幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

働くことについて。私には朗読者としての才能があるという思い込み。

 こんにちは。花子です。

 

 この前少し兄と話をしました。私は働かなくていいそうです。仕事から帰ってきた兄に言われました。私はその時郵便局の年末年始のアルバイトのハガキを見て、「精神障害者でも雇ってもらえますか?」と電話で訊こうかと考えていました。でもやらなくてよかったようです。「稼ぐのは他の人に任せたらいい。って言ってもお兄ちゃんしかいないけど」と兄は言っていました。働くことと家事は両立できないそうです。できる人もいるけど、少なくとも私はできないと思われています。私もそれでいいような気がしてきました。

 私だってずっと前から働くことを全くしたことがないわけではありません。1日だけパン工場で働いたことがあります。でも1日と書きましたが、本当は半日で限界が来ていました。でも泣きながら1日やりきりました。眼鏡とマスクで泣いていてもバレませんでした。蒸しパンの中には私の涙と鼻水がついたものがあったかもしれません。ちょっと申し訳ないです。

 昔から自分が働くことなんて想像したことがありませんでした。新しい家庭を築くこともいまいち想像できませんでした。でも私も普通にそういう道を歩むのだと漠然と思っていました。将来の夢なんてありませんでした。ただ毎日嫌なことでも頑張って取り組まなければと思っていただけでした。目の前のことに必死で、先のことなんて考えられなかったのです。でも最近になって将来のことも考えられるようになってきました。きっと私は働くことがほとんどないまま一生を終えるのでしょう。働くとしてもB型事業所止まりです。しかも週一で。お金を稼ぐというより、人間関係を広げていくという感じで働きたいと思っているのです。

 とにかく私は家族4人の夕食作りと後片付けさえできたらいいようです。稼がなくても生きられるのなら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。父曰く「必要なお金は入ってくるようにできている」らしいです。私のこの先もきっと生きていけるだけのお金はもらえるようになっているのでしょう。私の未来は暗くありません。目に見えないほど輝いています。私は死ぬまで生きられるのです(当たり前)。

 

 さて、いつものです。

 宮藤さんと阿部さんが入ってきたと思い込んでから、私は絵本を読もうとしました。「じごくのそうべえ」です。私が読んでいるのを2人に聞いてもらって、役者として通用するような読み方ができているか判断してもらおうと思いました。判断というより私は朗読者としてすばらしい朗読ができていると思われたかったのです。私には才能があると思っていたので、その才能を見せつけたかったのでした。

 読もうとしましたが、なんだかうまくいかずに、あまり読まないうちにやめてしまいました。家にひとりだったとはいえ、ひとりで声を出すことに抵抗があったのです。でも私は気落ちしませんでした。本気を出したらできるのだ、今はまだ本気を出していないだけだと思っていました。

 の子さんが入ってきたと思った時から、体が性的に気持ち良くなる時は、ほとんど幽霊が私の腰を振っていました。なぜそんなことをしていたのか分かりませんが、幽霊は私と性行為をしていたつもりなのでしょう。これぐらいの時も幽霊は横になっていた私の腰をおもいっきり振っていました。

 よくとっていた体勢というのは、うつぶせになって、右足を折り曲げ、左足をまっすぐ伸ばした状態で、腰を前後に振るというものでした。布団の上に阿部さんや大介さんなどがいる想定で、顔がこのあたり、体がこのあたりという風に想像して、口づけをしたり性行為をしているつもりになっていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまたも相変わらずで、特に変わったことはありません。手足が震えたり、口や目を開けさせられたりするくらいで、ひどくはなっていません。きっとこれからもひどくなることはないのでしょう。昨年より良くはなっています。幽霊さん関係なく、私自身の調子も良くなっています。毎日がいい感じで過ごせています。もうちょっとで本当に楽になれるんじゃないでしょうか。その日を楽しみにしています。 

I君について。宮藤官九郎さんと阿部サダヲさんが入ってきた(妄想)。

 こんにちは。花子です。

 

