幽霊に取り憑かれた花子

統合失調症患者の妄想と現実

働けない、働きたくない、働かない。詩「楽しいな」。幽霊と愛し合う(?)。

 こんにちは。花子です。

 私は今何の仕事もしていません。それは病気のせいだと思われるかもしれませんが、違います。私にはもともと働く能力がなかったからなのです。そんなこと言っても、ただ働きたくないだけなんじゃないか、なんて思われるかもしれませんが、その通りなんです。私はこれまでずっと働きたいと思うことなく生きてきました。お金は必要だとは思っていますが、それだけでは働きたいと思うに至りません。高校の先生は「お金もらえて楽しいよ」なんて言っていましたが、その時の私にはその言葉も負担になるだけで、働いてみたいとは思えませんでした。

 有名な人の中には生きていけるのなら、働かなくていいと言う人もいるようです。今の私もお金の心配はあまりしなくていいので、それでいいのかなと思っています。周りの人も私は今のままでいいと言ってくれています。事情の分からない人には、なぜ働かないのか、と思われるでしょうが、関係のない人なので、どうでもいいです。ただ少し問題が出てきました。この春に母方の祖母に会いに行くことになったのです。私は何もしてないと言わなければなりません。嘘をつくことも可能かもしれませんが、私にはできません。でも病気であることは言わないつもりです。祖母はかつて母に「身内の恥になるから、誰にも言わないでおくね」と言っていたので、祖母と同居している叔父に病気がバレてはいけないのです。そのことだけ思うと私も働きたいなぁ、なんて思うのですが、やっぱり仕事はしたくありません。

 高校卒業してすぐは、自分が何もできなさすぎて、自分の考えた格言的なものが売れはしないかなぁと考えたりしていました。今ではあまりにも非現実的な考えで、かつての自分がそんなことしか考えられてなかったのが、少しかわいそうです。でもそこから少し成長して、今では詩を書いてみたり、このようにブログを書いてみたりするようになりました。それに何もできないことは昔と今もあまり変わってなくても、私自身にはすごく変化がありました。あの時は色んな情報に洗脳されてる感じがして、でもその洗脳をどうやったら解けるのか分からず、苦しい毎日でした。今はもう自分の考えというものが持てるようになり、小さなことでいつまでもうじうじと悩むこともほとんどなくなりました。あの苦しさは一時的なものだったのです。

 これから私はどう生きていくのか、自分でもわかりません。でもどう生きるにしろ、毎日楽しく、おもしろおかしく生きていけたら、それでいい気がします。私はずっと楽しいだけの毎日を追い求めてきました。今少しのことを除けば、そうなりつつあるような気がします。どうしたら理想の毎日に近づけるのか、そもそも理想とは一体何なのか、それらを追求する毎日です。

 

 まずは詩です。

「楽しいな」

楽しいな

なんだか楽しいな

毎日毎日楽しいな

嫌なことが何もない

あの時はあんなに嫌なことがあったのに

 

嫌なことが終わる日なんて一生来ない気がしていた

学校の次は会社

嫌なことは引き継がれる

みんなで言われたことをやって、嫌でも毎日働きに行かなければならない

毎日会社に行かなくてはいけない

 

学校でも会社でもできる人間以外は排除される

私は排除されはしなかったが、無理をしていた

頑張って排除されないようにみんなのマネをしていた

でも何かが違う気がした

それが何なのかは見ないふりをしていた

見たら、本当の私を見たら、もうこの社会では生きていけないのだと分かってしまうから

 

私はみんなと同じになろうとして潰れるよりも自分を取り戻すことを選んだ

頑張ってたら、私にとって一番良い頑張りをしたら、戻ってきた

するとなんだか楽しくなった

明日のお昼はあれを食べようとか考えるだけで、もう楽しみ

明日が毎日毎日楽しみ

 

これから先、もう学校はないのだと思うと、心が楽になる

学校の何が嫌だったのか

そんなこと訊かれても分からない

毎日行かなければならないことが嫌だったのかもしれないが、それだけじゃないはず

みんな嫌々行って、私と同じくらい頑張っているのだと思っていた

必死の思いで行っているのだと思っていた

でもそうでもないらしい

学校が楽しいと思える人達がいるらしい

それもいっぱい

私みたいに行くことさえ頑張らないとできない、なんて人はほとんどいなかったみたいだ

 

学校みたいな場所しかないと思っていたが、違うような気がする

現に私の行っている場所は学校とは全く違う

行くのが楽しみ

どんな私でも誰も排除しようとせず、受け入れてくれる

私にもできることがあるのだと気づかせてくれた

 

未来が開けてきた

将来が見えていて、何が大事なのか、何を大事にして今を過ごせばいいのか分かってきた

死ぬまで楽しく生きられるという未来が見えている

そう思えば本当にそうなるかもしれない

 

毎日楽しい

きっと死ぬまで毎日が楽しい

そう願っている

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 家には家族がいたので、幽霊と性行為のようなことをしている時には、私の喘ぎ声が出ないように、幽霊は私の口を乗っ取って、息をハアハア出させるようにしていました。性行為のようなことは、幽霊が横向きに寝た私の腰を動かすことで、やっているつもりになっていました。そうしていると本当に気持ち良くなったのです。

