幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

今もしひとりなら。K君やNさんのために歌を歌う。

 こんにちは。花子です。

 

 最近、今もし家族がいなくて、ひとりぼっちだったら、とか考えます。ひとりだったらもっと自由に生きられるような気がするのです。今はほぼ毎日、10時ごろ起きて、トーストを焼いて母と食べ、母とスーパーに買い物に行き、少し自由に過ごしてから夕食作りです。

 よく思うのは、もし何もかも私の自由にできるのなら、マクドナルドを食べたい、ということです。別にトーストじゃなくてマクドナルドにしようと思えばできるのですが、母にマクドナルドが食べたいと言う勇気が出ません。母が怖いとかそんなんじゃないのです。自分がただちょっと人に遠慮してしまうというだけです。

 それとかもしひとりなら、ケーキ屋さんに行って、好きなケーキを買うということができるような気がするのです。今は家族に遠慮があって、特別な日とかじゃないとケーキ屋さんには行けません。一人暮らしの人がケーキ屋さんでケーキを買って食べたと聞いた時には羨ましく思いました。

 またもしひとりなら、好きなところへ好きなだけ散歩に行けます。しかも自分の好きなペースで、好き放題寄り道をして、行けるのです。そして晩ご飯は適当な時間に食べたいものを作ればいいし、外食だってしてもいいのです。4時までに帰って、6時までに作らなければならないということはなくなるのです。

 思えば10年ほど前、まだちょっと遅い反抗期だった頃、よく散歩に行って、帰りにパンを買ったり、ドーナツを買ったりしたものです。そして夕方から散歩に行って、帰るのがちょっと遅くなったりしていても、誰も何も言いませんでした。晩ご飯は作ってくれたのを当たり前のように食べ、後片付けもせずに、自分の好きなことだけをしていればよかったのです。でも自由気ままなだけだったわけではありません。この時私は精神的にものすごくつらい時期で、それしかできなかったのです。

 たまに自分ひとりだったらなんて考えるのですが、本当はひとりにはなりたくありません。今の家族と一生一緒にいられたら、なんて思いますが、それは無理な話です。いつか私はひとりになるでしょう。そのときにはもう食欲も落ちていて、今のようにマクドナルドが食べたいとか、ケーキが食べたいとか、思わなくなっているだろうし、体力も落ちて、歩けるだけ歩き続けたいとか、思わなくなっているような気がします。

 今は家族の時間も大切にし、ひとりの時間も大切にして、今あるものに感謝して生きていければと思います。

 

 さて、いつものです。

 家でミドリの曲を聴いていました。K君とNさんが付き合っていると思っていたので、ミドリの「愛って悲しいね」を聴きながら、K君の代わりに私が歌って、K君からの愛をNさんに伝えているつもりになっていました。

 ミドリの「愛って悲しいね」じゃなかったかもしれません。andymoriの何かだったかもしれません。とにかく私がK君の代わりに歌うことで、K君がNさんのことを愛しているのだという気持ちをNさんに伝えているつもりになっていました。

 でも歌っているうちにだんだん私のやっていることはミドリの人達や小山田壮平さんに失礼なんじゃないかと思うようになりました。今から思えば、曲は作った人だけのものじゃなくて、歌われることによって作り手以外の人の気持ちを代弁してくれるようなものだと思うのですが、この時はそれが作った人の気持ちを軽くみていることになるのだと思いました。曲には作った人の思いが大きく詰まっているのだと思っていました。それをこんなことに使うなんて、作った人に失礼だと思ったのです。だからK君とNさんのために歌うのはやめました。

 この頃私は幽霊と性的快楽に浸っていたのですが、家には家族がいるので声を出すわけにはいかず、幽霊は私の腰を前後に動かしながら声の代わりに息をハアハアと出させていました。喉や口を幽霊に乗っ取られている感じでした。この時は幽霊とは知りませんでしたが。

 あまりに疲れて思わず「うーん」と唸ろうとした時も同じように息だけ出させて、声が出ないようにさせられていました。今となっては誰かは忘れましたが、誰かが私の喘ぎ声が家族には聞こえてはいけないと思って、私のためにやってくれていることだと思っていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは相変わらずです。でも乗っ取られ感や、机に向かっている時の左足の震えはなくなりました。こうやってひとつずついやがらせがなくなっていくのでしょうか。もうすぐしたらいやがらせが全くなくなって、私は自由になれるのでしょうか。このわずかな解放感がぬか喜びでないことを願います。