 最近よくI君の夢を見ます。I君は高校の同級生で、学科が同じで、2年の時に同じクラスになりました。クラスで一番目立っていて、結構人気もあったと思います。私は女子の中でも一番おとなしくて、男の子とはほとんど話したことがありませんでした。おとなしい子がちょっとやんちゃな子に憧れることはよくあると思います。私もそんな感じでした。それでも全く関わりがなかったわけではありません。

 化学の時、私の席がI君の後ろになったことがありました。初めの日、I君が壁にある電気のスイッチをいじっていました。でも電気はつかなかったし、消えもしませんでした。I君はひとりで「どうなってんの?」というようなことを言っていました。そこで私がI君に愛想笑いをしてみました。するとI君は私に笑いかけてくれました。私とI君はちょっと仲良くなれた気がしました。

 でも私達の関係は全く進展することなく終わりました。ある時、I君の周りの男子がちょっとうるさく喋っていました。I君は私の方を振り返って、「(こいつら)うるさい」と笑って言いました。私はそこで同じように笑って、「そうだね」と言えればよかったのに、できませんでした。私はその時自分に似合わないと思っていた眼鏡をかけていて、その顔を見られるのが恥ずかしかったのです。だから真顔で無視してしまいました。

 もうこの時のことを思い出すたび、どうしてあんな対応しかできなかったのかと、悔やまれてなりません。でも私の高校時代はあんなものだったのです。諦める以外に方法はありません。もう終わったことなのです。

 I君の夢は特別変わったものではありません。ただちょっと仲良くなれそうになるだけです。I君が私に好意を持ってくれているようなのですが、実際のところ分からない、という感じです。

 そこまでI君のことが好きだったわけではありません。好きだったとしても恋愛には発展しなかったでしょう。私には家庭を持つことは不可能だからです。I君はたぶんもう結婚していて、子供も作って、幸せな家庭を築いているでしょう。私にはできないことです。それに高校時代憧れていた人はI君だけじゃないのです。なんで今更I君の夢をよく見るのでしょう?夢って不思議なものですね。

 

 さて、いつものです。

 その後も家で動画ばかり見ていました。この時もなぜかは分かりませんが、なんとなく宮藤官九郎さんが入ってきたような気がしました。かつて宮藤さんの「俺だって子供だ」を読んだことを思い出したのだと思います。思い出しただけでなぜそれが入ってくることにつながったのか、自分でも分かりません。でもこれぐらいしか理由が見つからないのです。

 阿部サダヲさんも近くに来たと思いました。なぜかは分かりません。宮藤さんからグループ魂を知って、そのボーカルである阿部さんのことを知ったからでしょうか。とにかくこの2人が私の周りにやって来たと思い込みました。

 一度思い込んだら本当にそれが事実なのかなんて考えずに、どんどん思考が進み、思い込みが増えていきました。私の周りに色んな人がいると思ったのも、この思い込みのひとつです。

 2人がやって来たと思ってから、阿部さんのコイケヤのCMを見たり、グループ魂のライブ映像を見たりしていました。

 グループ魂のひとりにちょっと奇妙な行動をとっている人がいました。また私の中で、ある映像の中で映っている人とは別の人が、私にだけ分かるように映っている人と同じ行動を見えないところでとっているのだという思い込みが出てきました。神聖かまってちゃんのスタジオ配信を録画で見たのですが、その中でグループ魂のその奇妙な人がの子さんの動きをしているように見えました。の子さんのちょっと奇妙な動きをその人は忠実に再現できているように思いました。

 この配信動画の中のちばぎんさんを宮藤さんが演じているように思っていました。もちろん私にしか分からない形で、見えないところで同じ動きをしているという意味です。ずっとちばぎんさんばかり見ていました。すると宮藤さんが

