらうために、何かをせずにはいられなかったのです。

 そんなことをしていたら、トイレに入っている時、口が勝手に動いて、声は出さずに息だけ出すしゃべり方で

「怒ってるんだけど」

と言わされました。もちろん幽霊にです。でもこの時は宮藤さんだと思っていました。

 何を怒っているのか分かりませんでした。さようならゲームをしたり、K君の悪口を頭の中で言っていたら、鼻息がスススともれていたので、宮藤さんは私と同じ気持ちで笑っているのだと思っていたのです。だからあまり深くは考えませんでした。

 その後もさようならゲームは続いていました。YouTubeで音楽を聴きながら歌い、同時に絵を描いていました。この時にもさようならゲームをしていました。しかし幽霊のいやがらせがあまりにもひどいので、私の頭の中はそれどころじゃなくなって、さようならゲームはそこで終わってしまいました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは寒いので全身をガクガク震わせてきます。足の震えもちょっと復活しそうです。でも前よりは良くなっていると自分に言い聞かせて、なんとか日々を乗り切っています。もうすぐしたら幽霊さんはいなくなると思います。一生一緒ということはきっとないのです。自分だけの自分に早く戻りたいなぁ。

今もしひとりなら。K君やNさんのために歌を歌う。

 こんにちは。花子です。

 

 最近、今もし家族がいなくて、ひとりぼっちだったら、とか考えます。ひとりだったらもっと自由に生きられるような気がするのです。今はほぼ毎日、10時ごろ起きて、トーストを焼いて母と食べ、母とスーパーに買い物に行き、少し自由に過ごしてから夕食作りです。

 よく思うのは、もし何もかも私の自由にできるのなら、マクドナルドを食べたい、ということです。別にトーストじゃなくてマクドナルドにしようと思えばできるのですが、母にマクドナルドが食べたいと言う勇気が出ません。母が怖いとかそんなんじゃないのです。自分がただちょっと人に遠慮してしまうというだけです。

 それとかもしひとりなら、ケーキ屋さんに行って、好きなケーキを買うということができるような気がするのです。今は家族に遠慮があって、特別な日とかじゃないとケーキ屋さんには行けません。一人暮らしの人がケーキ屋さんでケーキを買って食べたと聞いた時には羨ましく思いました。

 またもしひとりなら、好きなところへ好きなだけ散歩に行けます。しかも自分の好きなペースで、好き放題寄り道をして、行けるのです。そして晩ご飯は適当な時間に食べたいものを作ればいいし、外食だってしてもいいのです。4時までに帰って、6時までに作らなければならないということはなくなるのです。

 思えば10年ほど前、まだちょっと遅い反抗期だった頃、よく散歩に行って、帰りにパンを買ったり、ドーナツを買ったりしたものです。そして夕方から散歩に行って、帰るのがちょっと遅くなったりしていても、誰も何も言いませんでした。晩ご飯は作ってくれたのを当たり前のように食べ、後片付けもせずに、自分の好きなことだけをしていればよかったのです。でも自由気ままなだけだったわけではありません。この時私は精神的にものすごくつらい時期で、それしかできなかったのです。

 たまに自分ひとりだったらなんて考えるのですが、本当はひとりにはなりたくありません。今の家族と一生一緒にいられたら、なんて思いますが、それは無理な話です。いつか私はひとりになるでしょう。そのときにはもう食欲も落ちていて、今のようにマクドナルドが食べたいとか、ケーキが食べたいとか、思わなくなっているだろうし、体力も落ちて、歩けるだけ歩き続けたいとか、思わなくなっているような気がします。

 今は家族の時間も大切にし、ひとりの時間も大切にして、今あるものに感謝して生きていければと思います。

 

 さて、いつものです。

 家でミドリの曲を聴いていました。K君とNさんが付き合っていると思っていたので、ミドリの「愛って悲しいね」を聴きながら、K君の代わりに私が歌って、K君からの愛をNさんに伝えているつもりになっていました。

 ミドリの「愛って悲しいね」じゃなかったかもしれません。andymoriの何かだったかもしれません。とにかく私がK君の代わりに歌うことで、K君がNさんのことを愛しているのだという気持ちをNさんに伝えているつもりになっていました。

 でも歌っているうちにだんだん私のやっていることはミドリの人達や小山田壮平さんに失礼なんじゃないかと思うようになりました。今から思えば、曲は作った人だけのものじゃなくて、歌われることによって作り手以外の人の気持ちを代弁してくれるようなものだと思うのですが、この時はそれが作った人の気持ちを軽くみていることになるのだと思いました。曲には作った人の思いが大きく詰まっているのだと思っていました。それをこんなことに使うなんて、作った人に失礼だと思ったのです。だからK君とNさんのために歌うのはやめました。

