幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

過去のノートを見ながら、振り返る。詩「甘え」。よく面倒を見てくれていた看護師さん。

 こんにちは。花子です。

 最近は過去のノートを見ながら、今思うことを書き留める、ということをしています。書きかけのノートの余白部分や小さい裏紙で作った手作りノートなど、合わせて50番目まであります。これらのノートは本当に思ったことだけを書き留めていて、詩を書くのに使えそうな部分はそんなに多くありません。でもうまく見つければ、詩を書けそうな文章がチラホラあります。それを使って詩を書いたりしています。今までもそうやって書いたりしてきました。

 今は二巡目に入りました。ただ読み飛ばすだけの部分も多く、こんなことやって時間の無駄ではないかと思わないでもありませんが、新たな発見も時々見つかります。例えば、私は高校時代から精神的に少しおかしく、大学に進学できなかったのですが、父母は「今の大学に大した価値はない」と言っていた、というようなことが書いてあって、大学に進学できなかったのは全て私のせいなのに、どうして学校のせいにするのだろう、と思うことがありました。

 それに私は高校時代は国立の良い大学に入りたいと言っていて、それでも高三の時はもう勉強なんてできずに、ノートにぐりぐりと線を書き殴っていたら、「良い大学に入りたいのなら、こんなに書いていてはいけない。もっと真剣に勉強しなければ」と父に言われたことを思い出し、あの時はつらかったなぁ、などと思っていたのですが、そもそも私がその大学に行けるような頭脳の持ち主だと思っていたのかと疑問に思いました。父ですら三浪しても入れなかったのに、この私が入れるはずがない、そう思わなかったのでしょうか。私を見ていたら、入試問題なんて全然解けない、頭のそんなに良くない子、などと分からなかったのでしょうか。私は大学にはいけません。

 過去に思っていたことはいっぱいあります。でも私はあの頃反抗期に入っていて、学校の先生や両親に対する愚痴がほとんどでした。それでもこの崩れ去った自分を何とか立て直したい一心で、思ったことを書いていたのでした。あの時頭では分かっていたけど、心では納得しきれない、そんなことがたくさん書いてあります。そして今そのノートを読み返して、あの時思ってたことが実現しているじゃないか、と思うことも多いです。ようやく納得できるようになったのでしょう。

 今までオランザピンを20ミリ飲んでいて、朝に全然起きられなかったのですが、この前それを先生に言うと、「それじゃあオランザピンを少し減らしましょうか。これで何かあったら、途中でもすぐに来てくださいね」と言って、15ミリに減らしてもらえました。すると翌日から朝の6時ごろに目が覚めるようになり、もっと寝てたいなんて思うことがなくなりました。早い時は5時前に起きたりしています。でも夜は9時に寝るようにしているので、睡眠は十分取れています。こんな生活ずっと望んでいたことでした。朝散歩にも行けるし、ストレッチなどもできるし、書き物もはかどります。起きてる間は眠たくならず、でも時々少しだけ昼寝をしています。望みは叶う、それが今になってよく分かりました。これからも自分の望む人生を生きていきたいです。

 

 まずは詩です。

「甘え」

私は甘えている

社会に甘えて生きている

何をしたって、ただ遊んでいるだけだ

すごいと言われたって、働いていないことに変わりはなく、やっぱりそれはただの遊びなのだ

 

病気は甘えじゃないと言うけど、病気は甘えだ

理想と現実は違う

病人を甘え扱いしないのが理想だけど、現実は健常者から見れば病人は甘えだ

私は現実を見て生きていきたい

 

私達は甘えだ

甘えないと生きていけない、それが病気じゃないか

病気の人は決して甘えているのではないと言うだろう

でも何もせずにただしんどいと言うなんて、かまってほしいだけなんじゃないかと思われる気がする

 

病人は甘えだと思うが、違うのかもしれない

他の人は甘えじゃないかもしれない

しかし私は甘えだ

私は病気を盾にして甘えているのだ

家族に、社会に甘えないと生きていけない

 

好きで病気になったわけではない

普通に生きられるのなら、とっくにそうしている

でも病気になった

それが私という人間だ

私は甘えないと生きていけない病人だと断言できる

 

病人と健常者とははっきり分かれるものじゃないと思う

でもこの世の中で病人は病名を付けられて、健常者と区別されている

見下す側、見下される側に分けられている

私達はいつだって見下される側、笑われる側、馬鹿にされる側

社会の底辺にいる

社会の底辺で他の人を支えているかと言うとそうでもなく、誰かに支えられないと歩くこともできない

家族なり社会なりに支えられないと生きていけないのが私達だ

 

甘えだとは思うけど、甘えがそれほど悪いわけでもないと思う

人は支え合って生きている

私が誰かを支えられているとは思えないけど、どこかで誰かを支えることができているかもしれない

生きるのは自分のためだけど、誰かを支えることが自分のためになるかもしれない

いつか私も誰かを支えられるようになって、少しでも甘えをなくしていけたらいいのだが

 

いつかきっと私だってひとり立ちできるようになるだろう

その時まで、許されるのなら、甘えて生きようと思う

それが私の生き方だ

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 点滴をするために、前に猥褻語と名前をつなげたと書いたあの看護師さんが来たので、

「失礼なことばかり言ってすみません」

と言いました。するとこの看護師さんは

「失礼じゃないよー。大丈夫だよー」

と言ってくれました。

 この看護師さんの名前と猥褻語をつなげた言葉ばかり発していたので、別の看護師さんに

「〇〇さんに何か言われたりした?」

と訊かれました。何か嫌なことを言われたりしたから私がそんな言葉ばかり言っているのかと思われたみたいですが、これは私の頭の中にただ浮かんできただけの言葉なので、

「いいえ」

と言いました。

 この点滴に来た看護師さんは私のことをよく見てくれていましたが、点滴はちょっと苦手だったようで、

「どうしてうまくいかないんだろう」

とか、他の看護師さんが刺した針のあとを見て、

「これ誰がやったの?すごくうまく入ってる」

と言っていました。他の看護師さんが練習台になっているのを一度だけ見かけました。

 私の面倒をよく見てくれていた看護師さんが2人いました。1人は外来から移ってきた人で、もう1人は出版業界から出てきた人でした。2人とも前回の入院の時にはいなかった人でした。

 トイレに行く時は叫んで呼ばないと来てくれないので、いつも

「すいません、トイレに行きたいんですけどー」

と叫んでいました。そうしたらよく来てくれていたのがこの2人でした。毎回毎回叫んでいたと思うのですが、今からしたらよくそんなことできていたなと思います。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまだ全く感じない日があるとは言えないのですが、感じる時間は少なくなってきています。本当にもうすぐしたら「幽霊さんは完全にいなくなりました」と言える日が来そうで、ワクワクしています。最近はしんどくなることがなくなりました。ようやく普通の人間らしくなれてきたのでしょうか。このまま順調に毎日を過ごしていきたいです。