「なんで俺ばっかり見てるんだ?」

と言っているような気がしました。この時の記憶はこれで終わっています。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは良くもなく悪くもなく、と言った感じでしょうか。この前診察でもそう言いました。震えがない日はありません。でもそれも1日のうちで何回かあるという感じなのです。机に向かっている間ずっと左足が震えている、ということがなくなりました。ただこの前ちょっと寒かった時、また全身をガクガク震わされる、というのがありました。この冬もガクガクからは逃れられないかもしれません。覚悟します。

森見登美彦さんの「有頂天家族 二代目の帰朝」を読んだ。詩「生きてるだけでいいんだよ」。

 こんにちは。花子です。

 

 最近本をよく読んでいます。この前は森見登美彦さんの「有頂天家族 二代目の帰朝」を読みました。「有頂天家族」シリーズ第二作目です。「有頂天家族」は京都を舞台にしていて、狸や天狗がはちゃめちゃなことをするというお話です。

 天狗同士が戦ったり、狸が虎や電車に化けたりして、現実にそれが起こったら絶対問題になるだろうという感じなのですが、小説なのでお構いなしです。この小説を読んでいたら、本当に狸や天狗が人間に紛れて生きているのかもと思わされます。

 このお話の面白いところは、実際の京都の街にありえない世界が広がっている、というところです。五山の送り火の日に狸達の出す空飛ぶ船がぷかぷか浮いているし、街中で人間に化けた狸達が戦ったりしているし、一両編成の電車を三台積み重ねた建物みたいなのが庭に置かれていたりします。自動人力車のようなものが走ったりもするし、このお話の京都の人達にとっては、それが普通のことなのでしょうか。

 このお話の中で疑問に思うのは、主人公の矢三郎の父親の総一郎が本当に鍋にされてしまったのか、ということです。本当に鍋にされたはずなのに、未だにそれが信じられません。いつの日かひょっこり顔を出しそうな気がするのです。金曜倶楽部の人達は狸なんか食べて美味しいのでしょうかねぇ。

 今まで許嫁の海星は矢三郎に姿を見せようとしませんでした。それは化けの皮が厚いと言われている矢三郎が海星の姿を見ると化けの皮が剥がれてしまうからです。それを知った時私はショックでした。許嫁なのに狸の姿でしか会えないのです。二匹が結婚すればどんな生活になるのでしょうか?

 このお話はもっと面白いのですが、それがうまく伝えられなくて残念です。第三部もあるらしいので、それがすごく楽しみです。

 

 さて、今日は詩を書きたいと思います。

「生きてるだけでいいんだよ」

生きてるだけでいいんだよ

他に何もできなくってもいいんだよ

私にとってあなたはなくてはならない存在

だからどうか少しでも側に

 

会社でバリバリ働けなくてもいいし

アルバイトだってできなくていい

皿洗いもできなくていい

料理も洗濯もできなくていい

何もできなくていいんだ

 

側にいてくれたらいい

どうか私のそばにいてその笑顔を絶やさずにいてほしい

名前を呼ばせてくれたらそれでいい

あなたのことを呼びたくなる時があるんだ

 

あなたの名前を呼んで泣きたくなった時があった

そんな時はどうにかしてあげようなんて考えずに、ただ呼ばせてくれたらよかったんだよ

そしてあなたはいつもそうしてくれた

そうしたら涙が自然に流れて、少しはすっきりするからさ

泣かせてくれるだけでよかったんだから

それはあなたにしかできないこと

だからどうか側で笑っていてほしい

 

あなたの笑顔が好きなんだ

あなたを喜ばせられることなら何だってしたい

私の顔を見たとたんあなたは笑顔になる

そんなあなたのことが大好き

 

だから生きてるだけでいいんだよ

他に何もできなくってもいいんだよ

私のために側にいて

私のために笑ってほしい

そしてずっとずっと一緒にいようよ

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまだいなくなる日がありません。せめて1日だけでもいなくなってくれる日が来てほしいものですが。今ある症状は手足の震えです。これは薬の副作用と思われるかもしれませんが、私は違うと思っています。やっぱり幽霊さんなのです。早く幽霊さんがいなくなる日が来てほしいです。待ち遠しいなぁ。