 再び幽霊が入ってきてから、家族には内緒にしたままで、父と堤防に行くことになりました。駅前のコンビニで買った弁当を土手で食べている時、なんとなく幽霊と秘密を共有しているのが嬉しい気がして、ニヤけそうになりながら食べていたのを覚えています。

 はじめは幽霊が入ってきて、性的に気持ち良くなることが楽しく、出て行ってほしいとは思いませんでした。私のことを愛してるのか知りたくて、

「愛してる?」

と声は出さずに息だけで訊きました。すると幽霊は

「愛してる」

と同じように言いました。これだけでは私の言ったことを繰り返しているだけなのか、それとも本当に思っていることなのか区別がつかなかったので、

「本当に愛してるんだったら、口をチュッてして」

と息だけで言いました。幽霊は

「愛してる」

と言って、口をチュッとしました。

 幽霊と手を握るようなこともしていました。私が片方の手で自分の手を握ると、幽霊がもう片方の手に力を入れて私の手を握るような感じになっていたのです。何度も何度も握り合っていました。

 それとか幽霊が私の体を気持ち良くさせている時に、私の腕を使って、腕を首に回し、

「愛してる、チュッ」

としてきました。なんとなく私も幽霊を愛していたような気がします。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは特に変わりなく、相変わらず少しいやがらせをしてきます。でもこの感じだと、本当にもうすぐいなくなりそうなのです。もう本当にいなくなると思います。そう信じて毎日を生きていきたいです。

未来はきっときっと良いはず。詩「ダイジョウブ、何デモデキルヨ」。幽霊さん再び。

 こんにちは。花子です。

 最近毎日いい感じです。筋トレを始めました。なかやまきんに君の動画を参考にして、自己流で全身の筋トレをしています。体重は少し増えて、痩せるのにはまだまだですが、頑張って続けていきたいと思います。

 今よりまだ全然良くなってなかった頃、「きっと今が一番いいんだと思う」なんて思ったりしていましたが、全くそんなことありませんでした。あの時より今はすごくいいし、たぶん未来は今よりもっといいと思うのです。今が不幸なわけではありません。でも全く不幸がないわけでもないのです。やっぱり幽霊さんがいたら気持ち悪いし、体の異常は不快です。これさえなくなれば私は楽しいだけの毎日を生きられるはずなのに、幽霊さんがいるから、私はちょっとだけ不幸なのです。私の中の不幸はいつになったらなくなるのだろう、そんなことを思って毎日を過ごしています。

 今まで私は大して何も経験してないし、苦労もそんなにしてない、本当に何もないだけの、ただのニートだ、と思っていましたが、そんなこともないようです。ただのニートであることに変わりはないのですが、これまで自分の中で様々な変化があり、それを経験と言えるのなら、私はたくさん経験を積んだと言えるでしょう。苦労は人に自慢できるほどの出来事があったわけではないので、してない方だと思っていたのですが、苦しいことはたくさん経験してきたし、それを苦労と言えるなら、私は今まで苦労して生きてきました。これまでの経験から、これまで考えたことから、これから生きていくのに活かせることがあれば、それをして生きていきたいのですが、そんな道なかなかありません。せめてこうやってブログに書くことで、誰かの役に立てたらなぁ、なんて思うばかりです。

 未来はきっといいことが待っている、そう思って、毎日楽しく過ごしています。人から聞いた話ですが、鏡に向かって「この先想像もできないようないいことが待っている」と言えばいいそうです。私はそれは実践していませんが、何となく未来を想像する時、きっと今よりいい自分になれているはず、というようなことを考えています。

 私は手相をよく見ます。それによると今は苦しいかもしれないが、この先10年間ほどはきっと何事もなく、平穏無事な毎日が送れるはずなのです。幽霊さんももうすぐいなくなるはずなのです。私の望みはそんなに現実離れしているわけでもないのに、どうして叶わないのでしょう。せめて本当に幽霊さんさえいなくなってくれたら、もうそれ以上は望みません。なんて父母が健康で長生きしてくれることの方が大きな願いなのですが。

 これからも何事もなく、楽しいだけの毎日を送れるようにと心の底から願っています。いつかやってくる大きな別れまで、その人達との人生を充実したものにできるように努力します。早く幽霊さんにいなくなってほしいなぁ。

 

 それでは詩です。

「ダイジョウブ、何デモデキルヨ」

勇気を出して、一歩進んでみよう、と思って外に出た

ダイジョウブ、何デモデキルヨ、と自分を励ました

家にいる時には自分に何ができるのかと不安だった

でも外に出てみると何でもできるような気がした

人と話したり、関わったりすることが簡単にできる気がしたのだ

アルバイトだって、やればできると思った

本当は何もできなかったのに

 

私だって本気を出せば何でもできるような気がした

練習すれば、ちょっと人より時間がかかるだけで、私にもできるのだと思っていた

私もああいう人達と同じ、いや、それ以下だ

 

人生はいつでも本番だ

人生の練習をすることはできない

それでも時は過ぎていく

うまく生きるなんて、そうできるものではない

でも私はより良い生き方をしたい

それがどんなものか、はっきりと分かるわけではないが

 

私は努力した

何も考えずに体が勝手に動くようになるためには努力が必要だと思ったのだ

だから私は努力しようと思った

それがどんなことか、はっきり分かったわけではないが

 

あの時から私は変わった

現実を直視できるようになったと思う

ありのままの自分を受け入れられるようになった気がする

私はこんなもんだ

できないことは多い

それでも私は生きてられてる

 