 この頃私は幽霊と性的快楽に浸っていたのですが、家には家族がいるので声を出すわけにはいかず、幽霊は私の腰を前後に動かしながら声の代わりに息をハアハアと出させていました。喉や口を幽霊に乗っ取られている感じでした。この時は幽霊とは知りませんでしたが。

 あまりに疲れて思わず「うーん」と唸ろうとした時も同じように息だけ出させて、声が出ないようにさせられていました。今となっては誰かは忘れましたが、誰かが私の喘ぎ声が家族には聞こえてはいけないと思って、私のためにやってくれていることだと思っていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは相変わらずです。でも乗っ取られ感や、机に向かっている時の左足の震えはなくなりました。こうやってひとつずついやがらせがなくなっていくのでしょうか。もうすぐしたらいやがらせが全くなくなって、私は自由になれるのでしょうか。このわずかな解放感がぬか喜びでないことを願います。

久しぶりのイベント参加。頭の中のみんなと夜の公園へ。

 こんにちは。花子です。

 

 一昨日近所の公園を散歩してたら、イベントをした気配がありました。疎らにテントが出ていて、片付けをしている人達がいたのです。母がその片付けている人に

「明日もやりますか?」

と訊きました。するとその人がやると言うので、何時からか訊くと、10時から3時と答えてくれました。だから昨日開始するちょっと前に行ってきました。

 なぜか私も母も珍しく朝に起きて、出発したのは9時ごろでした。会場に着くとまだ9時15分ごろでした。だからいつも母とストレッチをやっているところまで行って、ストレッチをしながら待っていました。ちなみに父と母と行ったのですが、父は何もせず待ってるだけでした。

 それそろかなという時間に行くと、カルタ取りのコーナーがあって、そこの人が詳しく説明してくれて、カルタの一覧が載っている冊子をくれました。高校生が絵を描いたそうです。

 そして和菓子とコーヒーが300円で食べられるところがあって、父と母と3人で食べました。コーヒーが意外に美味しくて、母は

「あれならお母さんもブラックにしたらよかった」

と言っていました。私はコーヒーはブラック派です。コーヒー牛乳は別ですが。

 それから無料で水上散歩ができるコーナーもありました。母はヨットやカヌーなど水の上を進むものが好きで、その水に浮かぶ円盤みたいなのに乗りたいと言いました。私はそれほど乗り気ではなかったのですが、せっかくなので母と2人で乗ろうかということになり、受付に行ったら、予約制で、それならやめとこうとなって、諦めました。けど諦めきれなくて、昼ごはんを食べた後、もう一度行ってみたら、受付終了になっていました。無料だったので人気があったようです。残念です。

 イベントがなかなか開催されない中、今日はこういうイベントに参加できてよかったです。世の中がこれからどんどん良くなって、また今まで以上にイベントごとなどが開催されるようになってほしいです。お祭りにも行きたかったです。来年はどうなることやら。

 

 さて、いつものです。

 家にいることが多く、外に出たとしてもコンビニぐらいだったのですが、久しぶりにコンビニ以外で外に出ました。夜でした。また家からちょっと離れた大きめの公園に行ったのです。なんで行こうかと思ったのかは分かりません。誰かに会えると思って行ったわけではありません。なんとなく行こうと思ったのだと思います。

 行く途中自動販売機で飲み物を買って、歩きながら飲みました。この時私の中には宮藤さんがいると思っていたと思います。前にペットボトルに口をつけたら気持ち良くなったことを思い出して、またならないかなと思っていました。宮藤さんとなら気持ち良くなれるような気がしたのだと思います。でも幽霊は何もしてきませんでした。前のように気持ち良くなれなかったのです。

 それからもう一つの隣接している公園に行きました。前に来た時のことを思い出しながら歩いていました。K君と行ったと思っていた時のことを思い出していたのです。

 手前の公園の隣の道を歩いていました。その公園はこの時間閉まっていたのです。そうしたら真っ暗だったので、地面に斜めに刺さっている太い線のようなものにぶつかりました。私は咄嗟に周りにいると思っていたみんなが私のことを心配しているかもしれないと思い、みんなに