何もかもがうまくいかない気がする。よく低血糖になった(気がした)。

 こんにちは。花子です。

 

 最近何もかもがうまくいかないような気がすることがよくあります。小さなことでくよくよ悩んでしまいます。別に特別何か大きな失敗をしたわけではありません。でも何だかうまくいかない気がするのです。

 ちょっと前までかなり調子が良かったのに、また最近落ち込んでしまっています。幽霊さんがいなくなったとしても、やっぱり私は精神病患者なのでしょうか?しんどくなることがなくなりません。

 私の母方の祖母は元気な人で、「鬱の人って本当にしんどくなるんだってねぇ」と不思議そうに言っていました。私も一生病気のことなんて知らずに、元気に毎日を過ごしていたかったです。でももう無理です。病気があることを知ってしまいました。忘れていることもできません。

 ただ生きてるだけで幸せだと思えたらいいんでしょうけど、そんなことできる人っているのでしょうか?みんな何かしら悩んでいますよね。でも私は生きてるだけで幸せだと思えるような生き方をしたいです。

 気分が悪くなることもありますが、よくなることがないわけでもありません。ふと「何だか気分がいいなぁ」と思うこともあります。それが一生続けばいいのに、そう言うわけにも行きません。また「つらいなぁ」と思う時が来るのです。つらいことがあるからこそ小さな気分の良さを感じられるのかもしれません。

 毎日やるべきことはほとんどできています。それでも「私の人生こんなんなのか」と思わずにはいられません。自分にとって楽しいことって何だろうと思ったことがありました。それが特にないのです。文章を書いたり、本を読むことは好きですが、時につらくなります。でも夢を諦めないために、そういうことをやっていかなければなりません。人生頑張るってこういうことかな?

 

 さて、いつものです。

 ある日食事中に幽霊が私の体をガクガク震わせてきました。それがあまりにもひどいので、それをやっていると思っていたK君に頭の中で

「死ね」

と何度も言いました。それでもいやがらせはなくならなくて、耐えられなくなって、自分の部屋に食べ物を持って行き、そこで食べることにしました。すると幽霊はいやがらせをやめ、私の体を気持ち良くさせてきました。私はそれを私の中に入っている人がK君から壮平さんに代わったからだと思いました。やっぱり壮平さんは良い人だと思いました。

 この頃よく低血糖だと思われる症状が出ていました。疲れて横になっていたら気を失いそうになったのです。ただ眠りに入るだけの時とは明らかに違っていました。だから急いで起きて、テーブルにあったレトルトのおかゆとカレーをレンジで温めて食べました。

 食べていると口の中がなんだか変になりました。拒絶しているような感じなのです。私はそれはK君がそのカレーを見て、吐瀉物か排泄物に見えるから食べるのを拒否しているのだと思いました。食べ終わる頃には低血糖の感じもなくなっていました。

 また違う日も横になって休んでいました。するとすーっと意識が遠のく感じがあって、幽霊が私の股間を強く擦りました。私はそこではっと飛び起き、急いで手元にあったお菓子かなんかを食べました。股間を擦ったのはちばぎんさんだと思っていました。ちばぎんさんが助けてくれたのだと思ったのです。

 それからも低血糖になりかけた時はお菓子ばかり食べていました。甘いものばかり食べていると低血糖になりやすいと知ったのは入院中のことでした。雑誌に低血糖症のことが書かれていたのです。この時は低血糖症のことは知りませんでした。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはいつも通りちょこちょこ出てきます。気持ち悪いとは思うのですが、どうにもできません。もういなくなることは願わずに、一生居続ける覚悟を持たないといけないのかもしれません。なんて思ってたら逆に出ていってくれるかもしれないなんて、淡い夢を抱いているのですが。まあ今ぐらいのいやがらせなら耐えられないこともないので。でも本当はいなくなってほしいなぁ。

早起きができるようになって、おうちモーニング。ある商業施設でK君達と会話を(妄想)。

 こんにちは。花子です。

 