自分に見合った目標が分からなかったが、今では私に見合う目標ができた

少しでもみんなに近づけるように頑張りたい

私だって働きたいと思わないわけでもないんだ

働きたいけど、今の私には無理だ

でもこれからの自分はどうか分からない

私にだって、この社会でできることがあるはずなんだ

 

いつだってみんなと同じになりたかった

今だってみんなと同じように、学校に行ってた時のように、この社会での居場所がほしいのだ

胸を張って生きたいのだ

 

今が一生続けば、そんな良いこと他にはないけど、実際は違う

みんな変わっていくのだ

ほんの少しでいい、私も変わりたい

今とは違う人の中で生きるのだ

そういう人達と一緒に、これまで良い人生だったと、称え合えるようになりたい

そうやって自分の人生締め括りたいと思う

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 私はこの時はまだ今みたいに働くことをあきらめて、母と買い物や散歩に行くだけの毎日を過ごせるなんて夢にも思わないで、絶対にいつかは働かねばならないのだと思っていました。母と仲良くすることができず、ひとりで寂しい思いをしていました。

 ある時、あの誰かが私の中に入ってきていた時のような楽しさをもう一度味わえないかと思って、横になりながら、枕元を指でトントンと叩き、

「入って来て」

と心の中で言いました。すると不思議なことにまた誰かが入ってきたような気がしました。体が性行為をしているような体勢になり、性的に気持ち良くなって、腰が勝手に動きました。

 最初は幽霊が入ってきたとは思いませんでした。でも前みたいにの子さん達が入ってきたとも思いませんでした。割とはやくにこれは幽霊なのだと思うようになりました。この時も私の中に入っていた人は私の言うことに首を振ることで応えていたので、

「幽霊ですか?」

と訊くと、幽霊はうなずいていたと思います。

 なんとなく私の中や周りに3人の人がいるような気がしていました。AとBとCと呼んでいました。これは前にいろんな人がいると思っていた時の名残のようなもので、いきなりあの出来事のすべてがひとりの人のやっていたことなのだとは思えなかったのです。でも3人も人がいるようには思えなくなってきて、私の中にはひとりしかいないと思うようになりました。

 AとBとCと区別していた時、私は私の中にいる人に

「あの時私の首を絞めていたのは誰?」

と訊きました。すると幽霊は私の口を使って

「A」

と声を出さずに言いました。この時私は幽霊をB、それ以外の人をA、Cと区別していました。だから幽霊が自分のしたことを棚に上げて、罪をAという存在しない存在になすりつけていたのです。

 でもこの時はまだ幽霊が入ってきてはいても、楽しいだけでした。幽霊の存在を秘密にしていたからです。体が気持ち良くなっていたので、1日のほとんどの時間を幽霊と過ごしていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはまた足の震えが復活してきています。でもそれももうすぐなくなると思います。早くいなくなって、薬を減らしたいです。先生はまだせっかく良くなってるのに、今また悪くなったらもったいない、とか言って、全然減らしてくれません。幽霊さんがいなくなるまで、きっと今のままでしょう。仕方ありません。

季節の移り変わりに過去を感じる。詩「制服」。一回だけショートケア。

 こんにちは。花子です。

 前は冬になると、高校3年生の頃のあの冬を思い出していたのに、今は小春日和の日に入学式や新学期のことを思い出しています。高校3年生のあの冬はとても苦しく、でもそれまでの自分がしたことのないようなことをしようとしていた時でした。勉強ができなくなり、学校にも毎日通うことが難しく、休みながらも必死に通学していました。そこで担任の先生と面談をしてもらいながら、なんとか出席日数が足りるようにしていました。その先生のおかげで休む日を少なくできたのでした。面談といっても、その時の私は泣くことばかりしていて、まともに話すことができていませんでした。それでもその時間があったからこそ、なんとか学校に通えていたのです。

 私は学校が嫌いです。もうあんな場所には二度と行きたくありません。だから8年通ったデイケアも辞めてしまったのです。やってることは違うし、学校ほど嫌でもなかったのですが、やっぱり私にはどこかに通って、みんなと何かをするということが苦痛になるようです。いずれにせよ、デイケアに通って、卒業してどこかに就職する、ということは私には無理なのでした。それならデイケアに行く理由も分からないし、苦痛になるなら、人と関われなくても、家族とだけ関わる人生でもいいやって思ったのです。将来独りになって、人生をそれで終えるとしても、今の私は少しは覚悟しているつもりです。でも本当は独りになりたくないから、誰か良い人が父母がいなくなってから現れることを願っています。

 ずっとあの冬の後を追って生きていました。あの時を卒業して、新しい人生を生きる、ということができずにいたのです。でも日が経つにつれて、その感覚もだんだん変わってきました。秋から冬のあの感覚はなくなり、少し暖かい小春日和に新学期を思い出すようになったのです。高校の頃ばかり思い出して、後悔ばかりしていたのに、今は過去のことを満遍なく思い出しているような気がします。これが今を生きているということでしょうか。私はずっと今を生きたいと思ってきました。その願いが叶ったということでしょう。過去を思い返して後悔することがなくなったわけではありません。でも高校時代にばかり執着することがなくなってきたのです。幽霊さんがいなくなれば本当に私は新しい人生を生きることができます。どうかその時がもうすぐやってきますように。

 