「大丈夫?」

と頭の中で呼びかけていました。すると幽霊は笑っていました。私はそれを宮藤さんが笑っているのだと思いました。

 公園内を歩いていました。すると幽霊が私の目を使って、目の前の一点を見つめさせてきました。私はそれはの子さんが帰り道を誘導してくれているのだと思いました。やっぱり最後にはの子さんが助け舟を出してくれるのだと嬉しくなりました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはおとなしいこともあれば寒さに乗じて全身をガクガク振るわせるといういやがらせをしてきます。この前は一回だけ顔を笑顔にさせられました。気持ち悪かったです。幽霊さんの存在がどれほど煩わしく、気持ち悪いか、このブログを通して幽霊さんに訴えかけているのです。この思いが私の中の幽霊さんに届けばいいなと思います。

恋をしたい。宮藤さんと阿部さんとコンビニに行き、家では「ピトして」と頼んでいた。

 こんにちは。花子です。

 

 幽霊さんに取り憑かれて妄想ばかりしていた時、私は本当に神聖かまってちゃんの子さんが好きでした。でも本当のの子さんが好きだったわけではありません。私が見たの子さんの断片をつなぎ合わせて作ったの子さん像に私なりの色を塗って、それをの子さんだと思い込んでいたのです。だから私はの子さんが本当に好きだと思っていました。だって私の理想通りの人だと思い込んでいたのですから。でも本当はの子さんは私の理想とはかけ離れた人です。たぶん本当に会ってもそんなに好きにならないでしょう。

 私はただ誰かと恋をしてみたかっただけです。それはもしかすると幽霊さんでもよかったのかもしれません。だから幽霊さんが2回目に入ってきた時、あんなに楽しかったのだと思います。幽霊さんには私の体を性的に気持ち良くするということができました。それで私と幽霊さんは2人で性行為をしているつもりになって、楽しんでいました。このことはまたいずれ詳しく書こうと思います。

 私の周りにも恋をしている人はいます。羨ましいですが、私の場合向こうから好きになってくれないと、きっと恋には発展しないでしょう。私にも好きな人はいました。でもどの人もそこそこ好きなだけで、ちょっと話がしてみたかった、というくらいです。私は新しい家庭を持つことができないので、普通の恋愛はできません。父や母が亡くなってから、残りの人生を共に歩んでくれる人じゃないと付き合えません。

 高校の時に聞いた話ですが、「だんだん仲良くなってくる時が楽しい」らしいです。私はデイケアしか出会いの場がないので、そこにいい人が現れるといいのですが、私と同年代の人はあまり来ません。恋愛してみたいけど、今の生活を変えたくはありません。いずれ嫌でも変わっていくのですから、別に今じゃなくてもいいのです。ちょっとメールしたり電話したりするくらいでいいです。

 誰か性格のいい人で、私のことを猛烈に好きになってくれる人はいないでしょうか?一緒にドライブしたり、夜景を見に行ったり、ちょっと高級なレストランで食事をしたり、映画を観たり、焼肉や焼き鳥を食べに行ったり、カフェでパフェを食べたり、、、。私は恋をしたいというより、今書いたことをやってみたいだけで、今からやろうと思えばできることなのです(ドライブは無理ですが)。

 今の生活をあまり変えることなく、親しい人ができるといいな、と思います。

 

 さて、いつものです。

 兄が風邪をひいて、オロナミンCなどを買ってきてほしいと頼まれました。近くのコンビニまで行きました。栄養ドリンクを選び、他にも自分用のお菓子を買おうと思いました。

 この時私の両脇には宮藤さんと阿部さんがいるような気がしていました。2人の存在を感じながら、ほしい商品の前に立ち、それを見つめながら頭の中で

「これ」

と言いました。すると手が勝手に動いて、その商品をカゴの中に入れました。私はそれは宮藤さんか阿部さんがやっていることだと思いました。決してK君ではないと思っていました。この頃K君は私にいやがらせばかりする極悪人だったので、K君と気持ち良くなったりすることはないのだと思っていました。

 宮藤さんと阿部さんが近くにいて、K君は遠く離れたところにいるようなきがしていました。家に帰って、私は何事もないかのように兄に栄養ドリンクを渡しました。本当は幽霊のいやがらせがひどかったのですが。

 横になっている時、私の両脇には誰か人がいるような気がしていました。そのうち片方は宮藤さんでした。宮藤さんがいると思っていたところまで転がって行って、

「ピトして」

と頭の中で言いました。ピトするというのは、私の背中にぴったりとおなかをくっつけることを言います。それで気持ち良くなろうとしていたのです。たぶんちょっとは気持ち良くなったと思いますが、あんまり私の思う通りにはなりませんでした。