 最近ちょっと元気になってきました。朝6時頃起きて、昼寝もせず、夜は9時頃寝ています。だらだらと長く寝ていた時の方が体がだるく、しんどかったし、いくら寝ても寝足りない感じがありました。

 朝起きられるようになったのはいいのですが、何もする気が起きず、YouTubeを見たり、ぼーっとしたり、散歩に行ったりしていました。もう何もかも辞めたくなりました。もう何にもしたくなかったのです。でもまた少しずつですが、文章を書いたりすることができるようになってきました。

 でももう何もかもやめて、何もしないでいてもいいんじゃないかとも思います。そうすると逆に何をしてたらいいかが分かりません。何もしないってどうすればいいの?と思いましたが、何もしないでいられるってすごく心にゆとりがないとできないことなんじゃないでしょうか。何もしないでいたら、何かが少し回復して、また少し何かができるようになっています。

 私は夢のために書くことを諦めないでいようと思います。私の夢は文章を書いてお金をもらうことです。でもこのブログもあまり誰も見ていません。夢は程遠いです。まああまり期待せずにやっていこうと思います。

 最近節約のためにモーニングを家で食べることにしました。今までは400円ほど出して、喫茶店のモーニングに行っていたのですが、ちょっと毎日は贅沢すぎるということで、家でモーニングを作っています。

 何を作っているかと言うと、オープンサンドを作っています。4枚切りの食パンを焼いて、上に具を乗せるのです。レパートリーは4つです。たまご、チーズと生ハム、ポテトサラダ、ピーナツバターとチョコバナナを今までに作りました。焼けたパンを半分に切って、2種類楽しんでいます。まだ2日しか作ってませんが、これからできるだけ続けていこうと思います。レパートリーも増やしたいです。ただし安上がりで。

 

 さて、いつものです。

 トイレの後、ある商業施設に行きました。K君とNさんが付き合っていると思っていたので、服売り場を見て、

「この服Nさんに似合いそう。K君、プレゼントしたら?」

と頭の中で言っていました。薄いピンク色のうさぎの耳のついたフワフワのつなぎがあって、これはすごくNさんに似合うなと思っていました。

 でも急になぜかK君のためになるようなことはしたくないという気になってきました。だからもう服や雑貨を見るのはやめにしました。上の階の本屋に行くことにしました。

 もう壮平さんに来てもらうことはほとんど諦めていましたが、まだ希望が捨てきれず、頭の中で

「今あのビルの本屋にいます。来てください」

と呼びかけていました。

 ここでも漫画の試し読みを見たりしていました。ぐるっと一周見て、頭の中でみんなと会話していたと思います。

 ここでひとつの絵本を見つけました。それはショーン・タンの「遠い町から来た話」です。ひと目見て気に入りました。だから買いました。後にこの本を読んでいたのですが、読んでいたら幽霊が私の顔を歪ませたり、何らかのいやがらせをしてきました。私はそれをK君がこの絵本を不気味に思い、怖がっているからだと思っていました。

 本を買った後、本屋の一角にあった文房具売り場を見ていました。するとどこからか目に見えない存在のの子さんがやって来たと思いました。の子さんが私を連れて帰ってくれると思ったのです。やっぱり最後にはの子さんが出てくるのだと嬉しくなりました。だから来てくれたと思ったの子さんに従って帰りました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはだいぶ少なくなりました。ただやっぱり手足の震えはあるので、それがちょっとつらいです。1日でもいいから、今日は幽霊さんが出なかったなぁと思える日が来てほしいです。

 

「いいこと」について、私も書いてみた。トイレで気張ってたら、肛門を閉じられた。

 こんにちは。花子です。

 

 最近ある小冊子に「いいこと」について書いてありました。私もそれについて書いてみたくなったので、書いてみようと思います。

 私の周りはいいことだらけのような気がする。まず生まれた環境がいい。家族にかわいがられて育った。そして外見も内面も、自分で言うのもなんだが、いい方だと思う。私は自分が嫌いじゃない。私は恵まれていると常々感じる。