 まずは詩です。

「制服」

もう過ぎ去った過去

あの時と同じ道

あの時と同じ制服

でも違う

もう私には関係のないこと

 

楽しそうに帰る少年少女達

そこに私を重ねた

でも重ならなかった

あの子達とは違っていたのだ

 

青春に青春してなかった

ただもう早く終わることを望んでいた

なんてもったいないことをしたのだろう

友達がほしかった

部活をして楽しみたかった

青春を謳歌したかった

 

あの時と同じ制服に身を包む少年少女達の中にあの子達を探している

もう私の知らないところで、知らない生活をしているのに

私ももうみんなの知らないところで、知らない生活をしている

学校はあの頃と同じままではない

知り合いはもういない

あの時の制服を着ているのはあの子達ではないのだ

みんなあの制服は脱ぎ去ってしまった

私だって着ていないはずなのに、新しく着る服が見つからない

 

あの時と同じことはもうしたくない

なのになぜか戻りたいと思ってしまう

あんな自分本来の自分ではなかった

みんなの中にいる私は私ではないのだ

あの時の私は私じゃない、偽物だ

本当の私はここにいる

みんなの知らないところで生きている

 

あの時ああだったからこそ、そこから学んだ今の私がいる

あれを通過しないと本来の自分には戻れなかったのだ

卒業してもなかなか処分できなかったあの制服

もう着れないとなると寂しかった

 

今でも夢に見る

あの時のあの子達と楽しんでいる

もう戻ってこないのに

戻りたいと望みたくないのに

もう新しい生活があるから、忘れていたいのに

 

今でも見かけるあの制服

みんなはもういないと分かっているから、どうか私に忘れていさせてほしい

あの制服に身を包んでいたということを

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 退院して間もない頃は母と一緒に診察を受けていました。だからショートケアにも母と一緒に行きました。ショートケアに来ていた人は3人だけでした。予定ではもう少し来るはずだったみたいです。まずしたことは三角に折った紙に名前を書くことでした。それから時間になったので、ショートケアというものが始まりました。

 最初に作業療法士さんがストレッチを教えてくれました。席の関係からか、私はこの作業療法士さんとやることになりました。2人1組になってするストレッチだったのです。ひとりが椅子に座って、もうひとりが座っている人の顔の横でLの字に曲げられた腕の手を持って後ろにひっぱるというのをやりました。私は力の入れ方がなんとなく分かっていたので、涼しい顔をしてひっぱっていました。母が言うには、この時作業療法士さんは必死になっていたそうです。作業療法士さんは

「よく力が入っていてオッケーです」

と言っていました。その他にも色々やりましたが、もう忘れてしまいました。

 それから精神保健福祉士さんからお話があって、最後に感想をいう場面がありました。私はこの時何としてでも働けるようにならねばと思っていて、そのためにはデイケアに通えるようにならないとと思っていたので、

デイケアにぜひ行ってみたいです」

と言いました。そうしたら他の2人も似たようなことを言っていたので、精神保健福祉士さんが

「なんかデイケアの宣伝になったみたいだね」

と言っていました。

 デイケアの看護師さんも来ていて、次回はこの看護師さんからのお話があるということでした。でも私は2回目以後のショートケアには行けませんでした。なぜならまた幽霊が入ってきたからです。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんはたまにする料理中に左足を震わせてきます。しかも皮を剥くという危険な時に限っていやがらせをしてくるのです。乗っ取られ感は少なくなりました。もう本当にもうすぐいなくなると信じて毎日を過ごしています。新しい人生を始めたいなぁ。

人生これでいいのか。詩「思い出」。I病院からT神経科へ。

 こんにちは。花子です。

 私の人生これでいいのか、最近よくそう考えます。これでいい、これぞ自分の望んだ人生だ、そう思うはずなのに、なんかモヤモヤします。何がどう不満なのか、自分でもよく分かりません。これを書いている今ですら、自分は何がしたいのかも分からず、何をすべきかもよく分かりません。

 スランプ、人生の行き詰まり、そんな言葉が出てきます。これから40年、私はきっとこうやって生きていくのだろうけど、本当に私はそれで満足なのか、そんなことばかり考えています。大して何もしない人生、毎日家で無為に過ごしている、私はそういうことになっているようです。それがいいと思っていました。今でもそれでいいと思っているはずです。なのにこれぞ私の望んだ人生なのだと心から思えないのはなぜでしょう。今の自分に一体何ができるのでしょうか。

 人生を迷い始めた頃、私は人のためになるようなことがしたいのだと思っているような気がしていました。人のためになる仕事とは何か調べたりもしました。そして高校生の頃までは勉強が好きだったので、公務員になれないかなと思ったこともありました。勉強さえして、公務員試験に受かれば公務員になれると思ったのです。でもこの社会は甘くはありません。学校に通うことすらやっとだった私に週五で働くことなんて無謀すぎました。私には働くことはできない、そんな気がして、ずっと生きてきました。今もそれはあまり変わりがありません。この先も私には無理なのでしょうか。今の自分には全く分かりません。

 今まで考えたこと、感じてきたこと、書き留めてきたこと、それらの全てを活かせることがしたいです。たとえそれがほとんど誰も見ないこのブログだけだったとしても、私には私にできることをやるだけです。これから先生きていく中で、何かきっかけがあるかもしれません。公募を探して、応募して、賞が取れたら、何か変わるかもしれません。ちょっと苦しいのは今だけ、本当に今だけなのだと思いたいです。