 なんでピトしてと言ったのかというと、それは前に布団の上で横に転がっていったら、気持ち良くなったことがあったからだと思います。ピトがうまくいかなくても、なんとなく宮藤さんと頭の中で会話しているつもりになって、楽しんでいたような気がします。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、寒いと全身をガクガク震わせてきます。デイケアでも震わされてたので、ちょっとつらかったです。今年の冬もきっとガクガクはあるでしょう。つらいですが、できるだけ無視できるように頑張りたいです。そうしていたらきっと幽霊さんもいなくなってくれるでしょう。幽霊さんとはあんなに楽しい時もあったのに、と思わないわけではありませんが、幽霊さんはいない方がいいのです。もうちょっとで良くなると信じたいです。

今日の詩が生まれた時のこと。詩「脳みそ」。

 こんにちは。花子です。

 

 今日はこれから書く詩のアイデアが生まれた時のことを書こうと思います。

 あの日は私は外にいました。そしていつものように歩いていました。あの頃私は高校を卒業して、大学に進学できずに、自分の調子を良くするために、近所を歩き回っていました。あの時自分がぐちゃぐちゃになっていて、それを治さなければ、先には進めないと思っていました。

 私は学校が嫌いで、ずっとずっと行くのが嫌でした。それでもなんとなく大学へは行くのだろうと思っていました。でも大学進学というものが間近に迫ってきて、私は大学へは行きたくないのだと、初めて知りました。もう学校には行きたくなかったのです。

 学校では特に体育が嫌で、父によく

「大学にも体育ってある?」

と訊いていました。大学にも体育があることを知って、嫌だなぁと思っていたことを覚えています。体育はできなくても頑張って取り組む子が良いとされていました。私は嫌なことでも頑張らないといけないと思い、私なりに必死に頑張っていました。でもそれももう限界に達していました。体育はもう二度とできません。

 高校卒業後私は何もしていませんでした。アルバイトもできなかったし、今のように晩ご飯作りができていたわけでもありません。ただ思いをノートに書いて、外を歩き回って、とにかく自分をなんとかしなければと思っていただけでした。

 道を歩いていたら、ふっとこの世は、この世界は、汚い脳みそで溢れかえっているという考えが浮かんできました。家に帰って、それをノートに書きました。この時はまだ今のように詩という形にできなくて、とりあえず書き残しておこうと思ったのでした。

 一回めの入院の時私の中の幽霊さんがいったん出て行ったので、自分の中が自分ひとりになりました。そこから退院までの間、特にすることもなく、詩のようなものを書き始めました。入院中は大して書けなかったのですが、退院後よく文章を書くようになりました。そしてこの脳みそのことを思い出して、詩という形にまとめ上げました。それからまた最近になってそれを書き直したのが今日書く詩です。

 

 今日は第一月曜なので詩を書きたいと思います。

「脳みそ」

色んな情報がこの世界には溢れていて、みんな知らず知らずのうちに汚染されている

この世界はみんなの溶け出した脳みそが入り混じっていて、もうわけが分からなくなっている

 

溶け出す脳みそ、入り混じる脳みそ

街を歩いていても家にこもっていても、みんなの溶け出した脳みそが私を襲ってくる

入り混じっていて、私は混乱する

私の脳みそも溶け出して、みんなの脳みその中に入っていく

そうやって自分の脳みそがみんなの脳みその中に入った時、そんな入り混じった脳みそがまた社会へと出ていくのだ

 

みんなの脳みそが入り混じったこの世界はなんて汚いんだろう

人の悪口や批判などが溢れかえっているじゃないか

人を傷つけることの何が楽しい?

だからこんな世の中で生きるのは嫌なんだ

 

でもそんな脳みそを意識しないで生きることも可能かもしれない

ネットもテレビもラジオも雑誌も見ずに、ただ毎日を過ごしていれば、何も知らずに生きていれば、汚い脳みそ世界と縁が切れるかもしれない

ただ自然とともに生きることができれば、どんなにいいだろうか

毎日同じことを繰り返して生きられれば、どんなに楽だろう

人の人生は所詮食べて出して寝ての繰り返しだ

何も考えることなくそれだけができていれば、それでも生きてるって言えるだろうか

 

今の時代、情報が溢れかえっている

みんなが自分の脳みそを流せる時代になった

でもみんなの頭の中身が見られるわけではない

断片的にだけ見て、それをつなぎ合わせて、みんなそれぞれに違った脳みそを持っている

それで自分の脳みそを垂れ流すのだから、この世は大混乱だ

 

でもそれでも成り立っているのはどういうことだろう

きっと汚い脳みその犠牲になった人達がたくさんいるのだ

引きこもりの人はきっとその犠牲者なのだ

外に出ても脳みそが襲ってくるし、家にいても汚い脳みそに浸っているばかり

 

どうしたらこんな汚い脳みその世界で生きられるんだ?