 病気にはなってしまったが、そのおかげで年金がもらえるようになった。私の年金がなければ、うちの家族は生きていけない。年金のおかげで働かなくても生きてられる。一生働かずに生きたいわけではない。ただ私には労働能力があるかどうか分からないのだ。私は働かずにただ生きてるだけで精一杯かもしれない。でも私の病気がもう少し良くなれば、働くことができるかもしれない。この時代にこうやって生まれてきたのだから、人は働かなければならないと思う。ただ遊び暮らしているだけではいけないのだ。人間関係の幅も広げたい。私だって人並みに恋愛とかしてみたい。いつかどこかでいい人と巡り会えたらいいのだが。

 働かなくても社会参加ができるようになった。困ったときは主治医の先生やデイケアのスタッフが支えてくれる。相談すればきっと力になってくれる。働かなくても生きていけるし、社会とのつながりもできた。

 私は運がいい方だと思う。時に私って運が向いてないと思うこともあるが、それは運が悪かったのではなく、現実に起こった今の方が良かったということなんだと思う。あの時どうしてああじゃなかったのか、そんなこと考えてもいいことなんてない。あの時ああだったからこそ、今まで生きてこれたのだ。

 今やこれから先の未来、悪くなることはないだろう。何の根拠もないが、そんな気がする。私は運がいい方だし、恵まれているし、毎日が楽しい。そんな人生を生きていきたい。私の人生いいこと尽くめだ。

 

 さて、いつものです。

 喫茶店でパフェを食べ終わって駅の名店街を歩いていました。この時私は神聖かまってちゃんの配信動画を見ている時に、「みさこさんの生足」とか思っていました。決していやらしい目で見ていたわけではありませんが、この言葉を聞いた私の周りにいると思っていたみんなに私はレズなんじゃないかと思われるのではと恐れていました。変態だと思われたくありませんでした。だから歩いている間中目のやり場に困りました。足を出している女の人の足は極力見ないようにしていました。頭の中で周りにいると思っていたみんなに「見てないよ」と必死に言い訳をしているつもりになっていました。それでも足を出している人はいたので、どうしようと思って、ちょっとパニックになりました。

 急に便意を催し、トイレに行きました。トイレで気張って、出そうだという時に肛門を閉められました。もちろん幽霊にです。でもこの時はみさこさんがこんな公共の場でそんなはしたないことはしてはいけないと思っているから、肛門が閉まったのかなと思っていました。

 結局この時はひとちぎりも出せずにトイレを後にしました。実はこの後何度も幽霊に肛門を閉められます。

 なぜこんなことが起きたか、それはこんな感じだと思います。大便を気張っている時、ちょっと出にくくて、ひと休みした時に自分で少し肛門を閉じました。すると私の中に入っていると思っていたK君が

「どうしてこんなこと(肛門を閉じること)をするの?」

と訊きたくてやっているのだと思っていました。でも私は出すことしか考えられなくて、閉じられると余計に出すことにしか頭がいかなくて、説明なんてできませんでした。無邪気な子供のようにただ疑問を私にぶつけているのだと思っていました。でもあまりにも何度もやるので、それが悪質ないやがらせにしか思えなくなりました。悪質ないやがらせだと思うと、余計にK君は意地になってやるのだと思っていました。頭の中で必死にお願いをしていました。どうかうんこの邪魔だけはしないでくださいと。

 後にこのことを兄に話すと、お腹のゆるい方である兄は

「その人(肛門を閉める人)がほしいぐらいだ」

と言っていました。

 今日はここまでです。

 

最近の幽霊さんは相変わらず手足を震わせてきます。でも前よりは減ってるんじゃないでしょうか。このままフェイドアウトしてくれたらと願っているのは私だけではありません。ただ時々震えがひどい時があります。そういう時も気にしないようにしてやり過ごすようにしています。いつか本当になくなってくれることを願って、、、。