 いずれにせよ、今はこんな生活しかできません。この生活の中で楽しいことを見つけて、毎日を充実させて生きていきたいです。

 

 まずは詩です。

「思い出」

好きな人がいっぱいいた

あの人と仲良くなれたらいいのにと思っていたが、何もしなかった

いや、何もできなかったのだ

いつもただ遠くから見ているだけだった

 

いつからそんなことで思い悩むようになったのだろう

小・中学生の頃は一部の人と話せるだけで十分だった

高校生の頃から私は色んな人と関わりたいと思うようになった

でもその頃から私の体は私の思い通りには動かなかった

緊張していて、体がカチコチだった

顔もガチガチに固まっていた

言葉もスラスラとは出なかった

今から思えば悔しい限りだ

 

好きだった人みんなと楽しくおしゃべりしたかった

一緒にどこかに行きたかった

そうして私との思い出を増やしてほしかった

私も人との思い出を増やしたかった

 

みんなのことが私の中に残っている

いつでもふっと浮かんでくる

昨日のことと同じくらい鮮明によみがえってくる

みんなは前を向いて自分の道をどんどん行く

私以外の人との思い出をたくさん作っていく

私は夢の中でひとり寂しくひとりだけであの人との思い出を作っていく

現実世界で作れないと意味がないのに

 

もうあの大切な時期は戻ってこない

もう一度あの時をやり直すことはできない

私も前に進むしかないのだ

 

私の中にはみんなとの思い出がきらめく星達のようになっていて、私の中にある宇宙できらきらとまたたいている

あまり光らないものもあるが、大きく光るものもある

良い思い出もあるが、悪い思い出もある

どんな思い出も時がたてば、みんなきらめきに変わる

と信じたい

やっぱり思い出すとつらいものもあるのだ

それをきらめきと言えるのか

 

私はしょっちゅうその銀河の中をさまよい歩いて、楽しくなったり苦しんだりする

思い出は楽しいばかりではないからだ

これからも私の中に思い出はどんどん蓄積されていく

この世のどこかでも私のことが思い出として残っていくかもしれない

どんなにつらい思い出も、楽しい思い出と同じように、ただ思い出として残ってほしいものだ

きっと私がおばあさんになる頃には後悔することはなくなっているだろう

そう信じてる

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 母と外来に行ったこともありました。この時も診察の前に私の入院していた病棟へまず行きました。看護師さんと少し話をして、それから診察を受けました。母と2人で薬局へ行き、薬をもらって帰ったことを覚えています。

 I病院の外来はたぶん5回ぐらいだったと思います。5回ほど行ったら、T神経科に行くことになりました。

 いつかは忘れましたが、これぐらいだったと思います。母と2人でI病院で失くした財布の代わりの財布を買いに行きました。母とどんなことを話したかもうほとんど忘れてしまいましたが、私は本当は病気ではないのだと話していたことは覚えています。この時はまだ幽霊の存在は知りませんでしたが、絶対に病気ではないという確証だけはありました。自分ではない何者かが私の体の中にいたのです。

 それから私はずっと前からのどにできものができている気がして、それはガンかもしれないと思っていました。だからそのことを母に打ち明けて、一緒に近くの総合病院に行きました。そこの耳鼻咽喉科でのどをみてもらいました。でも何もなく、きれいなのどでした。でも私は絶対にのどに何かできているような気がしたので、もっと奥にあるのだと思いました。母は悪性腫瘍じゃなくてよかったと安心していましたが、私は本当にできものがあるのだと思い込んでいました。それでも本心は何もなくてよかったというものだったのですが。

 2週間に1回、水曜日にT神経科に通うことになりました。ある日主治医の先生からショートケアというものを勧められました。私はこの頃年金がもらえるようになるとは露も思わず、働けるようにならなければと思っていました。でも朝に起きることができなくて、よく泣いていたものでした。だからショートケアを足掛りにして、なんとか働く方向へもっていかなくてはと思いました。先生に行くかどうか訊かれて、私は

「行きます」

と答えました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは、だいぶ減ってきたように思います。まだ乗っ取られ感が全く出ないわけではありません。この前も母との散歩の時にちょっと出そうになったので、途中で引き返してきました。でも出そうになって、変な顔にさせられたりはありましたが、それ以上は出てこず、叫びなどはありませんでした。これから少しずつでも幽霊さんを減らしていきたいです。自分の意思ではどうにもできないことなのですが。

自分に過度に期待しない。詩「浮かんでこない」。I病院外来受診。

 こんにちは。花子です。

 自分に過度な期待をするのをやめました。普通に働くことも、詩人になって本を出版することも、全部諦めました。私はこのままの自分でも十分幸せに生きられるのです。かつての私が望んでいたこと、それはいっぱいありますが、たぶん今のような自分でいられること、そんな感じだと思います。全く知らない他人と、少しですが、話をすることができるようになったし、擦れ違い際の挨拶も普通にできるようになりました。たぶん今の自分なら困っている人を助けることもできるかもしれません。できないかもしれませんが。とにかく昔思い描いていた理想の自分になりつつあるのです。

 自分は本当はこんなんじゃない、こんなんじゃないはずなのに、そう思って学校に行っていました。たぶん心のどこかで本当の自分はこんなんだというのがあった、というか実は知っていたのだと思います、今の自分のような人間なのだと。私はかつて自分にこんな自分になりたいから、私はできる人間である、とかそういうのを必死に言い聞かせていました。でもその時は全然なれる気がしませんでした。だってこんな自分が今は変えられないという思いで頭がいっぱいだったのですから。