誰か私に教えてほしいものだ

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはだいぶおとなしいです。まだ幽霊さんのいない日というのはありませんが、減ってはきていると思います。幽霊さんのことはいつまで経っても分からないままでした。なんでいやがらせをしてくるかが分からないのです。いやがらせしたっていいことなんてひとつもないのですから。まあこのままフェイドアウトしてくれることを願うのみです。

時々私をやめたいと思う。阿部さんにキスしてほしかった。

 こんにちは。花子です。

 

 最近調子が良かったのに、またちょっとしんどくなってきました。このブログも今週はお休みにしようかと思ったのですが、やっぱり書いてみます。

 調子が良かった時は毎日ストレッチと体操をしていました。あとYouTubeで見たO脚を治すスクワットもやっていました。節約のためにお菓子もあまり買わなかったのですが、今はポテチが食べたくて食べたくて仕方ありません。

 もう何もかもやめてしまえばいいのでしょうか?息をするのも、食べるのも、内臓を動かすのも、もう全部やめたらいいのでしょうか?でもそうしたら何が残るのでしょうか?私の死体だけが残るのでしょうか?そんなことまだまだ先の話なのに。

 別に死にたいというわけではありません。ただ昔のように能天気に生きられないのがちょっとつらいだけです。私は生きたいのです。楽に生きたいのです。でもそれを邪魔するヤツがいます。それは実は私なのです。私がこんな私だから、つらくなったりするのです。私が私をやめられればどんなに楽でしょう。でもそうしたらこの世に私はひとりもいなくなります。ここにいるのは私じゃない誰か?だったら私はもうこの世にいないのでしょうか?

 でも実際には私はここにいます。息をしています。食べます。内臓は勝手に動いています。私は私として生きているのです。それは悪いことではありません。私は自分を嫌いなわけではないのですから。ただちょっと自分じゃない自分に時々憧れるというだけだです。

 あの人みたいになりたい、そう思う時私は自分を否定してしまっているのでしょうか?私の嫌なところを数え上げようとしても大してありません。もっと体力があって、頭も良くて、要領よく生きられたらとは思いますが、それぐらいです。いいところはいっぱいあります。自分で言うのもなんですが、優しいし、料理はできるし、人の気持ちを推し量ることはできるし、覚えるのが早い(と言われた)し、努力家(だと思いたい)し、まあ色々です。自分を否定することはないのです。

 できる時もあればできない時もある、それが人生なんじゃないでしょうか?私も無理せず自分のペースで生きていこうと思います。生きてたらなんとでもなります。自分にとっていい生き方がしたいです。

 

 さて、いつものです。

 ある時阿部さんに

「私と結婚したい?」

と頭の中で訊くと、首が縦に振れました。この時私は阿部さんとも空間を超えた性行為のようなものができていると思っていました。だから阿部さんが私を気持ち良くさせてきているのだと思い、それがさっきの答えなのだと思いました。阿部さんが結婚しているのを知ったのはまた後のことです。

 それからなんでできると思ったのかは分かりませんが、阿部さんに

「キスして」

と頭の中で言いました。性行為ができるならキスもできると思ったのでしょうか。とにかく必死に

「キスして」

と訴えていました。たぶんもっと気持ち良くなりたかったのだと思います。

 すると幽霊は横になって仰向けになっていた私の体をこわばらせ、細かく体を震わせてきました。私は上の遠くの方に阿部さんがいるように思って、そこから降りてきて私にキスしてほしいと思っていました。でも私の思いは届かず、幽霊のいやがらせもなくなって、諦めたのだと思います。

 幽霊が入ってくる前はよくヨガをしていました。幽霊が入ってきてからはそれどころじゃなくてやっていませんでしたが、この頃またちょっとやってみようと思い、やってみました。すると私の中に入っていた幽霊が笑うのです。私はこれをちばぎんさんあたりが入ってきて笑っているのだと思いました。私は真剣にやろうとしていたのに、笑わされるからできませんでした。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまたちょっとひどくなりました。寒かった時に全身をガクガク震わされるのです。これからの季節また頻繁にあるでしょう。まだそんなに寒くないのにあの震えだったら、本当に寒くなったらどうなるのでしょう。怖いです。でもできる限り無視しようと思います。それぐらいしか私にできることはないのですから。