博物館に行った。詩「生きてる価値」。

 こんにちは。花子です。

 

 今うちのマンションで大規模修繕をやっています。足場組みが土曜日あたりうちのベランダに来そうだったので、母と父の仕事場に避難することにしました。結局予定通りに進まなかったのか、うちのベランダまでは来なかったのですが。

 土曜日は6時ごろ起きて、ひとりで朝散歩に行き、それから母と出かけました。まず珈琲店でモーニング(バタートーストと黒糖ミルクコーヒー)を食べ、父の仕事場へと向かいました。途中スーパーでお茶を買い、父の仕事場で一息つきました。それから近くの博物館に行きました。母は公園にでも散歩に行くかと言っていましたが、暑いので、涼める博物館がいいと思ったのでした。しかも障害者手帳を持っていたら、博物館は同伴者1名までタダなのです。だから私と母はタダで展示を見て回ることができました。

 展示は江戸時代の書や絵を書く人の作品や明治時代に活躍した画家の作品など様々でした。江戸時代の人は3歳からもうすでに書を書いていたらしく、神童と呼ばれていたようです。その時の作品も展示してありました。でも全体的に見て、正直上手いのかどうか分からないというのが本音でした。もう一つの展示は絵が上手くて圧倒されました。旅をするのが好きだったらしく、絵葉書もいっぱいあって、とても楽しかったです。

 途中展示室の外の休憩室で休みました。もうここでは大きな声で喋ってもいいと思い、母とベラベラ喋っていたら、職員さんに、外まで声が聞こえているから、もう少し小さな声で、と言われてしまいました。博物館ではどこであっても大きな声で喋ってはいけないと学びました。

 それからパン屋でパンを買い、父の仕事場で食べて、ゆっくりしていました。母とアルバムを見たりして過ごしていました。兄も来ていたので、晩ご飯は家族4人で定食屋で食べました。

 とても楽しい1日でした。

 

 さて、今日は詩を書きます。

「生きてる価値」

生きてる価値ってどうやって決まるのだろう

他人が決めるものなのかもしれないし、もとからあるものなのかもしれない

 

でも他人が決められるものだとして、「お前なんかいらない」と言われたら、生きてる価値はなくなってしまうのだろうか?

いやそんなことはない

たとえそう言われたとしても自分は存在している

決して消え去らない

それだったら生きてる価値は他人には決められないんじゃないだろうか

 

でももとからあって、自分自身が決められるものだとしたらどうだろう?

果たして自分ひとりだけで自分の価値を感じられるだろうか?

やっぱり人が必要としている時、人の役に立っている時などに、自分は存在価値があるのだと感じられるんじゃないだろうか

 

でも何もしていなくたって、役に立っていなくたって、大切な人には存在していてほしいものだ

大切だというだけで存在価値はあると言えるだろう

孤独な人は自分の存在価値が分からないかもしれない

 

誰にでも存在価値はあると言いたいところだが、現実問題そうだと言えるだろうか?

街を歩いていて通り過ぎていく見知らぬ人は自分にとって存在価値のある人と言えるだろうか?

いや正直なところないと言ってもいい

だって今もこの世界のいたるところで命がなくなっているんだろう?

その人達の存在価値を感じたことがあるのか?

いや誰の存在も感じたことがない

 

やっぱり自分の価値は大切な人がいるかいないかで決まるのかもしれない

家にも職場にもそれ以外のところにも大切な人がいて、その人達が必要としてくれていたら、自分は存在していいんだと思える気がする

自分の存在価値は誰かがいて、そこから自分が作り出していくものなんだと思う

 

でも誰もいなくなっても、自分ひとりだけになっても、自分はこの世に存在していいんだと思いたい

生きてる価値があるかないかなんて考えなくてもいいような生き方をしたい

だってこの世が私を必要としていなくても、私がこの世を必要としているんだもの

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは相変わらずです。手足を震わせてくるぐらいです。もうすぐいなくなってほしいです。早く楽になりたいです。