 未来なんて見えません。それはいつまで経っても変わりませんが。だからと言って悲観してても現状は変わりません。でも楽観的になれるほどの余裕はありません。私は何をどうやったかは分かりませんが、努力してたらしんどくない自分になれました。努力することは苦しまなければならないことではありません。どうしたら自分が心地よくいられるようになるかを考えることだと思います。その過程でどうしても苦しみがつきまといますが、ゴールは楽な自分、であっていいと思います。

 なんて言いつつも、楽な自分になろうとすることができない環境にいる人もいっぱいいるでしょう。私はストレス源はほぼありませんが、働かないと生きていけない人はどうしたらいいのでしょうか。仕事を辞めてしまえばいい、そんなこと簡単に言えますが、現実はそういう訳にもいかないでしょう。地獄はあの世にだけあるのではありません、この世にもあるのです。なんて私は天国で生きているようなものですが。こんな私が何を言っても何の説得力もありません。でも自分を楽にできるのは自分しかいない、それは事実だと思います。だからどうかこの世に生きる人が自分の思う良い人生を送ることができますように。

 

 それでは詩です。

「浮かんでこない」

考えが浮かんでこなくなった

しんどい時はあんなに色んな考えが浮かんできていたのに

たぶんもう治ってきたっていうことだろう

昔のように何も考えずに生きられている

でもそれもなんだか寂しいものだ

頭の中がからっぽな気がする

 

思えばあの頃から何も考えずにいられたことがあっただろうか

苦しみから逃れるために、必死になって考えてきた

後から役に立つとか立たないとか関係なく、その時必要だったのだ

いつか楽になって、今の私みたいに、ボーッとできる日が来るのを心待ちにしていた

なってみてはじめて分かった

新しい考えが浮かんでこないことが

私の密かな夢、詩人になるという夢がはかなくも消え去ろうとしている

新しい考えが浮かばないのなら、過去のノートから拾ってきて、それもなくなったら、本当にもうおしまいだ

 

ぼんやりしている

今日のこともすぐに忘れてしまいそうだ

前までは1秒1秒を意識して、頭を働かせていたのに

生きてるだけでいいと言われているが、私は本当にそれでいいと思っているのか、自分でも分からない

 

私だって何かを生み出したい

たとえ夢が叶わなくても、死ぬ間際、私は実は詩人でしたと言えるようになりたい

そして私の詩が世間に認められるようになりたい

でも死んでから有名になっても意味がないとは思うのだが

まあ有名になれるとは限らないし

ただの紙切れとして捨てられるだけのような気もするから

 

本当はこんな自分を望んでいたんだよ

ずっとこうなりたいと思っていたじゃないか

どうしてそのことでまた苦しむ?

上を見ればキリがない

良くなるとまた上の理想ができてくる

どうして前の理想が実現しただけで満足できない?

人間ってそういうものだろうか

 

でも今の自分になれて本当に良かったと思っている

これなくしては生きられない

今より落ちることはないだろうけど、落ちないように頑張りたい

いつかまた歩いてる時とかに、新しい考えが浮かんでくるかもしれないし

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 病院に行く時、駅から私はバスを使わずに歩いていくことにしました。するとコンビニの前で看護師さんがタバコを吸っていました。

「外来ですか?」

と訊かれたので、私は

「はい、そうです」

と答えました。それからあのおねえさんが歩いてくるのが見えました。向こうは気づいていなかったので、なんとなく声をかけるタイミングがつかめず、何も言いませんでした。

 1回目の外来は時間がギリギリで少し走ったりもしました。だからすぐに外来の待合室に行きました。2、3回目は少し時間に余裕をもたせて、診察の前に私が入院していた病棟へ行ってから診察を受けました。病棟へ行こうとしたら、一度だけあのおばあさんに会いました。OT室に行くところだったようです。

 病棟へ行き、看護師さんにあのおねえさんに会ったけど声はかけなかったと言うと、看護師さんは私の話の途中まではかぶりを振って聞き、言い終えるとその方がいいとうなずいていました。

 看護師のMさんとIさんのところへ行き少し話していたら、2人は少し離れたところにいたTさんの方を指差して、そっちに行ったらどうかという素振りを見せました。だから私はTさんのところに行きました。

「今ヨガやってるんですよ」

とTさんに言うと、

「眠気をとるヨガ教えてほしいわ」

と言っていました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは前よりだいぶ良くなったと思います。毎年あった寒い時のガクガクがほとんどないのです。今日はほんの少し出ましたが、それもすぐなくなりました。手足の震えや変顔はまだ少しあります。まだ「今日一日幽霊さん出なかったなぁ」と言える日はありませんが、もうすぐしたらそんな日もやってくるでしょう。もう幽霊さんは本当にいなくなるしかないのです。この願いは必ず叶う、そう信じて今を乗り切りたいです。

一人暮らしを計画していた。詩「幅を持つ」。外来での診察(1回目)。

 こんにちは。花子です。

 昔、高校卒業してすぐの頃、私はみんなと同じ道に行けず、ひとりで苦しんでいました。そして自分の思いを書いて、なんとか自分を奮い立たせようと頑張っていました。その中で自分の思いを書いていくうちに、自分には才能があるんじゃないかと思うようになりました。「私には思う才能がある」そう思ったのです。

