幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

嫌なことがないだけで、私は幸せ。詩「ちょっと冷めた気持ち」。急性期病棟で幽霊に叫ばされる。

 こんにちは。花子です。

 高校卒業後私は何もできずにいました。人の目が気になり、高校卒業後の過ごし方に「家事手伝い」を復活させてほしい、なんて思っていました。自分が「ニート」であることがその言葉以上に自分を駄目にしているような気がしました。今は「家事手伝い」でも「ニート」でもたいして変わらないなぁと思うのですが。

 私はこの社会の片隅に生きる人間で、表舞台には出ない、だからどんな生き方をしていても誰にも何も言われないのです。嫌なことからはずっと逃げてきました。これからも避けていくつもりです。それでも私はきっとおばあさんになるまで金銭的に困ることなく生きていけます。そんな生活、つまらない、なんて言う人もいるでしょう。でも私は嫌なことが何もない生活というのを今まで過ごしてきたことがないのです。学校が嫌でした。働くのも嫌でした。デイケアも当時は楽しかったですが、今から思えば学校と少し似ていて、私には不向きなところでした。どこかに通うということが私には向いてないのです。だから今は嫌なことがほとんどありません。そんな生活を望んでいました。

 でも嫌なことというのは人生において必ず避けられないものです。私にとって嫌なこと、それは家族の死です。そんなつらい思いをするのなら、もう今すぐいなくなりたい、なんて思ってしまいます。でも乗り越えるしかないのです。私はきっと乗り越えられるでしょう。そしてひとり寂しく余生を過ごすのだと思います。そんな先の見えた人生はつまらないという人もいるでしょう。でも私には全くつまらないなんてことはないのです。私は安定した毎日を望んでいます。先が見えた安全な人生、それこそ私の望むものなのです。

 何かに挑戦して成長していく、それが大事だと言われています。成長できない人生はつまらないと言うのです。つまらない人生の何が悪いのでしょう?あの頃から変われてない自分がいます。変わる気はあまりないと思います。むしろ過去の自分に戻って、あの頃の感覚を取り戻したいとさえ思ってしまいます。楽しかったあの頃、何も考えなくても生きられたあの頃、自分で生きようとしなくてもよかったあの頃、そんなあの頃に戻りたいのです。戻れることはないのでしょうか?先へ進むしかないのでしょうか?この先もっと良い自分がいるようには思えないのです。これ以上は良くなれません、たぶん。

 嫌なことがないだけで私は幸せです。だから今も幽霊さんさえいなければ私は幸せです。人からなんと言われようとも、私はただの私で、何者でもない、そんな人生を生きるのでしょう。明日からもいつもと同じ毎日で、幸せ。

 

 まずは詩です。

「ちょっと冷めた気持ち」

今の自分をちょっと離れたところから見てみる

私は一体何をしているのだろう

みんなは一体何をしているのだろう

 

私もみんなも生きているのだ

同じ地球上で生きている

そんなこと考えていたら何か見えることはないか?

生きる理由なんてものが見えはしないか?

 

生きていることに理由なんてない

生まれた、だから生きるのだ

とは思うけど、生きることは楽ではない

しんどい時もある、つらいことだってけっこうあったりする

それでも生きているし、生かされている

 

私達は色んな生き物の死の上に生きている

それは生き物としての魂の叫びだ

生き物を殺さないと生命が維持できないのだ

普段はそんなこと意識することはないが

 

人間は生きることだけができない存在だ

一生懸命何かをしているけど、それが一体何なんだ?

そんなことに必死にならなくても、生きられるんじゃないのか?

みんな何してるんだろうと、ちょっと冷めた気持ちになる

そんなことをして、一体何なんだ?と思う

 

一生懸命な人は時に笑われる

私だって笑うことはある

笑うだけではない、ちょっと軽蔑する

そしてそんな私を人は笑い、軽蔑するのだ

この社会は基本的にはそんなところだ

 

人を馬鹿にして笑う

人を蹴倒して優位に立とうとする

人をいじめて快感を得る

人にいらついて、当たり散らす

人を敬う気持ちを持たない

 

ある人々はそんな世の中で生きていけない

こんな社会じゃあ、生まれてきたことが間違いだったと思うしかない

生まれたからただ生きていればいい、なんてことはただの綺麗事だ

いつだって自ら死を選ぶ人はいなくならない

そんな中でも生きている

 

私は生きていきたい

人間として生まれてきた以上は、人の中で生きなければならない

それができなければ、生きていても死んでいても同じだ

みんな人とつながって生きている

ひとりでは生きていけない

人に生かせてもらっている私はただ感謝することしかできない

そうやって人生を全うしよう

そんな生き方でもいいよね?

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 次の日私は前回入院していた急性期病棟の方がなじみがあるだろうということで、そちらに移されることになりました。またこの前と同じ先生が担当になりました。病棟が変わっても縛られるのには変わりなく、両手と胴体が拘束されました。拘束されているとすることがないので、私は眠れるだけ眠ることにしました。

 縛られているのがつらいので、泣いていました。それを見た担当の看護師さんは、

「あっ、泣いてる」

と言いました。私は看護師さんに

「どうしたら縛られなくなりますか?」

と訊きました。看護師さんは

「幽霊とか言わなくなったらなくなるんじゃない?」

と言いました。だから私は次に先生が来た時に

「幽霊はもういなくなりました」

と言いました。すぐには拘束は解かれませんでした。

 でもたぶんこの頃です。最初が何だったかもう覚えてないのですが、私は幽霊に叫けばされるようになります。すると先生がやって来て、

「本当のことを言ってくださいね。幽霊はまだいますか?」

と訊きました。私は幽霊が叫ばせてくるので、隠すことができず、しぶしぶ

「はい、います」

と答えました。もちろん拘束は解かれませんでした。

 I病院に来る前は幽霊がしゃべる時はヒソヒソ声でしたが、いつの頃からか私のそのままの声で声を発するようになります。幽霊は自分の自由に発言ができるわけではありません。いつでも私の思ったことや頭の中に浮かんできたことしか声にできないのです。

 この頃はなぜか私の頭の中は猥褻語でいっぱいでした。看護師さんの名前と猥褻語をつなげた言葉を思い浮かべると、すかさず幽霊は私の口を使って、その言葉を声に出しました。しかもあらん限りの大声でです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは本当にもうすぐいなくなるんじゃないか、というくらいおとなしいです。震えは若干あります。でももうしんどくならされることはないでしょう。本当に幽霊さんはいなくなるのです。明日いなくなってたらなぁ。