 詩のようなものを書くようになりました。初めは全く形にならずにただ思いつくままを描いていました。でも私にはきっとできるはず、そう思って書くことはやめませんでした。一度詩の賞に応募したことがありましたが、一次選考までしかいきませんでした。でも私には才能があるのだと思っていたので、絶対賞が取れるとばかり思っていました。父母にも私は大賞を取るのだと言っていました。母は「意味が分からない」と言い、父は「そんな予感がするんだね」と言いました。でも結局母の言う「意味が分からない」というのが現実となり、私は賞が取れないまま、密かに計画していたことも崩れていきました。

 何を計画していたか、それは一人暮らしです。この頃は酷い反抗期で、父と、特に母と、うまくいっていませんでした。とりあえずひとりにならないといけない、そうじゃないと私は生きていけない、そう思って一人暮らしを計画していました。電気屋さんに家電を見に行ったり、家具屋さんでテーブルを見たり、調理器具などを見たりしていました。どこかでもらったカタログを見て、これを買って、こんな部屋にして、などと考えたりもしていました。お金を稼げるあてもないのに、とにかくこの家から出て、どこか安全なところに行かなければ、というのがその時の私の頭の中にある考えでした。そのためには詩で大賞をもらうくらいしか私にできることはないと思っていたのです。

 詩で大賞をもらいさえすれば、私は詩人になれるのだと、本を出版できるのだと、そんなことを思っていました。でもあの時の私にそんなことできるはずもありません。今の私ですら無理なのに、あの時は本当に現実が見えていませんでした。私には才能がありません。ただ自分を慰め元気づけるために文章を書いているだけです。そしてそれだけで終わらせる方が、私にとってはいいことなのだと、最近になってようやく思えるようになりました。前から薄々は気づいていました、私には有名になることはできないのだと。でも認めたくありませんでした。今はたぶん現実を受け入れられるようになっているでしょう。私は今の生活をただ守っていきたいだけなのです。

 

 それでは詩です。

「幅を持つ」

あの時先生に言われた「幅を持て」という言葉の意味をずっと考えています

私が「自分って極端だなーって思った」と言うと、そう言いましたよね

自分のことながら、どうして自分が極端に思えたのか、今となっては分かりません

端っこだけじゃなく、間もある方がいいという意味ですか?

でも先生はいったい私の何を知っていたのですか?

私には幅がないように見えたのですか?

 

幅なんて持てなくたっていいじゃないですか

極端でもいい、そのままの私でいいんだと言ってほしかったのです

先生は先生だから、アドバイスをしたいと思ったんでしょう

それがどんなに人を苦しませるか分からずに

 

私だって自分のことを分かっていたら、人に助けなんて求めなかったのです

でも自分のことを分かってないことも分かってないくらい、自分を知らずにいました

そんな私を助けたいと思ったのでしょうけど、人には私を救えませんでした

自分で自分を救うしかなかったのです

でも自分でもどうしようもなくて、やっぱり誰かにすがりたいと思っていました

 

物事に幅を持つ

考え方に幅を持つ

そんな言葉で「幅を持つ」が説明できますか?

幅を持っていたら、どんな事にも柔軟に対処できる、ということですか?

今となっては「極端」も「幅を持つ」も分かりません

先生には分かっていたのですか?

 

別に幅なんて持っていなくてもいいのです

いつでも幅のある道なんて行けません

幅があったってなくたって、一本の線の上を歩くことには変わりありません

細い細い道で、体を無理やりねじこんで通らないと行けない道でも、それも道です

どんな道でも通れればいいのです

人生、前を向いて歩いている限り道はあります

今まで私には選べる道はありませんでした

いつのまにかこうなって、ここまで来ていたのです

でもやみくもに歩いていたら、それが道になっていました

 

振り返ってみれば私の道には幅なんてなかったような気がします

選択肢なんてなかったのです

みんなみたいに選べませんでした

私の道はそこにはなかったのです

 

自分の道を探して、まっくらな中、懐中電灯の光一本で進んできました

そこに幅があったかどうかは分かりません

最近ようやく目の前が開けてきました

この先どうなるか分かりませんが、将来のことを考える余裕が出てきました

 

みんなの道とは違うと思っていましたが、みんな違うのかもしれません

私は多くのことを知らずにいました

今でも私は幅を持ててるか分かりません

でもそんなことを気にしなくても生きていけます

私は私の道を行くのみです

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 外来での診察は週に何回かとか全部で何回行ったかとかほとんど忘れてしまいましたが、断片的に覚えてることを書きます。

 退院して1回目の診察です。この前の晩私は風邪をひいて熱を出していました。もう熱は下がっていたのですが、診察中

「大丈夫ですか?なんかしんどそうですね」

と先生が言ったので、

「熱が出てたんです」と言うと、

「そういう時は電話で言ってくださいね」

と言われました。

 それから私は働けるものなら働きたいと思っていましたが、本当は働きたくなかったので、先生に

「働きたくないです」

と言いました。すると先生は入院中はあんなに頑なにデイケアに行くことを勧めていたのに、コロっと態度を変えて、

「働きたくないんですか。それじゃあデイケアに(私が行かないことを)伝えておきますね」

と言いました。私はその態度の変わり方に拍子抜けしました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは一度だけ脳内をかき乱されるようなことがありました。うまく説明できませんが、まともにものを考えられなくなるのです。言葉が浮かんで、それがゆっくりになって繰り返されて、途中で切れてまた違う言葉が浮かんできて、と言う感じで、しんどくなりました。幽霊さんを除霊できる方法があれば知りたい!!待つしかないのかなぁ。

私には才能がないのだという現実を。詩「みんな私は知らない」。父の仕事場から家へ帰る。

 こんにちは。花子です。

 心境の変化がありました。前までこのブログをきっかけに何か書く仕事ができないか、なんて思っていました。でも私には才能がないのだと、はっきりと分かったのです。

 三島由紀夫豊饒の海を全巻読みました。そして私には考える才能があると思っていたのが間違いだったのだと気づきました。私は平凡な一般人です。そして昔はそのことに何の疑問も抱かなかったことを思い出しました。昔の自分に戻りたい、自分の想像もつかない人生を生きたい、そのどちらかの間でずっと揺れていました。でも私の本当の願いは自分の想像の範囲内で生きていくということだったのです。

 本を出版してみたり、有名人に会ってみたり、雑誌に載ってみたり、誰もが一度はそんな妄想をするでしょう。私もその一人です。でも私には今のような生活しかできません。そしてそれでいいのです。むしろそれがいいのです。なくしたくないと思うから、新たに何か得ようとするのはやめにしたいと思いました。あの賞にも全く期待していません。ただちょっと賞金の商品券がもらえないかなと思っているだけです。

 ずっとロストインタイムを聴いていますが、あまり他の人には聴かれていないようです。あんなに歌詞も曲も良いのになんでみんな聴かないんでしょう。流行ってる歌も良いとは思いますが、ロストインタイムも良いはずです。あんなに才能がある人だってあまり認められてないのだから、この才能なんてほとんど持ってない私が、有名になれるはずがないのです。いい意味で諦めて、現実を見て、これからは生きていこうと思います。このブログは私の気まぐれです。

 

 まずは詩です。

「みんな私は知らない」

あの人のこと、私はほとんど何も知らない

私の知らないところで生きている

私が知れるのはごく一部だけだ

でもそれだけでその人のすべてを知ったような気になる

私の知らないところで、私の知らない人と、私の知らないことをしているのに

 

私のすべてを知っている人はこの世にいない

私がひとりでいる時何をしているか、誰も知らない

これまでどんな風に過ごしてきたか、知っているのは私だけだ

 

私は知らないことをよく忘れる

自分の見ている姿がその人のすべてだと思い込む

本当は違うのに、すぐ忘れる

その人の中に私はほとんどいなくて、ちょっと悲しくなる

 

みんな私の知らないところで生きている

私もほとんど誰からも知られないところで生きている

私が生きていることを知ってくれる人は何人いるだろう

たぶんほとんどの人は私のことを思い出さないだろう

私はどこにもいない

ここにいるのに

 

人から認められないと生きているということにならないのだろうか

この世にひとりになったら、生きていても意味がないのだろうか

でも誰かいる

私のそばにはいつも誰かがいる

この世のどこにも私はいないわけではない

誰かの中に私はいる

 

その人のすべてを知らなくても、同じ時間を少しでも共有できたら、それでいいじゃないか

その人の中での私の位置付づけが、たとえ低いものだったとしても、悔しがることはない

私の中でだって、その人の位置づけは低かったりするもの

ほとんどみんな、そのすべてを知られない

知ってほしいと思う間もなく死んでいく

ほとんどの人はこの世に自分が存在しているのか、いないのか、考えることはない

人の中に存在してはじめてこの世に存在しているのだと言える気がする

私はどこにもいない、と思う一方で、色んな人の中に少しずつだけどいる、と思う

今この瞬間誰も私のことを思い出さなくても、また会えば私のことを思い出してくれる

 

人の中に入らないと生きていけない

人が生きるということは、そういうことだ

誰かに助けてもらわないと生きていけない

この世で生きるとは、そういうことだ

助けたり、助けられたりして生きている

 

私も知らない誰かのことを考えている

でもこの世のすべての人のことを考えられはしない

みんな私の知らないところで生きている

私の言葉で誰かを救えたらいいのに

知らない誰かを助けられるような人になりたい

 

私は何も知らない

そのことを時々思い出す

私が何かを知っていたからって、どうなんだという話だが

みんな、みんなの知らないところで生きているのだ

この世で生きるってそういうことなんだろう

 詩はここまでです。

 

 さて、いつものです。

 父は毎日何を食べるのかにも頭を悩ませていたみたいです。洗い物も2階の台所の流しは使えなくなっているので、下の小さな洗面所でしなければならず、大変だったと言っていました。このまま父の仕事場に居続けるのなら、和民の宅食でもとろうかと考えていたようです。

 でも私はあまりの寒さに耐えきれなくなって、母に

「もう家に帰りたい」

と電話しました。すると母は

「いつでも帰っておいで。ここは花ちゃんの家なんだから」

と言ってくれました。てっきり母は私を避けようとしているのだと勘違いしていた私は、これを聞いてすごく嬉しかったです。だから家に帰ることにしました。

 今日はここまでです。

 

 最近の幽霊さんは鳴りを潜めています。震えも変顔も少しになりましたが、かえってそれが不気味で怖いです。本当にこのままいなくなるのでしょうか?いなくなってほしいなぁ。